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プリンス・プレタポルテ

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 長い髪を撫でていた手を少女の頬にあて、アーネストは蕩けそうな顔で微笑んだ。
「さぁ、マリアン。城に帰ろう」
 かさついた大きな掌の中でしばらく身を強張らせていたベアトリスは、静かに彼の手を取った。その時浮かべた笑顔の既視感の正体に、グレゴリオが思い当たったのは、帰路につく恋人達に羨望を覚えたからかもしれない。普段ならば、こんなにもセンチメンタルな感情は、派手なショーの喧騒にかき消されて、存在すら忘れているのに。
「ええ、帰りましょう」
 父親のような年の男の手を包むベアトリスの微笑みは、グレゴリオの妻が普段浮かべるものと瓜二つだった。
「誰の飛行機だい」
 ベアトリスの肩に腕を回し、アーネストは不安気に首をかしげてみせた。
「ついさっき、ランスキーがこっちに来た。話を聞いた彼が、使ってくれと」
「礼を言わなきゃな」
「いいさ」
 グレゴリオは優しく首を振った。
「早く行け。また取り残されるぞ」
 悪戯が見つかった子供のように首を竦めて笑みを漏らしたアーネストは、それから一度もホテルを振り返らなかった。代わりに、ベアトリスが首を捻る。思いのほか成熟した目つきに虚を突かれる。そんな彼の瞳の揺れ動きすらもしっかりと捉え、彼女はうっそりと、唇に笑みを浮かべた。


 ハイヤーが視界から消えるまで、グレゴリオはその場に立ち尽くしていた。
「『時の過ぎ行くままに』か」
 いつの間にか隣に来ていたランスキーが、ニヤついて肩を叩く。
「よしてくれ。『そんな昔のことは覚えてない』だ」
 ため息を零し、背を向ける。
「やっぱり受けておけばよかったな、あの映画。ボギーなんかよりも、俺の方が似合ってると思わないか」
「どうだか。お前がやったら気障過ぎる」
 小柄な身の丈をせせこましく動かし、ランスキーは愉快そうに笑った。
「家に帰りたいだと?」
「ああ、いつにないホーム・シック」
「情けないこと言うな。もうしばらく、残ってもらわないと困る」
「何だと」
 大仰に嘆くと、ランスキーはますます笑いを深くした。
 あまりにもしっくりとくる感覚に、大きな驚きと小さな幸福がこみ上げる。ニューヨークの裏町。いつでも腹をすかし、世界に足を踏み入れることばかり考えていた時代。満たされるということを知らなかった分、素直で、貪欲で、急ぎ足だった。成功の味を知ってからは、全てが味気なく。