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桃井みりお
桃井みりお
novelistID. 44422
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毎日が記念日だって思うんだぼくのとなりにきみがいるなら

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2013年6月 真夜中の終わりにぼくが見たものは青い孤独と赤い憂鬱



 ぼくの短歌への試みのひとつに、『意味を超越しても伝わる感情』を表現することがある。一見意味がわからない歌であっても、その歌を詠ったとき、確実にぼくの感情はあって、それを直接表現しなくても、ぼくのその瞬間の感情が表現できるような歌を詠いたいと思っている。

 それは、『ただの説明』でしかない歌への、拒否反応だとも思える。ぼくは『ただの説明』のような歌を詠いたくない。『ただの説明』になることを避けようとする方法論の一つとして、意味を排除して表現するというものに挑戦してみた。


『午前二時ぼくの肩には音楽隊パレードはゆく風の吹く中』
『太陽ときみとぼくとのものがたりもう一度だけもう一度だけ』
『青いひかりに包まれて落ちてゆくのを感じてる「悲しくはない」』
『手のひらを色のない風痛いほど皮肉を込めて名前をつけて』
『目を閉じて弱い光を感じてる僕らのからだはつながっている』

 また、『新鮮なメタファー』を取り入れた表現をすることにも挑戦したい。
ぼくが『メタファー』として歌に込めたものを、読み手がどう受け取るかは、
いわば重要ではなく、ぼくがその歌を詠ったときの感情をその『メタファー』として歌に込めて詠うことで表現の種を蒔いて、読み手がその『メタファー』を受け取ったとき、芽を出すものだと思う。そして、読み手がどんな感情を読み取るかで、開く花が変わってくるものだと思う。

 その瞬間のぼくの感情を『意味のない』ような言葉に『メタファー』としての表現を持たせて、種を蒔くように歌に詠うことで、読み手のその瞬間の感情と重なり合って、その歌がその瞬間の歌になるんじゃないだろうかというのが、今のぼくの短歌で試してみたいことなのです。

『腕時計時間なんてどうでもいいぼくの台詞を教えてくれよ』
『ながいからながすぎるから切り取って意味のない言葉を聞かせてよ』
『きみの住む街には海がありますか?耳を塞いで目を閉じてみる』
『真夜中の終わりにぼくが見たものは青い孤独と赤い憂鬱』
『残酷なきみにもらった“かなしみ”にお願いだから名前をつけて』

                          2013年6月某日