ノンフィクション/失敗は遭難のもと <前編>
雑木林を抜けて、再びカヤトの原になると、なんとあのブルドーザー跡がまた現れた。しかも今度はめちゃくちゃにあちこちを削り取っていた。びっしりと茂ったカヤトの中で、断ち切られた踏み跡を探すことの難しさを改めて知った。
カヤトが削られた境目にしゃがみこんで、カヤトを順にかき分ける。時間は容赦なく過ぎていく。やっと踏み跡を探し出した。喜び勇んで踏み跡に踏み込む。が、なかなか思うように進めない。というのも、最近歩いている人がいないらしく、肝心の踏み跡がヤカトの茂みに隠されてしまっているから。
踏み跡は周りより少し窪みになっている。その窪みのラインを足先で探りながら歩く。うっかりすると、道を踏み外して戻る羽目になる。悪戦苦闘・・は、意外とあっさり終りを告げる。下り斜面になった途端、林道に飛び出していた。まさにカヤトの壁からポンと飛び出した感じ。立ノ塚峠だった。
峠から峠までたっぷり余裕をみて1時間と見積もっていたが、本当に1時間弱掛かってしまった。峠には小さな石地蔵と道標が立っていた。此処で昼食休憩とする。腹が空いているのも忘れていた。
この先はしっかりした登山道である。気持を入れ替えて午後の部の歩きを始める。カラマツとススキの原を緩く登る。標高1,432mのタキ沢の頭を過ぎると、登路は極端に斜度を増す。
普通の山なら、当然ジグザグで折り返し登る。だが此処は狭い尾根筋で左右は崖になっている。道は見上げるような直登だった。意を決して登り始めた。
その時、遥か頭上から女性の華やかな笑い声が聞こえてきた。「ウン?女性ハイカー?」何故か女性は苦手だった。でも見栄はあった。一本道だから必ずすれ違いになる。苦しい登りの途中で、「登り優先」のルールを知っていれば「どうぞ!」と道を譲られる。その時、息を乱しバテた姿を晒したくない。
立ち止まって呼吸を整える。滴り落ちる汗をタオルで綺麗に拭い去る。そんな間も、辺りを憚らず大声で談笑する声がどんどん近づいてきた。声の様子や応答する声、笑い声から4人づらいのグループとみた。ますます直ぐ頭上まで来た。歩き始めながら、上を覗くように見上げる。まだ見えない。
と、なんか様子がおかしい?声が少しづつ左にずれていく。「ウン?何故だ?」。こちらも元気溌溂で登っている。登山道は一直線のはずだ。声は相対的に早い速度で近づき、間違いなく別の道を歩いているらしい。
緑の茂みで姿が見えない声が、左上から今真横に来た。てっきり別の下山道があると早合点してしまった。たとえ出会っても、きっと一言も交わさず「コンチャス」と挨拶してすれ違うだけ。出会えずに残念だった、と思った。
直ぐ上に大きな岩が、道を遮るように立ちはだかっていた。一瞬「道が無い」と思った。よく見ると、岩を回り込むように踏み跡がある。岩の向こう側に出ると、一本のツルツルの斜面が下っていた。一目で雨水の通り道と判断した。
と、その時、女性の悲鳴が山中に響き渡った。「キャーッ!道が無い!」と。彼女達は話に夢中で、この斜面を降ってしまった。咄嗟にすれ違い状況を理解した。雨水の通り道を降り、断崖絶壁の上で行き詰まったと。
直ぐ「ヤッホー!」と声を掛ける。こだまのように女性の「ヤッホー!」が返ってきた。「そこは登山道ではありませんよー!」「・・・・」「下に向って左のほうへトラバースできますかァ!」しばし間があって「ハ~イ!行けま~す!」と。
先程とはまったく違う、声をひそめた話し声が伝わってくる。待った時間は1分だったのか、2分だったのか「アッ!道があったぁ!」という声が聞こえた。それだけだった。別にお礼の言葉が欲しかったわけではないが、彼女達は何事も無かったように、おしゃべりを再開して降って行った。一目も会うことなく、声だけのすれ違いだった。
あとは記したいことは何も無い。本日の最高峰「鹿留山(1,632m)」は、樹木が鬱蒼と茂った展望皆無の地味な山。「杓子山(1,598m)」は、石割山と同じ展望絶佳の気持ちいい山頂だった。
歩行タイムは9:12にスタートして、下吉田駅到着が16:42。休憩を含め都合7時間28分の道中となった。
そうそう、日程表の赤ペンでこんな書き込みがあった。下吉田に降り、雑貨店で牛乳を買ったら(アルコールを嗜まない自分は下山すると、牛乳やアイスが楽しみになっている)、80代になろうかと思うお婆ちゃんが、「腹が減ったかろう」と売り物のパンを2個もくれた。申し訳ないので、ジュースを追加で買った、とあった。そんなことすっかり忘れていた。
平成2年10月10日(水・祝)歩く。 -第5話・終ー
作品名:ノンフィクション/失敗は遭難のもと <前編> 作家名:おだまき