SFファンタジー 『異説・人類の起原』
何度も両手の甲と平をかえして穴の開くほど見つめる。そして腕まくりをしてみる。間違いなく若者の腕だった。次は、両手で顔を撫で回してみる。
慌てて洗面用具の中から、小さな手鏡を取り出し覗き込んだ。そこには、まさしく20歳前後のアダムが、驚いた表情を浮かべて映っていた。信じられないことに、いつの間にか彼は若返っていた。
≪エーッ! 何故! どうして!≫
一瞬、彼は自分の身に起こった、夢のような事態に再び我を失っていた。
しかし、すぐさま冷静さを取り戻し、長年培ってきた持ち前の洞察力を駆使して、自分なりの解釈を試みた。
≪若返りの可能性が考えられるのは、あの檜林の異次元空間ゲートを通過した時だな。どうやらあのゲートは、タイムトンネルでもあったようだ。最初はボロボロだった目印の赤テープが、徐々に新しくなっていったのが、若返りの証明だったようだ≫
それにしても、若返りが肉体だけにとどまったことは、アダムにとってこの上ない僥倖であった。これまで60年間に体験してきた記憶や、蓄積してきた豊富な知識は、そのまま彼の頭脳に残されていた。
自分なりに納得のいく結論にたどり着いたアダムは、我が身に降りかかった信じられないような事態も、<吉>として素直に受け入れていた。
第3章 ビバークとファーストコンタクト
手早く物足りない食事を済ませると、アダムはビバークの準備にかかった。
≪野宿かぁ、ずいぶん久し振りだなぁ。あの頃は俺も若かったな。若かったといえば、今も若返ったばかりだから同じことか?フフフ・・・≫
少しでも寝心地の良い場所にしようと手を動かしながら、血気盛んだった若き青春時代の露営の数々を思い起こしていた。初登攀の栄誉を勝ち得た岸壁では、どの壁でも必ずビバークを体験していた。
体を横に出来る棚があれば、そこはもう一流ホテルのベッドより上等な寝所だった。僅かに突き出た岩角に臀部を乗せ、体をザイルで岸壁に縛り付け、両足は空間に遊ばせたまま一夜を過ごしたこともある。全く凹凸の無いツルツルの一枚岩では、ハーケンに吊るしたハンモックにもぐりこみ、蓑虫のように丸まって夜明けを待ち焦がれたことも・・・。
それに比べ今夜の野宿は、花の香りに包まれた花の褥に休めるなんて、お棺の中ならご臨終の時体験出来るだろうが、生きて生花のベッドに休めるとは、なんと贅沢な話であろうか。
晴れ渡りどこまでも青い空に、いつしか白い雲が二つ三つ浮かんでいた。中天にサンサンと輝いていた太陽も、はや地平線の彼方にその球体を沈めようとしていた。見た目は数倍に膨れ上がったオレンジ色の太陽は、やはり以前のそれより幾分明るく感じられた。
青一色の空が、太陽を中心に燃え上がるようなオレンジ色に変化し、光のシンフォニーが始まる。刻々と変化する空と雲の色彩に、アダムはただ言葉も無く見惚れていた。太陽が完全に没すると、天空は明度を落とし、蒼から濃い藍に変わっていった。
突然のアクシデントの後、本能的な感情を押さえ、終始理知的に振舞ってきたアダムだったが、そのフェードアウトの中で、初めて堰を切ったような感情の嵐に襲われていた。空を見上げる両の目に涙が盛り上がってきた。
≪元の世界に戻れなかったら、俺は死んだも同然だ。もう永遠に誰とも会うことが出来ない!≫
感情の昂ぶりは、辺りを憚る必要が無いことも手伝って、手放しの慟哭にまで激していった。首から吊るした鎖の先のロケットを、服の上からぎゅっと握り締める。ロケットの中には、愛妻イブの顔写真と長い髪の毛が一本収められていた。
「イブッ!」号泣は心の底からの叫びとなって、薄暮のしじまを破った。常に冷静沈着な彼が、これほどの激情にかられたことは、未だかつて無かったこと。あるいは、若返ったばかりの若い肉体がそうさせたのかも・・・。
その叫び声は図らずも、この惑星に数億年も前に先着していた知的生命体の<耳>に届いた。すかさずその生命体から、脳波による触手が送られた。テレパシーによるファーストコンタクトである。
しかしその接触は、正面から堂々と名乗りを上げてのコンタクトではなく、当のアダムには全く感知出来ない形で、そっと忍び込む一方的なコンタクトだった。
アダム自身テレパシーの存在自体を全く知らなかったし、心の動転した心理状態では、頭脳に軽い電気ショックのような衝撃があっても、まるで気付く素振りすらなかった。
気付かぬままアダムは、脳内に蓄積された記憶データはもとより、アダム本人のDNAから生命の根幹に至るまでの情報を、謎の生命体に吸い取られていった。
しばしで平静さを取り戻した彼は、草花の褥にそっと仰臥し、夜空に星が煌めきはじめるのを千秋の思いで待った。今はなによりこの世界の星空が気になっていた。星が、星座の配置がどうなっているのか。星空が何かを示唆してくれるかも知れないと思っていた。
第4章 星座の思い出
「アッ! 一番星だ!」思わず声を張り上げた瞬間、若き子供の頃の懐かしい思い出が、はっきりと脳裏に蘇ってきた。近所の仲間達と遊び疲れた夕刻、一番星を誰が最初に見つけるかを真剣に競ったこと。そんなゲームでもアダムは、誰にも引けをとらなかった。
長じては血気盛んな青春時代、全身全霊を岩壁登攀に注ぎ込んでいた頃、真っ昼間というのに見上げた垂直の岩の彼方、紺碧の青空の中に星の瞬きをはっきりと見たことも・・・。
最初の星が見つけられたら、後は煌めく星粒を探し出すのは簡単だった。溶暗したシミひとつ無い空のキャンバスに、一粒の星が灯るのが合図となり、空の奥からジワッと滲み出るように星たちが現れ、キラキラと降ってくるのだ。そうなればもう夜空は、星たちの賑やかな社交場となる。
勢揃いした満天の星空は、アダムがひそかに期待していた通り、今まで見慣れた春の夜空そのものだった。まず、こぐま座のしっぽの先になる北極星を同定する。天頂近くに北斗七星を含むおおぐま座、その周辺に煌めくしし・こじし・やまねこ・きりん・りゅう・うしかい・りょうけん・おとめ等々、それぞれの星座が寸分の狂いも無く配置されていた。
≪ということは、独り善がりで勝手に想像を逞しくしていたが、事実はそれほど劇的な転移ではなかったのかも知れないぞ≫と、帰還への一縷の望みが出てきたことに、思わずニヤリと笑みがこぼれるのだった。
また、たとえアダムの想像通り、不本意で隔絶された世界に拉致されたとしても、宇宙的な位置は元の世界と同じ空間を共有した異次元世界といえる。相対的な距離の隔たりが無いと判明しただけでも、アダムにとっては精神的な慰めになってくれる。
見慣れた星空に慰められ、久し振りの北斗七星に会えたアダムは、忘れえぬ若き日の一場面をふつふつと思い出していた。
【若き日を回想する】
学生時代、当時の山岳界ではトップクラスと言われていた大学山岳部で、僕はその精鋭部員を束ねるチーフリーダーを務めていた。
作品名:SFファンタジー 『異説・人類の起原』 作家名:おだまき