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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 ところが、いざ側女を探すと言っても、嘉門の気に入る女が見つからない。祥月院が身許もしっかりした眉目良き若い娘を伝(つ)てを頼って探し出し連れてきても、嘉門は見向きもしなかった。
―母上、私はもう上辺はいくら美しかろうと、心の冷たい、取り澄ました女はご勘弁蒙りまする。
 そう言って首を横に振るばかりで、話は進まない。祥月院はそれでもめげず、とりあえずはとまだ嘉門が側女を持つ前から、女を住まわせるための離れを建てさせたのだ。つまりは当の嘉門より母の祥月院の方が妾探しに意欲的であったといえよう。
 お民が与えられたのは、そのいわくつきの離れであった。小さいながらもちゃんとした座敷が三つ、納戸が一つ、更に厨房と湯殿までついた一軒家である。三間続きになった小座敷の一室がお民の居室のようで、八畳ほどの部屋の障子戸を開けると、広い庭が見渡せた。
 すぐ手前に紅梅の樹がひっそりと佇んでいるのが見える。可憐な薄紅色の花を一杯につけた樹が二月末の陽光に包まれていた。
 ふいにどこからともなしに鶯の啼き声が聞こえ、お民は弾かれたように面を上げる。啼き声は近くから響いてきているようだ。視線をゆっくりと動かすと、近くの紅梅の樹の枝に深緑色の小さな鳥が止まっていた。
 この鶯があのときと同じ鳥なのかは判らなかったけれど、半月前、和泉橋の近くで耳にしたときよりは、啼き方が上手くなっている。じいっと見つめている中に、ふと鶯と眼が合ったような気がした。黒い瞳をくるくると動かし、鳥は物言いたげに見つめている。
 お民が一歩前に向かって踏み出そうとしたその時、鳥はザッと梅の枝を揺らして飛び立った。その拍子に満開の花がはらはらと薄紅色の花びらを散り零す。
―待って、行かないで。
 お民は心の中で叫んだ。
 このまま自分を一人にしないで欲しい。こんな場所に閉じ込められる自分にとって、時折、気紛れに訪ねてくる小鳥だけが今は友達のような気がしてならなかった。
 そういえば、半月前に鶯の音(ね)を今年初めて聞いた。あの日、三門屋に行き、初めて石澤嘉門に出逢ったのだった。まるで値踏みするように、お民を底冷えのする眼光で射貫くように見つめていた男。
 あのような蛇のような眼をした男の許で本当にこれから過ごしてゆけるのだろうか。源治にも言ったとおり、これからの一年、自分が何をしなければならないのか、何のためにここに連れてこられたのかは覚悟しているつもりだ。
 しかし、それはそれとして、お民は自分にその瞬間(とき)与えられた場所で自分なりに力を尽くしたいと思っていた。他人(ひと)のために自分に何かできることがある―と考えること自体が思い上がりだと言われれば返す言葉もないけれど、それでも、自分でできることがあれば力の限り、相手のために働く、人とはそういうものだと思って、これまで生きてきたのだ。
 たとえ意に添わぬ日々を強いられることになっても、与えられた宿命(さだめ)を嘆き、毎日泣いてばかりいるのは、お民の性に合わない。
 お民がぼんやりと物想いに耽っていたその時、背後で襖の開く音がした。四季の花々を繊細な筆致で描いた襖にしろ、部屋にしつらえられた瀟洒な飾りつけ、調度などすべてが女主人を迎えるにふさわしい華やかな雰囲気である。
 お民自身も屋敷の門をくぐったときに身に纏っていた粗末な木綿の着物から、派手やかな紫色の地に桜の花が金糸銀糸で縫い取られた豪華な小袖に着替えさせられていた。石澤家に仕える女中たちの手によって美しく化粧を施され、きちんと結い上げたつややかな黒髪に朱塗りの櫛が映えている。
 お民が少し動く度に、櫛の傍に挿した桜の玉かんざしが揺れ、涼やかな音を立てた。明るい紫の着物を金色の豪奢な帯がいっそう際立たせている。
 ふいに入ってきた男を、お民は両手をついて迎えた。
 闖入者は大股で部屋を横切り、当然のように上座に座る。床の間にはこの季節にふさわしく墨絵で大胆に描かれた一輪の梅の花が掛軸として飾られている。その前にも白磁の大ぶりな壺に紅梅のひと枝が投げ入れられていた。
 床の間を背にしてどっかりと腰を下ろした嘉門は、感情の窺えぬ瞳でお民を見据えてきた。冷えた鋭い眼光に射竦められ、あたかも見えない鎖で身体を縛り上げられ、一切の動きを封じられてしまったかのようだ。
 男は少し距離をおいて座っているだけなのに、あまりの威圧感で金縛りに遭ったかのように身じろぎもできない。
 緊張と怖ろしさで、お民は小さく身を震わせた。
 と、フッと男が笑った。
「そんなに俺が怖いか?」
 身体の震えを止めようとしても止められない。お民が唇を噛みしめてうつむいていると、再び声がかかった。
「面を上げよ」
 それでもなお顔を上げようとせぬお民に少し苛立ちの混じった声。
「顔を見せろと申しておる」
 お民はハッと我に返り、咄嗟に顔を上げた。
 底光りを放つ視線が容赦なくお民を捉え、がんじがらめにする。
 あまりの恐怖に膚がザワリ、と粟立った。
 が、嘉門はお民をしばし見つめ、一瞬の後、かすかに眼を細めた。
「ホウ、見違えたな」
 満足げに頷くのに、お民は小さな声で呟いた。
「馬子にも衣装と申しますから」
 当人としては、はるか上座の男には聞こえぬとタカを括って言ったつもりだったが、どうやら耳ざとく聞かれていたらしい。
 愕いたように軽く眼を見開き、お民をまじまじと見つめた。
「俺が怖ろしくて、そのように震えながらも、相変わらず負けん気だけは強いようだ」
 揶揄するような口調だが、皮肉げな響きはない。来る早々、嘉門を怒らせてしまったかもしれないと蒼褪めたお民は、そのことにホッと胸撫で下ろした。
 今日の嘉門は半月前に初めて見たときほどの陰鬱な翳りは感じられず、機嫌も良いように見える。
 こうして間近で見ると、嘉門がなかなかの男ぶりであることが判る。殊に少し上向き気味に切れ上がった二重の瞳の形は良く、これがくちなわのように冷たい光を帯びていなければと惜しまれるほどだ。
 嘉門の表情がこれまでとは別人のように穏やかなのに勇気を得て、お民は躊躇いがちに切り出した。
「あの―、私は何をすればよろしいのでしょうか」
 嘉門の表情は変わらない。
 お民は懸命に続けた。
「どのような仕事でもさせて頂きますから、何でもお申しつけ下さい」
 相も変わらず沈黙の嘉門に向かって、焦って言う。
「私、お裁縫は苦手ですけど、こう見えても料理は少しは得意なんです。亭主も私の作った卵焼きは最高だって言ってくれるんです」
 言ってしまった後、お民はハッとした。嘉門の表情が見る間に険しくなったからだ。
「そなたは下女中のように皿洗いや庭掃きをする必要はない」
 形の良い眼(まなこ)をまた、あの冷え冷えとした光が覆った。