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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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「そなたの務めは俺の子を生むことだ。勘違いはせぬことだ。そなたはこの屋敷に下女奉公に参ったわけではない。この一年間、そなたは俺の側近く仕えることになる。その間は、そなたは他の誰の物でもない、この俺の所有に帰することになる。恋しい男の許に帰りたければ、一日も早く俺の子を身籠もるが良い。子が生まれた暁には、すぐにそなたを自由にしてやろう。だが、この屋敷を出るその日が来るまでは、二度と亭主はむろん他の男の名など呼ぶことは許さぬ。さよう心得おけ」
 感情の読み取れぬ眼で見つめられ、お民はうなだれた。先刻までの晴れやかな表情は一転して、嵐の前のような不穏さを帯びている。
 迂闊だった。この男の前で源治のことを持ち出すべきではなかったのだ。
 しかし、それより他に聞き捨てならぬことを言われたような気がする。
 今、この男は何と言った? お民に自分の子を生めと、それがこの屋敷にいる間のお民の務めなのだと言った。
 この男に触れられるだけならまだしも、自分がこの男の子を生まねばならない―と想像しただけで、お民は絶望と哀しみに心が張り裂けそうだった。
 たまらない嫌悪感と厭わしさが身の内を駆け抜けた刹那、お民は叫んでいた。
「私はそんな話は聞いておりません!」
 差配の彦六だって、そんなことは一切話さなかった。
「私は一年過ぎた後には、元どおりに徳平店に戻して頂けるのだとお伺いしていたのです。それなのに、私に旦那さまのお子を生めとは、どういうことなのでしょう」
 お民の眼に涙が溢れる。こんな男の前で泣くまいと耐えても、涙は堰を切ったように止まらず次々と溢れ出て、白い頬をつたい落ちた。
 そんなお民に対して、嘉門は事もなげに言い放つ。
「そちも存じておろう。当家にはいまだ嫡男がおらぬ。俺ももう三十六だ。良い加減に跡継を作れと周りが煩うてな。嫁を持つのが厭であれば、せめて側女でも持てと以前からせっつかれておったのよ。今回、やっと気に入った女が現れたのだ、そなたには是が非でも俺の子を、この石澤の家を継ぐべき男子を生んで貰わねばならぬ。そのように三門屋からも聞かされていたはずだが」
 今回、お民が嘉門の屋敷に迎えられるに当たって、三門屋は表には出てきてはいない。
 従って、お民もあの男と直接この件について話したことはなかった。
 しかし、二年前、三門屋から一度だけ、妾奉公の口を紹介された時、確かにそういえば、あの男はそんなようなことを口にしていた。石澤家には現在、後嗣がおらぬゆえ、妾探しをしており、その妾に嘉門の子を生ませることが石澤家の望みなのだと。
「ですが、私は―」
 あなたさまのお子など生みたくはないのです。
 そう言おうとしたお民に、嘉門が口の端を引き上げる。例の、彼の酷薄さを物語るような冷淡で、皮肉げな笑み。
「三門屋が申しておった。そなたは既に一度、子を生んだことがあるとな。子は幾つになる? 健やかに育っておるのか」
 お民は、涙を零しながら首を振った。
「亡くなりました。四年前に川へ落ちて―。遊びにゆくと言って出かけて、それきりでした」
 流石に息を呑む気配があった。
 嘉門が三門屋からどこまでお民の身上について聞き、知り及んでいるのかは判らない。
 だが、源治が二度めの亭主であることや、たった一人の子が最初の良人の子で、しかも既に亡くなっていることまでは伝えていないのかもしれない。
