毎日が記念日だって思うんだぼくのとなりにきみがいるなら
2013年7月 ポケットに孤独を入れていますからぼくの両手も行き場がないな
短歌をうたうことを、友人知人に話すと、たいていの場合顔をしかめる。でも、ぼくは、ストレスを抱える現代日本人にこそ短歌をおすすめしたい。ぼくは少し難しく考えていたのかもしれないが、短歌をうたう、最も根源的なエネルギーは自己満足でいいのだと思う。そして、その自己満足を得たとき、ストレスが発散される。
難しいこだわりなんて捨てて、自分のスタンスに沿って好きなように詠んでみよう。ぼくのスタンスは『なるべく平易な言葉で、想いを表した恋のうたをうたう』ということだ。
『「ねぇ見て」とオレンジ色の月を見るきみの頬しか目に入らない』
『ふうせんが誰かの手から逃げ出して飛んでゆくのをきみは見ている』
『好きなものばかりをきみに訊いたのはとにかく「好き」って言わせたいから』
『本当にひとってあたたかいのかな 確かめたいよ きみの体温』
そして、ぼくはぼくのスタンスの中で、『新鮮なメタファー』を含んだうたをうたえるようになるのを目標にしている。次の3首はそれを主に心掛けてうたったものです。天気以外の希望について、てるてる坊主に耳打ちをするというのは無駄なことのメタ的な表現で、そこにはそんな無駄なことをしてしまうくらい、だれかを好きになりたい気持ちが込められています。髪が伸びるというのは、心の傷が癒えることのメタ的な表現です。でも、それは元に戻ることとは違う事なんです。孤独が入っているのは本当はポケットではありません、そして行き場がないのは本当は両手ではありません。それぞれメタ的な表現としてうたっています。
『もう一度だれかを好きになりたいとてるてる坊主に耳打ちをする』
『きっともうきみの髪も伸びただろう元に戻ったわけじゃないけど』
『ポケットに孤独を入れていますからぼくの両手も行き場がないな』
ぼくはぼくのスタンスのために、意味性を排除しても仕方ないと思っている。それはつまり、ただただ説明のようなうたになるくらいなら、「意味はわからないけど、気持ちはわかる」と言ってもらえるようなうたの方がいいと思っているからだ。
『もう二度と純粋なんていらないしヴァレリーなんて信じないから』
『言えぬまま喉に詰まった感情が今でもぼくを苦しめるんだ』
『たばこでも吸えればいいのだけれどもやっぱりぼくは大人になれない』
※注:ポール・ヴァレリー 1890年頃から1940年頃活躍したフランスの詩人。
作品名:毎日が記念日だって思うんだぼくのとなりにきみがいるなら 作家名:桃井みりお