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ノンフィクション/失敗は遭難のもと <前編>

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  標高3,776m、日本の最高峰「富士山」登山。山歩きを目指す人なら、一度は登ってみたい山の一つに数えられる秀峰でしょう。
  標高2,300mの五合目まで、登山バスが開通するようになり、富士登山はいっそう身近なものになってきた。

  代表的な登山口として、「河口湖口」と「富士宮口」の2ルートがある。そして20代の若き日、会社の草野球チームで富士登山が計画された。行程は夜行日帰り。

  若さに溢れていた自分だったが、身体のつくりが気圧の変化に順応しないのか、不眠で登った八合目の夜明け。砂礫に腰を下ろし、輝かしいご来光をうつろな眼で見る自分がいた。仲の良い仲間がしっかりと肩を抱いてくれていた。

  しかし、頭痛と倦怠感・無力感に山頂を目指す意欲は失せていた。同行を切望する仲間の思いを無下に振り切り、一人グループを離れた。あとは須走口下山道を、砂塵を蹴立てて一目散に駆け下るだけ。自分でも驚くほど走った。半分はズルズルと滑り落ちる感じ。お蔭で靴底が磨り減り、1足パーにしてしまった。

  それに不思議というか、自分自身が驚いたのは、どんどん標高を下げるにしたがい、それまでの頭痛や倦怠感が嘘のように消え失せて、正常の状態に回復していたこと。今までの苦しみはなんだったのか?山頂に恨めしいまなこを投げて、富士に背を向けた。

  その後、登山には一切興味を持たず、大事な青春は過ぎ去っていった。40代になって山歩きの素晴らしさに目覚めるまでは。

  その山歩きの素晴らしさを知ったのは、あまりにも有名な「尾瀬」だった。その山の原点「尾瀬」には、これまで都合10回近く通っている。

  40代の山歩きはもっぱら単独行で、恐い物知らずの神風登山が登山スタイルだった。途中の展望や草花には眼もくれず、ただ山頂の三角点にタッチ出来れば登山は終りだった。

  やがて、挑戦する標高が3,000mを越えるようになって、「高山病」の存在を知るようになった。そして、若き日の富士登山の挫折が「高山病」が原因だったことも知った。

  八ヶ岳連峰縦走で、主峰・赤岳山頂直下の「赤岳石室」に宿泊した時も、3,000mに満たない2,800mほどの標高なのに、あの忌まわしい頭痛に見舞われた。それで自分が高山病に弱い体質であることを確信した。

  その根源は「高血圧」である、と思った。人一倍頑健で体育自慢の自分が、唯一の弱点は親譲りの高血圧。若い頃は検診で、血圧が高いと判っても一切頓着しなかった。でも、気圧の低い高山に登ると、異常血圧になり頭痛などの症状が発症する。自己流診断の結果である。

  分かっていても止められない。48歳の時再び、単独での富士登山に挑戦した。行程は夜行日帰り、若き日のリベンジである。自分的にも山歩きで、一番油が乗り切っている時と思う。

  当時は飯能市に住んでいた。東飯能駅20:42発で、八高線・中央本線・富士急行線を乗り継ぎ河口湖駅23:26着。23:30発の富士急バスで約50分。小御岳神社のある新五合目に0:18着。この時の乗客は約40名ほどで、ほぼ満席だった。

  時期は8月中旬の真夏、なのに真夜中の新五合目でバスを降りると、ブルッと身震いするほど寒い。トイレを済ますとすぐさま歩行開始する。0:20。

  ヘッドランプの光を頼りに歩く。不思議なことに暗闇から次々と人影が湧き出すように現れ、行列が出来る。しばらく歩くと暗闇に眼が慣れてきて、ヘッドランプをOFFにする。晴れて皓々と光る月明かりだけでも十分に歩けた。

  それでもランプの明かりが、点々と列を成しているのが見える。毎年繰り返される「ナイト富士登山」。前年の真夏に、高尾山のナイトハイクで稲荷山コースを登った時、夜目にもはっきりと富士山の山腹をジグザグの明かりのラインがきらめいていたことを思い出した。

  登山道は東へ向かい、白樺林を横切り佐藤小屋・滝沢林道に通ずる道を辿る。途中、泉ヶ滝まで行くと案内板があり、右上に登ると雲海荘と登山指導センターがある。富士吉田の一合目からの道と合わせる。標高約2,500m。まだ1,300m近くの高度差を登らなくてはならない。

  出発点の新五合目からは「お中道」と呼ばれる、標高約2,300mレベルがコースで、比較的平坦な道だった。しかし、これより歩く「吉田口登山道」は、一直線に山頂を目掛けての登り一方。ただ上を目指しジグザグを繰り返しひたすら登る。アリの行列のように、誰よりも早くでなく遅くでない速さで。

  吉田口六合目0:55発、自分なりに作成したスケジュール表では1:30発になっている。すでに30分ほど快調なペースで歩いたことになる。これはすべて本人が承知の上のこと。計画段階では多少多めのタイムを設定すると、実際の歩行時間が確実に短縮され、それだけで凄く気分がいい。少しくらい疲れていても、登る意欲、高揚感を維持出来るのだ。

  今は気分爽快で快調、しかし難敵?富士山の標高が、これからどう影響してくるのか?七合目までは約1時間と見積もり、休憩10分を加え2:40到着を予想していた。到着2:00ジャスト、「いい調子だ」自分に言い聞かせる。

  しかし、此処で10分休憩と設定しているのに、何故か20分も休んでいた。折角此処までで40分短縮出来たのに、小休止で短縮時間が30分に逆戻り。前途に暗い影が・・・。

  休みながら周りを見回すと意外や意外、外国人の姿が多いのにビックリした。東洋人の見分けは出来ないから、西洋人の姿がやけに目に付く。外国語も飛び交っている。外人にも人気の山なんだ、と思った。

  七合目2:20発、これよりいよいよ鬼門の八合目に向う。登りの苦しさがいや増してくる。そしてあの忌まわしい頭痛がはじまった。更に加えて寒さと眠気が襲ってきた。頭の中に「敗退・撤退」の文字が浮かぶ。降れば即座に苦痛から解放されることを知っている。

  「何故、こんな思いまでして山に登るのか?」それでも登りたい。我慢に我慢を重ね、一歩一歩足を運ぶ。しかし眠い。もう目を開いていられない、目をつぶったまま歩く。足が重い、数歩進むと休みたくなる。足が前に出ない。立ち止まると居眠りをしている。

  登山道脇の低い石垣に寄りかかって休む。居眠りで頭を石垣にぶつけ、近くに居た人が驚いていた。こっちは頭が二重に痛い。

  山頂でご来光を拝むのが最高なんだろうが、八合目に到着しないうちに夜の帳が、徐々に黎明の明るさに変化して、とうとうご来光を迎えてしまった。

  そして全身に朝日を浴びるとその瞬間、身体に暖かさを感じた。そう、太陽の暖かさを身をもって実感していた。太陽のありがたさを改めて思い知らされた。

  これで責め苦の一つ、寒さが解消された。もう場所柄もわきまえず、道端の石垣の下にシートを敷いて寝てしまった。こうして約2時間、登山者の足音を子守唄にグッスリと眠った。

  起きてビックリ、なんと上にも下にも同じ格好で、道端に人が縦一列になって寝転んでいた。ビバークのきっかけを作ったのは自分か?と苦笑い。幸い寝て起きたら、頭痛も解消されて小康状態で嬉しかった。