SFファンタジー 『異説・人類の起原』
羅針盤の役目を果たしてくれる目印は、不思議なことに、登り進むにしたがい、その材質が明らかに、徐々に新しくなっていることに気が付いていた。そのことに意味があるのか?
最後の赤テープは、今付けられたばかりのようにピカピカだった。そして、檜林からの出口は目の前にあった。2度目の敗退の危機も、自らの才覚で見事乗り切ったという充足感を、胸いっぱいに感じながら、檜林を抜け出す。
第1章 遭 難?
アダムの目の前に別世界が広がっていた。里山の雪景色は雲散霧消して、目路のかぎり高山植物が咲き乱れるお花畑が、緩やかな起伏で続いていた。頬を撫でる風が爽やかで温かい。
慌てて後ろを振り返ると、今まで悪戦苦闘してきた檜林は跡形もなく消えて、明るいキミドリ色の新緑が光り輝く雑木林になっていた。なんと、人間が住む下界から、天上界とも見紛うばかりの楽園にテレポーテーション(瞬間転移)してしまったようだ。
突然の状況の激変に、アダムは対応すべき思考がついていけない。しばし言葉も無く呆然と立ち竦み、ユメのような風景を、見るともなく眺めていた。
「これが神隠し現象なのか?」最初に浮かんだ言葉。「此処は何処?」「俺はどこにいるの?」すべて疑問符がついた。
一見、元の世界と同じようでもあるが、何か判断材料がないか、周囲をつぶさに観察してみる。そして、それは頭上にあった。太陽はとても直視出来ないが、その太陽光線の輝きかたは、以前の太陽より強烈で若い感じがした。
≪ウソだろ! 他の惑星まで飛ばされた? イヤ、それは有り得ない。いかに宇宙広しといえど、ウリふたつの星が、そうざらにあるはずがない≫アダムの本能は拒否反応を示した。
アダムはまず、暑苦しさに我を取り戻し、ザックを下ろし雨具を脱ぎ、軽い衣服に着替えた。そうしながらも、彼の頭の中では、自分が今置かれている異常な事態・状況について、めまぐるしく思考が錯綜していた。
見渡すかぎりのお花畑には、微かな踏み跡ひとつ見つからなかった。アダムはまるで巨大な手によって運ばれ、お花畑のど真ん中にポンと置かれたようだった。この時はまだ、不安より好奇心の方が何倍も強かった。
≪どうやら時間だけはタップリあるようだ≫
アダムは、自分の乏しい知識を総動員して出した結論は、この体験がユメではなく現実のものだとしたら、広義での【遭難】だと思った。
宇宙の空間は無限で、今もなおそれぞれの銀河系は、猛スピードで拡散し続けているという。また、1個の惑星だけでも、無限の時空世界が存在するともいわれている。
今、こうして茫然自失の態で立ち往生しているアダム個人にとっても、その人生60年の間に無限の選択肢があった。そして、その選択肢一つ一つ全てが現実となった世界があったとしたら、これも無限にあると言うほかない。
たまたま隣り合わせていた、別の地球に迷い込んでしまったのか?。この世界にも自分と同一人物の<アダム>が存在するのか?。それより、この星にホモ・サピエンスが・・・。一旦回転しはじめた思考は、とどまることを知らない如く展開していった。
≪少なくとも、この星の大気が呼吸可能であり、生きていられることに感謝しよう≫と思った。
そんな錯綜した思考の果てにアダムは、フッと元の世界に残してきた家族のことを思い出していた。大きな山ならまだしも、近場の里山で突然蒸発でもしたように消息を絶った彼を、妻のイブはどう解釈し対処するのか。
35年前、二人が熱烈な恋愛の末結ばれた時から、山でのアクシデントにそれなりの覚悟は出来ているはずだったが、遺体が不明の失踪となると・・・。
警察や報道機関がどう反応するのか?『ベテラン登山家、遭難か?なぞの失踪か?』そんな新聞のタイトルが脳裏をよぎる。
彼が長年主宰してきた山岳会も、今では一人前に成長した2人の息子に譲っている。その息子、ユーキとフーマは必ず会の総力を上げて、アダムの捜索を指揮するはずである。
そして、仮にまだ雪が溶け残り、アダムの足跡を檜林の中で発見したとしても、捜索隊は正規の登山道を辿り、追跡してくるに違いない。忠実にアダムの踏み跡を踏襲しないかぎり、この世界への扉は永遠に開かれることは無い。
まさに檜林の出口で雪上に印された足跡が、突然掻き消えていく現場を目撃することになる。異常現象・空間への蒸発である。
第2章 若返った肉体
一刻を争うような非常事態の瀬戸際で、想像を逞しゅうするいつもの癖が出たことに、アダムは苦笑いを浮かべた。遭難同然の境遇に陥った自分は、今何をしなければならないかを考えてみる。
遭難時のセオリーとしては、無闇矢鱈と動き回るのは愚の骨頂とされている。まず、事態打開の手掛かりを求めて、移動するのは明日にして、今日のところはこの場所で一晩野宿するのが、賢明の策と考えた。それに、意識外ではあったけど、前の世界との接点から、離れたくない気持がはたらいていた。
気になる高度計を見ると、1,000mに届かない低い山に登ったはずが、数字は1,500mを表示していた。この数値は、この世界の気圧が、元の世界の気圧と同条件でなければ、何の意味も持たないことになる。
食料に関しては、いかにトレーニングとはいえ完全な冬山装備なので、行動食・予備食併せて3・4日は食いつなげると思った。いや、本気になればその倍は食い延ばせるはずだ。
それよりなにより彼が一番心配したのは、<水>の確保だった。通常、国内登山での飲料水は、現地調達が慣習になっていた。頼みの雪が無くなった今、生きていくためには水の入手が急務になる。
周りに繁茂している高山植物の花々を踏みにじるのは、いかにも心苦しいし、登山マナーにも反する行為になるが、突っ立ったままでの露営は不可能である。アダムは心で詫びて、花の上に座り込んだ。
ついでに辺りの植物を調べてみる。花はいずれも常に見慣れた花に間違いなかった。テガタチドリ・ミヤマオダマキ・タカネツメクサ・クルマユリ・タカネグンナイフウロ・ワタスゲ・ヒオウギアヤメ・タカネシオガマ・シロバナタカネビランジ・・・。
≪ンッ!シロバナ? タカネビランジはアオバナじゃなかったか?≫
改めて他の花の色も注意深く見直してみると、オダマキにしてもクルマユリにしても、全く今まで見たことも無い色合いをしていた。数ある高山植物の中で、特にアダムが一番好きな花、清楚で貴婦人のような気品を感じさせるミヤマオダマキが、此処では藍紫色の花をつけ、更に神秘的な雰囲気を醸し出していた。
≪これは大発見だぞ!≫と喜んだのも束の間、元の世界に戻れないのでは、単なる宝の持ち腐れであった。
徐々に平常心を取り戻したアダムは、明るいうちに食事を済ませることを思いついた。そして、ザックを開く自分の手の甲を何気なく見て仰天した。
年輪を刻み赤銅色に日焼けし、血管が浮き出してシミとシワだらけのゴツゴツした自分の手が、なんと健康的な肌色の若々しい手になっていた。まるで他人の手のようだった。
作品名:SFファンタジー 『異説・人類の起原』 作家名:おだまき