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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 引き寄せられるままに良人の逞しい胸に顔を埋(うず)め、お民は低い嗚咽を洩らした。
「もし、石澤って殿さまが約束を守らなかったら? 一年経っても、お前を自由にしてくれなかったら、どうするんだ?」
 耳許で囁かれ、お民は泣きながら言った。
「そんなことになったら、私は死にます。ずっと、お前さんと引き離されたままなんて、私は絶対にいや」
―そして、この現身(うつしみ)はこの世から消えてなくなっても、心だけはお前さんの許に還ってくるから。だから、ここで待っていて。
 声にはならない想いを込めて見上げると、源治が首を振った。
「死ぬな。どんなことがあっても死んじゃならねえ。俺はお前の帰りを待ってるから、ずっとずっと待ってるから」
―たとえ何年、別の男の傍で暮らそうと、俺はお前の帰りを待ってるから、必ず無事で帰ってこい。
 源治もまた、溢れる想いを込めて、お民を見つめる。
 夜が静かに更けてゆく中、二人はずっと無言で寄り添い合っていた。

     【参】

 石澤邸から迎えの駕籠がよこされるというのを断り、お民は一人、身の周りの品々だけを風呂敷包みにくるみ徳平店を出た。
 その日は二月最後の日の空気が身も凍るほどに寒い朝であった。
 差配の彦六は木戸口まで見送ってくれたが、他の長屋の住人はむろん、源治の姿はなかった。
 源治はその日、仕事にも出かけず家にいたのだが、最後まで何も言わなかった。ただ泣きそうな表情で出てゆくお民を見つめていた―。
 他の住人にしても、お民一人をいわば人身御供にして、自分たちの安寧が守られるといった気持ちが拭えないのだろう。その後ろめたさからか、誰もが中に引っ込んで出てこようとはしなかった。源治にしてみても、己れの女房一人を守れぬ不甲斐なき亭主だと自分を責めているはずであった。
 徳平店から和泉橋町の石澤嘉門の屋敷までの距離は知れている。一人、その道程(みちのり)を歩きつつ、和泉橋を渡ったその時、背後から脚音が追いかけてくるのに気付いた。
 振り向けば、橋の向こうに源治が荒い息を吐きながら佇んでいた。
―お前さんッ!!
 お民は心の中で叫び、良人に縋りつきたい衝動に耐えた。
 この小さな橋一つが今は二人を隔てている。果たして、自分はこの橋を再び渡って良人の許に帰る日が来るのだろうか。もしかしたら、二度と戻れぬかもしれない修羅の橋を今、自分は渡ったのだ。
 お民と源治は橋を挟んで、しばし見つめ合う。
 今日も川は穏やかに流れている。その川の流れにも似た静かな刻が流れる。
 やがて想いを振り切るように、お民が背を向けて歩き出す。
「―お民ッ、行くな」
 源治の悲痛な叫びが聞こえてくる。
 お民はついに一度も振り返ることなく唇を噛みしめ、ただ前だけを見つめてひたすら歩いた。
 四半刻ほど歩いた頃、眼前にいかめしい造りの重厚な門が見えてきた。
 まるでお民を威圧するかのように眼の前に立ちはだかるこの門の向こうに続く屋敷こそ石澤嘉門の住まいである。
 これから一年の日々を、お民はここで過ごすのだ。お民が想像以上に広壮な屋敷に気後れしながら門番に訪(おとな)いを告げると、すぐに門が内側から音を立てて開いた。
 躊躇いがちに一歩脚を踏み入れたお民の背後で、ギィーと軋んだ音を立てながら門が閉まる。何故か、それが二度と外の世界には戻れぬ予兆のような気がして、お民は思わず背後を振り返った。たった一つのこの門が、お民を外界から切り離し、この石澤の屋敷に繋ぎ止めようとしている。
 あの冷えたまなざしをした、皮肉げな笑みを刻む男の囲われ者になるために、自分はここに来たのだ。
 お民は改めて我が身の陥った境涯に想いを馳せ、込み上げてくる涙を瞼の裏で乾かした。
 同じその頃。
 和泉橋のほとりでは源治が寒空の下、一人、暗い眼で川の面を見つめていた。源治はまるで魂がさまよい出たように虚ろな顔で立ち尽くしている。
 その頬をひとすじの涙がつたい落ちた。

 石澤家は五百石取りの直参にふさわしい広壮な邸宅を和泉橋町の一角に構えている。屋敷は庭付きの立派なもので、庭には先代の主人、つまり嘉門の父が丹精したという四季折々の花が植わっていて、季節毎に訪れる者の眼を愉しませていた。
 その庭の片隅には離れがこぢんまりと建っている。数年前に建てられたその建物はいまだ使用されたことはなく、三間と簡単な煮炊きもできる厨房、更に湯殿までついたそこは離れというよりは、別宅のような佇まいすら見せていた。
 何年か前にその建物が新たに建てられた際、普請を任された棟梁は当主の母祥月院のための隠居所かと思った。が、当主嘉門はもう十三年前に妻を亡くし、母と二人きりの生活のはずである。
 この広いお屋敷に母一人子一人の暮らしに、わざわざ離れを建てて別居するとはお武家の方々のお考えになることは判らねえ、と、首を傾げたものだった。
 棟梁からしてみれば、これから建てる離れ一つでさえ、子沢山の夫婦が肩寄せ合って暮らす四畳半ひと間の家よりよほど広いのだ。
 しかし、この離れが棟梁の考えていたようなものでないことは直に知れた。この普請には当主の嘉門自らが熱心に当たり、棟梁にも直接あれこれと注文をつけたが、中でも彼を瞠目させたのは湯殿についての注文を受けたときのことだった。
―浴槽の隣に寝台を作れ。
 そう命ぜられた時、棟梁は眼をしばたたいた。
 相手の言葉の意味を計りかねたのだ。
―と、仰せになられますと?
―女一人が横たわれるほどの寝台を浴槽と同じ材質の檜(ひのき)で作るのだ。
 その時、棟梁は開いた口が塞がらなかった。
 好色な殿さまはこの湯殿で妾と戯れ合うことまで想定して、このような物を作れと命じたに相違ない。
―石澤さまが今度、妾を住まわせるための別邸をご本宅のある同じ敷地内に新たにお建てになったそうな。
 いつしか、そんな噂が真しやかに巷で囁かれるようになったのは、そのときからのことである。
 もっとも、興味本位の噂も嘉門が一向に肝心の妾を迎えようとしないせいで、ほどなく立ち消えになってしまったが。
 この棟梁は後に知ることになる。その時、離れを建てることに乗り気だったのは嘉門もさることながら、嘉門の母祥月院であったことを。時の老中という権力者を兄に持つ祥月院は親藩大名の姫君という高貴な出自を誇り、誰よりも一人息子の再婚には熱心であった。
 嘉門は一度、京の公家の姫君を正室に迎えている。むろん、これも母祥月院の働きかけがあってこそ実現したものに違いなかったが、権高で取り澄ました姫君は端から江戸の生活に馴染もうとせず、夫婦仲は冷淡なまま江戸に来て六年後に亡くなった。
 以来、嘉門は窮屈な結婚生活には辟易して、祥月院がいくら勧めてみても、妻を娶ろうとしない。このままでは石澤家の血が絶えると案じた祥月院は一計を案じた。妻を迎えるのが厭なのであれば、せめて側室を持つようにと息子に迫ったのだ。
 嘉門はこれにも最初は渋っていたが、しつこく母親に言われ、不承不承、その意を受け容れるに至った。