ノンフィクション/失敗は遭難のもと <前編>
細くなった尾根伝いに小さなピークを跨ぎ、降ってまた急坂を登る。最後の登りは木の枝につかまり、身体を引き上げる。左から強石登山道を合わせると、御岳山の山頂は目前にあった。
登頂11:00ジャスト、山頂では逆コースで来た10数名のグループに会った。本日の登山で、初めてで最後の人間だった。頂上でも相変わらずガスに覆われていたが、薄日が射した一瞬だけ、遠くの山々が展望できた。
時間は早いが、此処で昼食休憩40分とする。その間、ガスの晴れるのをひたすら待つ。しかし、晴れ間は登頂した一瞬だけ、その後その願いはとうとう叶わなかった。ガイドブックには、石の小祠が安置された小さな頂上からは、鋸歯状の両神山をはじめとして、奥秩父主脈の北面から奥武蔵の山々など、360℃の展望がほしいままである、と記されていた。その展望を見ることが出来なかった。残念!
ところが、ところがである。下山コースを降り始めて約10分、天空に青空が広がり始めたではないか、何故あと10分早く晴れてくれなかったんだ!今更登り返す意欲が湧いてこなかった。悔しい!
下りはもう鼻歌気分、山頂の未練をきっぱりと諦め、すたこらさっさである。秩父御岳山を開山したという普寛行者を祀った「普寛神社」に詣で、バス停のある落合に着く。12:40着だった。三峰口駅へのバスは13:30発。50分の待ち時間がある。
名物の「やへい饅頭」を土産に買って、駅に向って歩く。
大達原バス停で13:37発のバスに乗った。今回の失敗談は、たいした失敗ではなく、幸運の印象の方が大きかった。
昭和61年(1986年)4月27日(日) 歩く ー第2話・終ー
第3話 武田信玄の隠し金山? [滝子山]
列車が大月駅を過ぎると、右手の車窓に特徴のある三つの突起を持った「滝子山(1,590m)」が見えてくる。標高の割りには堂々と立派な山容で、一日の山として十分に期待に応えてくれる。そんなガイドブックのサブメッセージに惹かれて、駅から直接取り付ける「滝子山」を選んだ。
しかも、無謀にもあわよくばルートを繋げて「お坊山」から「笹子雁ガ腹摺山(1,358m)」までの縦走を企てる。その推定歩行時間10時間30分。今、思うと何故こんな途方も無いプランを思いついたのか、自分自身でも想像を絶する思いである。
でも、その時の自分は大真面目だったはず。梅雨のさなかなれど高曇りの早朝、家を出た。7:29、JR中央本線・初狩駅に降り立った。あいにくの霧雨になっていた。しかも目前に聳えているはずの山々も濃いガスでまったく見えていない。同じ列車で入山するのは自分ただ一人だった。
ガイドブックで紹介された登りコースは笹子駅から、大鹿川を遡るもの。自分は25,000図を勘案し、初狩駅から藤沢川を遡り、桧平を経由して山頂を目指すコースを選んだ。
藤沢集落から子神社を過ぎると、舗装路から登山道への入口がある。気温が低く、半袖シャツではちょっと寒いくらいだった。気負い立った自分は、ただがむしゃらに歩くペースを速めていた。あっと言う間に女性の2人組を追い抜いた。人に会えるとは思っていなかった。
林道から登山道に入ると、直ぐに下草の露払いで、下半身がびしょ濡れになる。それでも構わず高度を上げていく。雨具のズボンを着用する余裕もない、まだ山の歩き方も判らない未熟者だった。ひたすら乳白色の霧の中を歩く。
駅から約30分で登山口、此処から山頂までを約3時間と見積もっている。こんな時、いつも頭に浮かぶ言葉は「お前は辛い思いをして、何故山に登るんだ?」。自分の問い掛けに明快な答えが返ってこない。やっぱり永遠に答えが出ない命題なんだろうか?
森の中に、数羽の野鳥の鋭い囀りが鳴き交わされ、樹間に反響している。気持がシャキっとする思い。すでに銃砲の使用が解禁されているのか、2発の銃声が遠くから聞こえてきた。
その後の登りコースでのメモ書きが、スケジュール表に一切記されていない。濃厚な白いガスの中を、ただ淡々と登って行ったようだ。記憶など更に残っていない。
それでも滝子山(1,590m)登頂10:35と記されていた。登山口から2時間30分ほどで登った計算になる。まぁまぁ自分に納得の歩きかなと思った。その行程で出会った人はいなかったが、山頂で男性の2人組と女性の2人組に出会った。笹子駅からのコースを登ったのか?
登頂と同時に、頭上のガスが晴れて薄日が射し込んできた。此処で1回目の昼食とする。まだ先は長い、しっかりと腹ごしらえをしないと、途中でへばってしまう恐れがある。いつも山で食べる握り飯が旨い。
山頂直下の小さな鎮西が池は、更に小さな水溜りのよう。北に向う「大谷が丸(1,644m)」方面への道を捨てて、西への道を選ぶ。この道を真っ直ぐ下れば笹子駅に降りる。
途中、曲沢峠への分岐に入った、はずだった。しかし、このジャンクションはコースから外れた山道。マップにはたしかに破線が記されているものの、歩く人が皆無?なのか、まったくの密藪に覆われていた。身の丈を越すような藪をかき分けかき分けの前進となった。
目印の造林小屋は見当たらず、いつしか斜面を下るようになる。靴底に感じる感触も、フカフカと踏み跡の硬さではなかった。それにしても、初心者の単独行動は恐ろしいと思った。頭の隅で「間違った」と思っているのに、そのまま前進を続ける。自分から遭難しにいっている。
笹が多い降りのヤブ漕ぎは、意外と苦にならない。ズルズルと降っていく。やがて沢音がザワザワと聞こえてきて、大鹿川のせせらぎに飛び出した。澄明な水が流れているが、もちろん渡る橋など無い。川幅は5mほどか。浅瀬を選んで流れを渡る。
そして、川底を見てビックリした。なんと浅い川底が一面金色に光っていた。一瞬「砂金だ!!!!」と思った。何故か「武田信玄の隠し金山」が頭に浮かぶ。以前、雑誌で読んだ記憶がある。これは大変な発見をしたぞ!。もう道迷いのことも忘れて、舞い上がっていた。
今思うと、誠に恥ずかしい限りなれど、その時は真剣だった。自分は今、どうしたらいいんだ?。自問自答する。まず証拠の砂金を持ち帰ろう。ゴミ袋用のビニール袋を取り出し、金色に光る砂地の表面を掬い取る。
もう、お坊山・笹子雁が腹摺山への縦走など、頭から消失していた。大鹿川に沿って下山を開始していた。笹子駅に戻り早々と帰宅した。その帰路、自分なりに冷静に事態を分析してみる。
最初に思いついたのは、金の比重は他の鉱物より重いこと。川底の砂地なら、絶対に表面に剥き出しになるわけがない。その一事で砂金ではないと確信出来た。なんと欲深な浅はかな妄想に踊らされていたことか。穴があったら入りたい心境だった。
後日、鉱物に造詣の深い知人に、その時の状況を説明すると、「多分、雲母系の鉱物じゃぁないかな」と言われた。お粗末な山行になりました。
昭和62年6月28日(土) 歩く。 -第3話 終ー
第4話 高山病に苦しむ [富士山]
作品名:ノンフィクション/失敗は遭難のもと <前編> 作家名:おだまき