 結局、お民の身柄を石澤邸に送り込めば良いのであって、かえって余計なことまでは嘉門の耳に入れぬ方が良いと計算高い三門屋が判断したのかもしれない。
 大粒の涙をとめどなく流すお民をじっと見つめていたかと思うと、嘉門が何を思ったか近寄ってきた。
 嘉門は親指と人さし指でお民の頬を濡らす涙の雫を素早くぬぐい取った。
「そなたは俺の子を生むのがそれほどまでに厭か?」
 短い沈黙の後、嘉門が笑った。
「だが、子を喪った哀しみは、子を持つことで幾ばくかでも薄れよう。俺は喪った子を取り戻してやることはできぬが、新たにそなたに子を授けてやることはできる。俺の子を生むが良い、お民」
 初めて嘉門に名を呼ばれ、お民はハッと顔を上げた。再び皮肉げでもなく冷ややかでもない微笑を浮かべる男を、お民は茫然と見上げた。
 この石澤嘉門という男がよく判らない。どこまでも残酷で容赦のない、欲しい物を手に入れるためには手段を選ばぬ卑劣な男、そう思ってきたのに、この男は時折、こうして、まるで人が変わったかのごとく優しげな表情を見せる。
 お民が見つめていると、嘉門が眩しげに眼をまたたかせた。改めて室内をゆるりと見回し、最後に部屋の片隅の衣桁にかけてある小袖に眼を止める。
 朱塗りの衣桁には今にも飛翔せんとするかの白鷺のような一枚の小袖―山吹色の地に梅の花と菊が大胆に織り出されており、生地全体が絞りとなっている豪奢な逸品だ―。
 その黄金色(こがねいろ)の小袖をしばし見つめ。
「どうだ、気に入ったか?」
 嘉門が穏やかな笑みを浮かべ、問うた。
「この部屋は長らく使う者もおらず、調度なども新しいものではあったが年月も経っておったゆえ、すべてこの度、揃え直したのだ。足りぬもの、欲しい物があれば、何なりと申すが良い。そなたは女中ではない。ゆえに、ここにおる間は台所仕事も掃除もせず、ゆるりと過ごせば良いのだ」
 嘉門の優しげな笑みに励まされるようにして、お民は平伏した。
「お言葉に甘えて一つだけお訊ねさせて頂きたいことがございます」
「何だ、遠慮なく申してみるが良い」
「私は本当に一年後にはお帰し頂けるのでしょうか」
 刹那、嘉門の額に青筋が浮かんだ。
―私ったら、また―。
 お民は嘉門の烈しい形相に怯えた。酷薄な顔を見せるかと思えば、時にふっと春の陽ざしのようなやわらかさを見せる男、お民は嘉門の優しい笑みに、つい言わずもがなのことを言ってしまう。
 その度に、嘉門は怖ろしく不機嫌になるのだ。
「くどいッ。俺は約定を違(たが)えたりはせぬ。さりとて、先刻も申したように、そなたが俺の子を懐妊いたせば、たとえ一年が過ぎようとも、そなたを放免するのは無事身二つになってから後のことになろう。子ができねば、約束どおり今日より一年後には自由の身にしてやる。―何度も同じことは言わせるな」
 嘉門が立ち上がる。袴の裾を蹴立てるように荒々しい脚取りで出てゆく。その後ろ姿を手をつかえて見送りながら、お民の眼に新たな涙が湧く。
 たとえ、美々しい調度に囲まれ、身を綺羅で飾って贅沢な暮らしをしようと、お民があの男の側妾であることに何ら変わりはない。
 この華やかな部屋も文字どおり妾を住まわせるために予(あらかじ)め用意された場所、お民にとってはすべての自由を奪われて閉じ込められた美しき牢獄に他ならなかった。

 その夜、お民は初めて伽の相手を仰せつかった。
 夜五ツ(午後八時頃)、嘉門が本邸の方から訪れ、お民は離れの寝所―居間と控えの間と三間続きになった奥の小座敷―で嘉門と共に寝むのである。
 やってきた嘉門を両手をついて迎え入れる。いきなり手首を掴まれ引き寄せられる。
 冷たい手だ。まるで凍てついた光を放つ両の眼(まなこ)そのままに、ハ虫類を彷彿とさせるかのような冷たい手。