プリンス・プレタポルテ
15.アーネスト
初婚は26のとき。もちろん覚えているとも、リーザ。リヴァプールの港を出た船の上だ。エンジンの調子が悪くて、外海に出たのは、紫色の水面にオレンジの夕陽を落とし込んだ頃。湿気を含んだ風の気味悪さと、これから向かう新大陸への不安に胸が張り裂けそうだった私の目の前に現れた蝶々。薄いドレスは勿論、髪飾りから靴まで全て紺色に統一した君は、誰かが忘れていった白い麦藁帽、間違ってゴミ捨て場へ置き去りにされたピエタ像。雨上がりの雲を再び呼び寄せる海風に攫われるまま夕闇に溶けてしまいそうで、私は慄きを忘れて、手を伸ばしたのだ。染められた羽毛のストールから見え隠れする、蒼い爪とバーボンのグラス。勿論、君の策略には気付いていたけれど、それほどの危機を犯してでも、君の前に跪かねばならないという使命感に私は狩られた。それが間違いだとは思っていない。そう、今も私は君のことを愛している。君もそうなのではないだろうかと、信じている。だから遠慮会釈なく言ってくれ。歌手も言ってる通り”バーボン フロム ヘヴン”の要領で天に召された君は、この有様をどう思うだろうか。
最初から分かっていたのかもしれない。テーマは「探せば探すほど遠く離れる自己」、脚本は「愛はいつか必ず終わりを迎え、虚しいもの」、指令は「幸せになってはいけない、幸せにしてはいけない」。私の役割は、「有名になれ、同時に喪失しろ」と言ったところか。馬鹿らしい。最初から何も持ってなどいやしない。
水びだしのまま酒場の扉をくぐると、血気盛んな兵たちは既に程よく酔っ払っており、私の珍奇な格好と冒険譚に喝采を浴びせかけた。ハムレットにでもまつりあげられたような気分で、私が次々と彼ら好みの大言を吐くと、その度グラスに注がれるラム、これが本当のクバ・リブレだと、興奮はとどまるところを知らない。夜通し飲んで、気がつけば明け方。寄せ集め義勇軍の停滞は続いている。まだまだ、蟻のような行列がこの村から出立する気配はなさそうだった。
作品名:プリンス・プレタポルテ 作家名:セールス・マン