SFファンタジー 『異説・人類の起原』
◎プロローグ
10数年ぶりという大雪に見舞われた翌日、アダムは大袈裟な冬山装備で家を飛び出した。いつも冬枯れの今時は、極上の登山靴だろうが、真っ白に土埃にまみれてしまう近郊の山々も、今日ばかりは高山並みの雪山に大変身しているはずだから。
そのまだ誰の足跡も印されていない処女雪に、自らのあしあとを刻みながら歩く快感に思いを馳せ、もう矢も盾もたまらない衝動に駆られていた。それに冬山トレーニングの絶好の機会でもある。
その日は、まるで台風一過のような快晴に恵まれた。そして目論見通り、まだ誰も踏み入った形跡が無い、まっさらな雪道がアダムの目の前に伸びていた。
ところが、ワクワクドキドキ喜び勇んだのも束の間、登山口に着いて愕然とする。なんと、登山道に沿って生い茂る、生垣のようなヤブに新雪がすっぽりと降り積もり、身の丈を越える雪の壁が、登山道を遮断していた。
一瞬<敗退>の言葉が脳裏を掠める。でも此処まで来て、目的の雪山を目の前にして、むざむざとシッポを巻いて戻るわけにいかない。しかも荒天ならまだしも、またとない晴天ときては<前進しかない>と自分に喝を入れる。
夏冬を問わず何時でも、たとえ予報で快晴が約束されていても、山中ではいつ天候が崩れるか分からないので、雨具は必携品としてザックの底に入っている。その雨具を引っ張り出し体に装着する。
頭にフードを被り完全防備の準備完了、忌々しい雪壁に突入を敢行する。懸命に泳ぐように、全身雪まみれでヤブを突破すると、森閑とした雑木林の斜面が、いつもと違う雪化粧で迎えてくれた。
面倒なので、雨具を着けたまま登攀を開始すると、突然異臭が鼻をつき、左上の急斜面から、何者かが踏み拉いた土を雪の上に撒き散らし駆け下り、山道を横切り右下の渓流へ一直線に踏み跡を残していた。その悪臭から、瞬時に<野生のイノシシ>と判断した。
それも臭気の強さから、ほんの直前の出来事らしい。鉢合わせしなくてよかったと思った。しかし、たとえ野獣のイノシシが出現したとしても、アダムの逸る気持を殺ぐ力にはならなかった。
わずかに、小鳥や小動物の足跡だけが点々とする純白の雪道を、ザクッザクッと心地良い踏み音をたてながら歩を進める。振り返ると、自分が印した二条の踏み跡が、クッキリと残っている。
常緑樹の植林帯に入ると、大気まで凍りついたような静寂が広がり、自分の心臓の鼓動が聞こえてくるほど。ドームに覆われた感じの高い梢の隙間から、幾筋もの光の箭が斜めに射し込んでいる。
目の前に風も無いのに雪片が舞い落ちてきた。訝しげにドームの天井を見上げると、あちらこちらの梢から、厚く降り積もった雪が太陽の熱に暖められ、バランスを崩してサラサラッと落下していた。
その時、思いもかけない幻想的なシーンが目の前に現出した。光と影で構成された空間が、ミクロのダイアモンドでもばら撒かれた如くに、キラキラと輝きはじめていたのだ。
突然の出来事に、しばし呆然と立ち尽くし見惚れていた。その後に大きな感動の波が沸きあがってきた。
極寒の北国で観られるというダイヤモンドダスト現象は、テレビの映像でしか見たことがないが、クッキリと陰影のある舞台での現出は、この場所この瞬間だけではないか.....と思った。
感動のあまりカメラを出すのも忘れてしまったアダムは、この時ほど奇現象の目撃証人として感激を共にし、幸運を分かち合う仲間の居なかったことが悔やまれた瞬間は無い。
興奮冷めやらぬ思いで、何度も後ろを振り返りつつ登攀を続ける。アダムの山歩きスタイルは、決して急がず慌てず一定のリズムで足を運び、斜度に応じて歩幅を変える。このリズムが、たとえ熟年者であっても休憩をとらず、長時間の登山コースを完歩するコツになる。
しかし、初めて視界が広がり展望がきく高みに出た時、思わず歓声を上げ足を停めるしかなかった。眼下には盆地になった町が箱庭のように広がり、雪化粧した甍の波と、四方を取り囲む銀嶺が眩いばかりに光輝いていた。急ぐ旅でもなし、迷わず此処で一本立てる(休憩)。
*昔、山小屋に物資を運ぶ歩荷(ぼっか)さんが、大きく重い荷を背負ったまま一息いれる時、使用していた杖を背負い荷の底につっかい棒として使い休憩したことから、山歩きで小休止する時は『一本立てる』と言うと聞く。
切り株に腰を降ろし、バーナーで雪を融かし湯を沸かす。自分好みにブレンドしたコーヒーを入れる。馥郁とした香りに包まれ、熱いコーヒーを啜りながら眺望を満喫する。至福のひと時である。改めて、このコースを選んだ自分の読みに、間違えがなかったことを喜ぶ。
