毎日が記念日だって思うんだぼくのとなりにきみがいるなら
2013年5月 神様がいるかはわからないけれどきみの隣にぼくはいるから
わかりやすくストレートな言葉でうたうことを心掛けてみた。そしてなるべく感情を素直に表現することを心掛けてみた。限りなく平易な語彙でうたうことを心掛けてみた。それらはすべて、“伝える”ということを第一義に考えた結果です。『なんだか高尚なことをうたっているようだ』というようなうたは、せっかくそこに『高尚な』感性や思考があったとしても『なんだか』では仕方がない。だったら『バカみたいにわかりやすいけど、共感できるかも』
という感想をもらいたい。ぼくの気持ちが“伝わって”それがうたになっていることが大切だと思っている。
『「前髪を切りすぎちゃった」
「きみのことぼくは好きになりすぎちゃった」』
『「かわいいね」きみがしゃがんで花韮を愛でる世界にぼくは生きてる』
『神様がいるかはわからないけれどきみの隣にぼくはいるから』
『青い空黒いスニーカー宙返り明日は雨でも構わないんだ』
『新しい傘をきみが買ったから雨が降ってもぼくは嬉しい』
もっとも理想的なのは、平易な語彙を用いて、単純に感情を表現しつつ新鮮なメタファーを含んだうただと思っている。試みとしては面白いのだけど、まだまだぼくには技術的にも、感覚的にも捉えられていないのが実感です。これは、おそらくこれからもずっとずっとぼくの短歌に対するテーマとなっていくだろうと思っています。メタファーを用いるとき、そこには誰もが持つ共通体験のようなものが必要で、それを無視してしまうことは理解を遠退けてしまう恐れがある。しかし、その上で新鮮な表現のメタファーを見つけるということが大きな課題なのです。
『“いのち”とか大げさなこと言わないよただ温かいきみのふともも』
『きみの手がぼくのほっぺを温めるきみの手のほうが冷たいのに』
『きみという花がしおれてしまったらぼくの涙を全部あげよう』
『きみの手がぼくの背中を触ったら翼がはえてくるかもしれない』
『もしぼくが翼を持っても翔ばないよきみを連れて行けないのなら』
2013年5月某日
作品名:毎日が記念日だって思うんだぼくのとなりにきみがいるなら 作家名:桃井みりお