津波シェルターについて
加えて小さな集落だからコミュニティーがしっかりしているということもネックになる。これは先日の国会で石原慎太郎氏が隣組を作って助け合うといってたそのものだと思う。「隣近所声を掛け合い」と国会で質問していたが通常時とか時間に余裕がある時、避難し一息ついた後はそのコミュニティーは機能するだろうが、一刻一秒を争うときは反対にそれが災害を大きくすることは先の震災でお年寄りを助けに行って津波に巻き込まれなくなった方が何人もいるとおりである。
一番愛するのは家族でしょうし次いでご近所でしょうか、コミュニティーの絆が強いほど助けようとすると思うが、まずはそれぞれが一心に逃げなければならないのだが「助けて」といわれると見捨てられなく、その言葉が防水ドアを締める判断を阻害し全員が災害に巻き込まれるのではないか。
地下シェルターの場合津波の想定高さも所により10mを越すという。その水密ハッチを確実に閉めなければ地下シェルター内は見る見る漏水浸水し全員がお陀仏にもなる。簡単に水密ハッチというが10mの水深それもいつもメンテナンスを行う必要があり、閉め遅れたらこれまたお釈迦なのだ、いったい誰が責任もって閉めるのだろう。まして瓦礫に埋もれいつ救助に来てもらえるか分からない状況で本当のそこに留まれるのか?
この計画を立てた人に聞いてみたい、あなたはご自分の身内が血を流しながら何とか逃げ込もうとしている所に津波が襲ってきているそれを見捨てて他の人のためにドアを閉める勇気を持てるかと。非難を浴びても何も言わず、後に裁判に訴えられても「ああ、私は締めるよ」と十字架を背負える人が一体何員いるだろうか?と思う。自分が助かりたければ他が残っていようが扉を閉めロックするし、反対に逃げ込みたければ開けて貰おうとするのが人の生存欲というものなのではないか。
計画した人間、考えた人間はまずそういう経験をしたこと無い、机上の計画であることは直ぐに分かる。それどころか住民を助けると口で言いながら実は助けているのが土建やであり、何より自分の利権なのだとも思えます。自然の驚異はそんな容易い物ではないである。
今から20年ほど前の冬、ヨットで沖に出た。その時はクラブレースで運営の順番だったのだが天気が荒れる予報が出ていた。どうしようかなと考えているうちに一艇、また一艇と出航していきだした。まあスタートさせて後は帰ればいいかと軽い気持ちで雨の中私も出航したがこれがそもそもの間違いだった。駄目と判断したら周りに流されること無く止める勇気を持てばよかったのに出て行った。これも学んだことの一つである。 暫くは良かったが強烈な前線通過で予報どおり午後天気は大荒れ、後で気象台に問い合わせたら平均風速25m、波高は観測所で5mが7秒続いたとあったがそれどころではなかった。山のような波に襲われ堤防にぶつかった波は福島第一の映像宜しく大きなしぶきとなり立ち上がっていた。
うねりだけなら7mであっても艇速を落とせばまだ何とか成るが、これが崩れた水の塊りとなり巨大な横波に巻き込まれた私の船は、360度回転しセールを降ろしていたマストは折れた。どういう訳かラット(舵輪)にしがみついた私は水中では意外なほど冷静で船が起き上がるのも感触として感じられていた。大きな水の塊と一緒に何事も無く復元することが出来たがクルーは流された。周りはセールやロープは流れプロパンのボンベは飛び出し波に揺られ側舷を叩いておりそれは大変な状況であった。 とにかく落水したクルーを拾い上げるのだが、揺れる船でタラップを降ろしていても服が水を吸い簡単には揚げる事はできなかった。次いでセールやロープを回収すると機走で走っていたエンジンは船体が回転したため空気をかんで停止した。辺りには不気味な静けさ続き、波がどーんと打ちつける大きな音がしていた。
作品名:津波シェルターについて 作家名:のすひろ