再び登行を開始したアダムの前に檜林の植林帯が、ゆくてを遮るように現れた。ルートの雪道を辿り、林の中に踏み込む。思わず立ち止まってしまった。何故なら、登るべきルートがぷっつり消えていたから。
檜林は30度ほどの斜面で、樹木は等間隔の升目状に植林され、その斜面に降り積もった雪が、山頂に導いてくれるはずの道形を完全に隠していた。此処までは、たとえ雪の上からでも、U字形になったルートがはっきりと判別出来たし、全く気に掛けることもなくやってこられた。
それが、突然のルート消滅で一瞬、頭の中が真っ白になる。大袈裟でなく、本日2度目の<敗退>の危機だった。
しかも、今回ばかりは力任せに押し通るわけにはいかない。ただ闇雲に突っ込んだからといって、道が開けるものではない。必死にルート解明の糸口を探す。そして、見事その糸口を発見した。
整然と立ち並ぶ檜の中で、数本斜め上の下枝に、色褪せ古びた赤いテープが、ヒラヒラと舞っていた。「赤エフだ!」と思わず声を上げてしまう。
一般の登山コースの迷い易い場所には、地元山岳会などの有志によって、ルートを示す目印が必ず付けられている。岩石帯には、赤や黄ペンキで⇒印や×印が直接岩に明記されている。樹林帯には、樹の幹や枝にビニールの赤テープなどが巻かれていて、正規の道の所在を教えてくれる。
ただそのテープが、いかにも年代を感じさせる代物だっただけに、いつ頃付けられたものか、ちょっと気になった。
ルートさえ判明すれば、もう恐いものは無い。道筋がどうなっていようがお構いなしで、その樹を目掛けて一直線に、雪を蹴立てて突き進む。
斜面は幸い下生えが少なく、腐葉土で多少フカフカと歩きにくいが、道を外して歩いても、雪が全ての道徳心を抹消してくれる。
赤エフの付けられた樹の下に立つ。今、足の下に登山道がある。「さて、次は?」と目印を探す。「あった!」今度は難なく逆方向の樹幹にその印を見つけた。
こうなると、もう無我夢中で同じ行動を繰り返していく。フト後ろを振り返ると、自分の辿ってきた跡が、ジグザグ模様ではっきりと見てとれる。
もし、後ろから登ってくる人がいたとしたら、アダムの踏み跡を見てどう思うだろうか? まるで道無き道を彷徨い歩いている遭難者?と思われるかも・・・。
10数年ぶりという大雪に見舞われた翌日、アダムは大袈裟な冬山装備で家を飛び出した。いつも冬枯れの今時は、極上の登山靴だろうが、真っ白に土埃にまみれてしまう近郊の山々も、今日ばかりは高山並みの雪山に大変身しているはずだから。
そのまだ誰の足跡も印されていない処女雪に、自らのあしあとを刻みながら歩く快感に思いを馳せ、もう矢も盾もたまらない衝動に駆られていた。それに冬山トレーニングの絶好の機会でもある。
その日は、まるで台風一過のような快晴に恵まれた。そして目論見通り、まだ誰も踏み入った形跡が無い、まっさらな雪道がアダムの目の前に伸びていた。
ところが、ワクワクドキドキ喜び勇んだのも束の間、登山口に着いて愕然とする。なんと、登山道に沿って生い茂る、生垣のようなヤブに新雪がすっぽりと降り積もり、身の丈を越える雪の壁が、登山道を遮断していた。
一瞬<敗退>の言葉が脳裏を掠める。でも此処まで来て、目的の雪山を目の前にして、むざむざとシッポを巻いて戻るわけにいかない。しかも荒天ならまだしも、またとない晴天ときては<前進しかない>と自分に喝を入れる。
夏冬を問わず何時でも、たとえ予報で快晴が約束されていても、山中ではいつ天候が崩れるか分からないので、雨具は必携品としてザックの底に入っている。その雨具を引っ張り出し体に装着する。
頭にフードを被り完全防備の準備完了、忌々しい雪壁に突入を敢行する。懸命に泳ぐように、全身雪まみれでヤブを突破すると、森閑とした雑木林の斜面が、いつもと違う雪化粧で迎えてくれた。
面倒なので、雨具を着けたまま登攀を開始すると、突然異臭が鼻をつき、左上の急斜面から、何者かが踏み拉いた土を雪の上に撒き散らし駆け下り、山道を横切り右下の渓流へ一直線に踏み跡を残していた。その悪臭から、瞬時に<野生のイノシシ>と判断した。
それも臭気の強さから、ほんの直前の出来事らしい。鉢合わせしなくてよかったと思った。しかし、たとえ野獣のイノシシが出現したとしても、アダムの逸る気持を殺ぐ力にはならなかった。
わずかに、小鳥や小動物の足跡だけが点々とする純白の雪道を、ザクッザクッと心地良い踏み音をたてながら歩を進める。振り返ると、自分が印した二条の踏み跡が、クッキリと残っている。
