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最後の日

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 それでも僕は彼女を見つめたいという衝動に駆られ、店のガラス窓に映る、外の真っ白な光景に視線を落とす彼女の顔を窺った。そこに映った彼女の顔はあまりに美しくて現実のものとは思えなかった。
「大谷君、今日仕事終わった後、時間ある?」
 外に向けた視線を動かさずに彼女が言った。
「はい」
「一緒に食事でも行かない?」
「はい」
 いつもなら人からの誘いは断るのだけれど、僕はあっさりと返事をしてしまった。女性を信じられない。それなのに彼女だけは何か違った。仕事での信頼関係からくるものなのか、それとも……。
 開店から一時間が経ち、ようやく店長とほかのスタッフも出勤してきた。お昼ごろには雪は止み、電車が動き出すとまばらではあるがお客さんも来るようになった。いつもは戦場のような厨房も今日だけはゆったりとした時間が流れていた。
 オーダーが入っても、それほど急ぐ必要がないので注文が入ったヴィーナリーベと呼ばれるパフェをとにかく形よく、美しく作ることに専念してみる。アイスクリームをパフェグラスの上に置き、キウイ、アプリコット、オレンジなどのフルーツを乗せ、指先を集中し、生クリームを絞る。最後にキウイソースとロールクッキーを乗せて完成させた。
 なかなかの出来栄えだった。僕は満足気にそのパフェを眺めた後、デッシャーの彼女へ渡した。
彼女はにっこりと微笑み「美味しそう」と言った。
僕は何故か、その時の彼女の笑顔が、心に焼き付いて離れなかった。

 十八時になった。僕も彼女も上がりの時間だ。
「お疲れ様でした」店長に挨拶をすると「ご苦労様、今日は店を開けてくれてありがとう。助かったよ」と店長は笑みを浮かべて僕ら二人を見た。
 お互い更衣室で私服に着替えて、ビルの一階で落ち合い、有楽町の駅の方に歩いて行った。彼女は何も言わず、まっすぐに前を見つめ歩いて行く。歩道は雪が少し解けて、ぐちゃぐちゃになっているが、そんなことは何も気にせず早歩きで彼女は進んでいった。
 有楽町の駅を抜けて、銀座方面に出る。晴海通り沿いの歩道を歩き、四丁目の交差点までやってきた。
 上空を見上げると、和光の時計台が見えた。その針がさしているその時間はもう、二度とやってこないもので、そう考えると今見えているすべてのものが、かけがえのないもののように思えてきた。後ろから見る彼女の背中もまた、とてもいとおしく思えるような……。なんだか不思議な感覚だった。
 交差点を左に曲がり、二つめの角を左に入った。細い道を五十メートルほど歩いて彼女は立ち止った。
「ここでいい?」
 地下に続く、狭い階段があり“朧月”という看板が掲げてある。和食のお店だろうか?「はい、いいですよ」
 僕がそう答えると彼女は階段を下りて行った。僕はその後に続く。彼女が階段を降り切って左側の引き戸を開けると、いらっしゃいませという穏やかで温かい声が聞こえてきた。
 彼女の顔を見た和服を着た女性の店員は常連のお客様を迎えるような、安心した笑顔を浮かべた。そしてその後、僕にも穏やかな笑顔を向けた。
四人掛けのテーブル席が五席、カウンター席が六席のこぢんまりとした、落ち着きのある店だった。彼女は一番奥のテーブル席に座り、コートを脱いで、壁のハンガーにかけた。僕は向かい側の席に座り同じようにコートを脱ぐ。彼女は僕のコートを手に取りハンガーにかけてくれた。
 彼女にしてもらった何でもないことが、とても新鮮でいちいち心に響いてくる。今日の僕は何かおかしい。僕は彼女を、田中さんを女性として強く意識していた。

「何か嫌いなものとかある?」
「いや、大丈夫です」
「じゃあ、おまかせで二人分お願いします」
 彼女は笑顔で和服の店員さんに注文を告げた。
「どうしたの? なんだか緊張しているみたい」
 やさしい笑顔で彼女が僕に向けて微笑む。 
「いや、あんまりこういうお店には来たことないので……」
「そうだよね。大学生だから彼女と食事だとイタリアンとかそういうお店に行くのかな?」
「彼女はいないです」
「本当? 大谷君、すごくもてそうなのに」
「いや、僕なんかぜんぜんもてないです。それに……」
「それに?」
「いや、なんでもないです」
「会話の最初に“いや”ってつけるのは口癖?」
 彼女はまた微笑んだ
「あっ、そうなんですかね、気づかなかったです」
「お酒は飲む?」
「あっ、はい。じゃあ僕はビールで」
「わたしは日本酒にしようかな」
 そういうと彼女はビールと日本酒を注文した。
 前菜がテーブルに運ばれてきた。
「これはなんですか?」
「タケノコの木の芽和え。食べたことない?」
「はい、はじめてです」
 ちいさな山のように盛られたタケノコの上に鮮やかな緑の飾りの木の芽が乗っかっている。タケノコを一つ口に入れる。白みその甘みとだしの香りが口の中に広がる。少しだけ、緊張が解けたような気がした。
「あのね、わたし、なんか不思議なの」
「はい?」
「大谷君のこと」
「……」
「八歳も年下なのにね、すごく頼りがいがあるっていうか、安心感があるっていうか。仕事でよく一緒に組むでしょ。厨房とデッシャーで。大谷君と組む時は本当に安心なの。絶対に失敗とかしなさそうって。大谷君が休みでほかの人と組む時は実はあんまり仕事がスムーズにいってないのよ。知らなかったでしょう」
 確かに自分が休みの日のことは知らなかった。ただ、もう一人いるカフェの担当のバイトも自分と同じぐらい仕事のできる人間だと思っていた。なので、きっとうまく仕事をこなしているのだろうと思った。
「それでね、わたし、大谷君のこともっと知りたいなあって思ったの」
 彼女は恥ずかしそうに少しうつむき、再び顔をあげて、僕の目を見た。
「……」
 僕は何もしゃべれずにいた。なんて言っていいかわからなかった。彼女は僕に好意をもっているのだろうか? 恋人がいない男が彼女のような綺麗な人からこんなことを言われたら、素直にうれしく思い期待する。それが普通だろう。
 でも、僕は普通ではない。やはり信じられない。今までもずっとそうだった。ただ、彼女の言葉には彼女の笑顔には彼女の目には、今までの女性とは違う何かを感じていた。僕の心は混乱していた。綱引きのロープの真ん中についている赤いマーキングが中央のラインを行ったり来たりするように、彼女の魅力と僕のトラウマが力比べをしていた。
「僕も、田中さんと仕事で組む時はとても安心感があります」
 彼女は僕の返答に少し不満な様子だ。
「女性としてはどう思う? わたしのこと」
 彼女はこう言うと、僕の目を見つめた。
「……」
 綺麗な人だと思う。でも、積極的な彼女に対しての疑念もある。でも、心が吸い寄せられそうになる。
「僕、今まで一度も女性と付き合ったことがないんです。僕は女性を信じられないんです」
 僕は無意識のうちに口を開いてしまった。心の扉が開いた訳ではないが、窓に穴が開いてそこから本音が漏れてしまったようだった。僕はさらに続けた。
作品名:最後の日 作家名:STAYFREE