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ノンフィクション/失敗は遭難のもと <前編>

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  八合目7:10着、予定では4:40着だった。本八合の小屋までやっとの思いで辿り着いた。もう80%は下山のつもりでいたが、小屋の人の「荷物預かります」の言葉に引かれ、ザックを預けてしまった。もう、何があっても登らなくてはならない。

  背中の荷物が無くなり、空身になったものの、登るペースは5・6歩登って休む、休むとコックリ居眠りが出る。難行苦行には程遠いかも知れないが、歩く・休む・コックリの繰り返しで、山頂の鳥居をくぐった。まるで夢遊病者の様相だったのではないかと思う。

  お鉢を辿り、最高峰の剣が峰に。とうとう念願の富士登山を完遂することが出来た。が、その喜びを味わう余裕すら無かった。山頂のお鉢巡りは断念して下山する。もう頂上に何の未練も無かった。

  預けたザックを受け取り、またも須走口下山道を超特急で駈け下った。最後にひとこと「高山植物の群落あり」のメモが記されていた。

昭和62年8月16日(日)、夜行日帰りで歩く。   -第4話・終ー


第5話 山中に女性の悲鳴が・・[杓子山]

  小生の山歩き参考書・ガイドブックは、山旅ガイドの決定版・全コース詳細地図つき314コース「東京付近の山」541頁という、厚さ3cmもある分厚い本だった。

  最初のうちは、几帳面に1日1コースづつ歩いていた。でもその頃は、西多摩の都営住宅に住んでいたので、近場の山だと登山口までのアプローチが短縮出来るので、半日くらいで歩き終わってしまう。

  そこで思いついたのが縦走スタイル、一石二鳥にも三鳥にもなることが分かった。①隣り合った2コースをドッキングさせると、始めのコースの降りと二つ目のコースの登りがカット出来る。②2回分の交通費が1回分節約出来る。③体力は有り余っていたから、より充実した登山が出来る。もう言うこと無しのグッドアイデアだと思った。

  まず奥多摩・奥武蔵の山をこのスタイルで登る。次に目指したのは中央線沿線だった。手始めに選んだのは、富士五湖周辺の山の章で、日帰り・家族向きの「石割山(1,413m)」と、夜行日帰り・健脚向き「杓子山(1,598m)・鹿留山(ししどめやま:1,632m)」だった。

  石割山=東海自然歩道の一部になっているので、コースもよく整備され、短時間で登れるため家族連れによい。雄大な富士山と山中湖の眺めが楽しめるパノラマコース。

  杓子山・鹿留山=道志山塊の南端、石割山から西に続く尾根上にある山で、入山者も比較的少なく、静かで落ち着いた山行を楽しむことが出来る。山中湖と富士山、そして遠く南アルプスの眺めが素晴らしい。と解説されていた。

  これを机上登山すると、石割山の二十曲峠から天狗社までの降り約1時間と、杓子山の内野赤坂から立ノ塚峠までの登り約1時間30分、計2時間30分を歩かないで済む。

  あとは二十曲峠から立ノ峠までのジョイントにどれだけの時間が掛かるかである。地図で見る限り尾根歩きで、所要時間40分と見積もった。差し引き2時間弱の短縮になる。机上プランはこれまで、あとは実行あるのみである。

  この日の自分で作成したスケジュール表を見て、自分ながらビックリした。その歩行予定時間が、8時間35分と設定されていた。アノ頃は、こんなハードな日程を組んでいたんだぁ、と我ながら呆れるやら感心するやら・・。

  この時、平成2年10月、西多摩の都営住宅から飯能に転居して6年ほど経ったか? 八高線・東飯能駅を5:42発で発って、八王子・大月で乗換え富士吉田駅へ。次はバスで登山口になる「平野」バス停まで、9:14が歩行開始時間になっていた。

  この日は出掛けは曇っていたが、富士吉田に着く頃は晴れ間が広がり、バス待ちの時間に近くのビルの非常階段を上ると、なんと霊峰・富士山が間近に仰ぎ見られた。富士を見られただけで、ワクワク嬉しさが湧き上がってくる。

  まず、石割神社の鳥居をくぐり、登山開始である。いつもこの登山開始の瞬間、全身に身震いのような緊張が走る。グループで歩く時はこの感覚は感じないが、単独であることが、自分に気合とでもいうのか、覚悟を決めさせるのかもしれない。

  日程表に赤ペンで、単独2名、4人グループ2組・自転車グループ5名と記されている。同じコースを行く連中だろう。
まもなく目の前に巨大な岩が現れ、その岩の割れ目に小さな祠が祀られていた。それが石割神社で、此処までほぼ予定通りの所要時間。周囲は鬱蒼と茂る樹木で覆われていた。

  クマザサの中を登り、頭上に大きな鉄塔が見えてくると、もう石割山(1,413m)の頂上だった。山頂はさえぎるものが何も無い360度の好展望台だった。特に眼下に山中湖が見え、その向こうに堂々と聳え立つ富士山が、ドーンと眼前に迫ってくる。遥か南アルプスも眺望出来る。そして背後には、御正体山やこれから登る杓子山・鹿留山などが展望できた。曇でなく晴れて良かったと思った。

  石割山登頂10:25、予定より20分早い。10分間、富士山と対峙して休憩する。なんとも贅沢な時間である。自分の脚で登ったからこその満足感がある。

さて出発、気分良く山頂を辞したまではよかったが、またいつものポカをしでかしてしまった。山頂直下に送電線の鉄塔があり、其処が二十曲峠と御正体山への分岐点だった。山道は御正体山方向に真っ直ぐ続いていたので、スタスタと鉄塔下を通り過ぎてしまった。

  10分ほど歩いて、「御正体山⇒」の小さな道標を見て、仰天する。「またかよぉ」と独り言、地図は持っているものの、単独だと面倒でいちいち方向の確認を怠る悪い癖がある。これまで何回、痛い目を見てきたことか。折角登りで稼いだ20分が帳消しになってしまった。

  鉄塔下まで戻り、恨めしげに分岐点を眺める。「自分が悪いんだから仕方ないだろ」別の自分が皮肉たっぷりに囁く。峠への道は雑草がよく刈り取られ、手入れが行き届いた緩やかな降りコースだった。左手に富士山が見えて、どこまでも着いてくる。

  約30分ほどで、枝振りが素晴らしい大木の松が3本立つ「二十曲峠」に到着した。予定では到着11:30で、此処で1回目の昼食40分、となっていたが、実際には11:12着でまだ余力がある。ジョイント先の「立ノ塚峠」で昼飯とすることにした。

  この先は地図に破線があるものの、登山コースから外れている。くれぐれも注意を怠らないよう、自分自身に言い聞かし出発する。それでも最初のうちは、踏み跡がしっかりとついていて、行程がドンドンはかどる。「これは楽勝だな、イタダキィ!」と、もう鼻歌気分になっていた。周囲は背丈を越すほどのカヤトの原っぱだった。

  ところが現実はそう甘くはなかった。突然、目の前の踏み跡が消え、剥き出しの泥道? 幅2㍍ほどの土の道? 道じゃぁない、ブルドーザーが雑草を削り取った跡だ。仕方が無いからその土道を歩く。かえって少し歩きやすくなったかな?

  ところが、その削り跡は徐々に左にカーブして、斜面を下っていく。「オイオイどうなっているんだぁ」と思いながら、注意深く削った縁を見ていくと、「あったぁ」踏み跡がまた現れた。道は雑木林に入っていく。