常緑樹の植林帯に入ると、大気まで凍りついたような静寂が広がり、自分の心臓の鼓動が聞こえてくるほど。ドームに覆われた感じの高い梢の隙間から、幾筋もの光の箭が斜めに射し込んでいる。
目の前に風も無いのに雪片が舞い落ちてきた。訝しげにドームの天井を見上げると、あちらこちらの梢から、厚く降り積もった雪が太陽の熱に暖められ、バランスを崩してサラサラッと落下していた。
その時、思いもかけない幻想的なシーンが目の前に現出した。光と影で構成された空間が、ミクロのダイアモンドでもばら撒かれた如くに、キラキラと輝きはじめていたのだ。
突然の出来事に、しばし呆然と立ち尽くし見惚れていた。その後に大きな感動の波が沸きあがってきた。
極寒の北国で観られるというダイヤモンドダスト現象は、テレビの映像でしか見たことがないが、クッキリと陰影のある舞台での現出は、この場所この瞬間だけではないか.....と思った。
感動のあまりカメラを出すのも忘れてしまったアダムは、この時ほど奇現象の目撃証人として感激を共にし、幸運を分かち合う仲間の居なかったことが悔やまれた瞬間は無い。
興奮冷めやらぬ思いで、何度も後ろを振り返りつつ登攀を続ける。アダムの山歩きスタイルは、決して急がず慌てず一定のリズムで足を運び、斜度に応じて歩幅を変える。このリズムが、たとえ熟年者であっても休憩をとらず、長時間の登山コースを完歩するコツになる。
しかし、初めて視界が広がり展望がきく高みに出た時、思わず歓声を上げ足を停めるしかなかった。眼下には盆地になった町が箱庭のように広がり、雪化粧した甍の波と、四方を取り囲む銀嶺が眩いばかりに光輝いていた。急ぐ旅でもなし、迷わず此処で一本立てる(休憩)。
*昔、山小屋に物資を運ぶ歩荷(ぼっか)さんが、大きく重い荷を背負ったまま一息いれる時、使用していた杖を背負い荷の底につっかい棒として使い休憩したことから、山歩きで小休止する時は『一本立てる』と言うと聞く。
切り株に腰を降ろし、バーナーで雪を融かし湯を沸かす。自分好みにブレンドしたコーヒーを入れる。馥郁とした香りに包まれ、熱いコーヒーを啜りながら眺望を満喫する。至福のひと時である。改めて、このコースを選んだ自分の読みに、間違えがなかったことを喜ぶ。
再び登行を開始したアダムの前に檜林の植林帯が、ゆくてを遮るように現れた。ルートの雪道を辿り、林の中に踏み込む。思わず立ち止まってしまった。何故なら、登るべきルートがぷっつり消えていたから。
檜林は30度ほどの斜面で、樹木は等間隔の升目状に植林され、その斜面に降り積もった雪が、山頂に導いてくれるはずの道形を完全に隠していた。此処までは、たとえ雪の上からでも、U字形になったルートがはっきりと判別出来たし、全く気に掛けることもなくやってこられた。
それが、突然のルート消滅で一瞬、頭の中が真っ白になる。大袈裟でなく、本日2度目の<敗退>の危機だった。
しかも、今回ばかりは力任せに押し通るわけにはいかない。ただ闇雲に突っ込んだからといって、道が開けるものではない。必死にルート解明の糸口を探す。そして、見事その糸口を発見した。
整然と立ち並ぶ檜の中で、数本斜め上の下枝に、色褪せ古びた赤いテープが、ヒラヒラと舞っていた。「赤エフだ!」と思わず声を上げてしまう。
一般の登山コースの迷い易い場所には、地元山岳会などの有志によって、ルートを示す目印が必ず付けられている。岩石帯には、赤や黄ペンキで⇒印や×印が直接岩に明記されている。樹林帯には、樹の幹や枝にビニールの赤テープなどが巻かれていて、正規の道の所在を教えてくれる。
ただそのテープが、いかにも年代を感じさせる代物だっただけに、いつ頃付けられたものか、ちょっと気になった。
ルートさえ判明すれば、もう恐いものは無い。道筋がどうなっていようがお構いなしで、その樹を目掛けて一直線に、雪を蹴立てて突き進む。
斜面は幸い下生えが少なく、腐葉土で多少フカフカと歩きにくいが、道を外して歩いても、雪が全ての道徳心を抹消してくれる。
赤エフの付けられた樹の下に立つ。今、足の下に登山道がある。「さて、次は?」と目印を探す。「あった!」今度は難なく逆方向の樹幹にその印を見つけた。
こうなると、もう無我夢中で同じ行動を繰り返していく。フト後ろを振り返ると、自分の辿ってきた跡が、ジグザグ模様ではっきりと見てとれる。
もし、後ろから登ってくる人がいたとしたら、アダムの踏み跡を見てどう思うだろうか? まるで道無き道を彷徨い歩いている遭難者?と思われるかも・・・。
作品名:SFファンタジー 『異説・人類の起原』 作家名:おだまき