空に消えた隊長
隊長は目に涙を溜めていた。屈強な男が目に涙を溜めていたのだ。友を想う涙だろうか。それとも自分を撃ってしまった後悔だろうか。おそらく、その両方だろう。
「なぁ、笹山。もうすぐ、この馬鹿げた戦争は終わる。俺にはわかる。日本の戦況は非常に不利だ。司令部の極秘入電を聞いた。広島に原子爆弾が投下されたそうだ。もう、日本はおしまいだ。日本の負けだ。笹山、貴様は堂々と日本へ帰れ。貴様は一人も殺しちゃいない。綺麗な血のまま日本へ帰れ。俺は貴様に敵を撃たせなかったことを今では誇りに思うぞ」
「戦争が終わったら、隊長はどうされるのですか?」
「俺か? 俺の体はどす黒い血で汚れてしまった。多くの敵を殺した。戦争だからと言って許されはしまい。俺は責任を取る」
その言葉に私はドキリとした。
「隊長、まさか自殺なさる気じぁ……」
「ふふふ、それは貴様が心配することじゃない」
隊長が私の方へ向き直り、微笑んだ。そして隊長の顔が真剣になった。
「笹山、これからの日本という大きな船を動かすのは、貴様たち若者だ。未来を、よろしく頼んだぞ」
隊長が私の手を固く握った。私も強く握り返した。
隊長の言った通り、程なくして日本は敗戦を迎えた。私はというと、正直安堵に胸をなでおろした。
その日、我々が隼に載って引き揚げるのは正午の予定だった。もう、この隼も今日を最後に永久に飛ぶことはないだろう。洋上に浮かぶ空母に主脚をついた時、その心臓の鼓動は止まるのだ。
隊長は朝早くから隼の整備に余念がなかった。最後の飛行と言っても僅かな距離だ。入念な整備など必要なかった。それでも隊長は油まみれになりながら、せっせと整備をしていた。
我々が宿舎で飛行までのひとときを休んで過ごしていた時、滑走路から隼のエンジンの轟音が聞こえた。
皆は何事かと一斉に滑走路へ飛び出した。
すると隊長の隼が今まさに飛び立たんとしているではないか。
「おーい、どうした! 何考えてるんだ!」
整備班長の声が響いた。だがそれは轟音にかき消されて隊長の耳には届いていなかっただろう。
私は隊長と目が合った。いや、隊長が私を見たのだろう。その目は、
「俺は責任を果たし、友のところへ行く」
と語っていた。
隊長機はゆっくりと滑走路を滑り出した。そして大空へと舞い上がると、左に大きく旋回し、やがて一つの点になり、見えなくなった。