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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 石澤の屋敷の一室で、嘉門が祥月院と向き合っていた。
 ここは奥向きにある祥月院の居室である。
 居間と続きになった次の間は炉を切ってあり、ここで茶を点てて飲める茶室にもなっていた。
 祥月院が天目茶碗を嘉門の前に置く。点てたばかりの抹茶の馥郁とした香りが室内に漂った。
 床の間を背にした嘉門が軽く一礼し、茶碗を手に取る。床の間には紅葉の樹とその下で戯れる雀が色鮮やかに描かれている。
 掛け軸の手前の備前には石蕗がひと枝。
 落ち着いた備前焼きの花器に、石蕗の黄色がよく映えている。何もかもが計算し尽くされた上での調和の元に成り立った美しさがこの部屋にはあった。
 我が母ながら、これほどの教養を備えた婦人であるのに、何ゆえ、母の心は凍りついてしまったように冷淡なのだろうかと訝しく思わずにはいられない。
 それは恐らくは、母の不幸な結婚によるところが大きいだろう。
 嘉門の父方の祖父―石澤家の先々代当主と先老中松平親嘉(ちかよし)とは身分を越えた友であった。若い砌、同じ道場、学問所に通い、共に切磋琢磨した間柄であったともいう。二人は酒を酌み交わしながら、他愛もない約束を交わした。
 即ち、互いの倅と娘を長じた暁には娶せるというものだった。石澤琢磨(たくま)兵衛(ひようえ)―嘉門の父と母祥月院の婚約は二人が物心つく前から既に定められたものだった。
 母は親藩大名の姫君として、かしずかれて育った。若い頃から権高で、身分が何より人を決めるのだと信じて疑っていなかった。
 そんな母にしてみれば、大藩の藩主にして老中の娘、将軍家とも縁続きというやんごとない身分に生まれながら、直参御家人とはいえ、はるかに格下の五百石取りの一旗本に嫁ぐのは屈辱に他ならなかった。
 とはいえ、父の命であれば、従うしかすべはない。かくして、藤姫と呼ばれていた母は十六で十九だった父に嫁いだ。
 二人の結婚は最初から失敗だった。父は我が儘で気位の高い妻に辟易し、新婚の夢覚めやらぬ頃から側室を持ち、子を孕ませた。
 幸いにもその側室の生んだのは姫であったため、正室である母の立場は脅かされずには済んだ。その一年後、母は待望の男児を授かる―それが、嘉門だった。
 ところが、嘉門の誕生と同じくして、その側室もまた男子を生んだ。母は父の愛を奪ったその女と子を憎んだ。もっとも、その側室と生まれた子の死は、あくまでも病死ということになっている。
 側室は産後の肥立ち良からず亡くなり、生まれた赤児―嘉門にとっては生きていれば異母弟になる―も生後二ヵ月で生母の後を追うように亡くなった。
 が、当時から忌まわしい噂があった。嘉門の母、つまり正室が父の寵愛を独占する側室とその子を呪詛したという怖ろしい噂だ。
 噂の真実は判らない。その側室の残した姫、即ち嘉門にとっては異母姉は、その後、十三で亡くなった。十のときに既に縁づき先も決まっており、来年には婚礼を控えての病死であった。
 儚げな風情の、優しい美しいひとだった。嘉門にも弟としての情愛を注いでくれた。
 だが、母がその義理の娘に事ある毎に辛く当たっていたのを、嘉門は知っている。
 姉姫に仕えていた侍女の中には、
―姫さまは奥方さまにいびり殺された。
 そう言っている者もいた。
 両親の間はついによそよそしいままで父は逝き、嘉門は十五歳の若さで家督を継いだ。
 母自身がそうであったように、母は嘉門の幼い中から結婚相手を決めた。
 相手は京の都の姫。権中納言家の姫で、これも母の実家松平家のつてで決まったものだ。
 父は生前、何かにつけては実家の威勢を鼻に掛ける母をたいそう嫌っていた。
 そして、結局、母が息子の伴侶にと選んだ姫もまた、母のひな形のような女であった。天皇家の血をも引く高貴な血筋と都人であるという誇りを持つ公卿の姫君は、気位ばかり高くて何の面白みもない、つまらないだけの女であった。
 父と同様、嘉門の結婚も失敗に終わる。十七で娶った妻とは打ち解けぬまま、妻は十年後に亡くなった。
 その間、嘉門はお忍びで江戸の町に出ては、吉原や岡場所といった遊廓で派手に浮き名を流した。売れっ妓の太夫や芸者と深間になったことも何度かはある。
 しかし、本気の恋をしたことはなかった。
 ただ己れの欲求に突き動かされ、刹那の快楽、性欲と鬱憤のはけ口を女体に求めたにすぎない。
 もう、本気の恋なぞ自分には永遠に縁のないものだと思い込んできた。だが。
 運命とはつくづく皮肉であり、面白いものだと思う。三十六になったある日、その恋が転がり込んできた。
 明るく澄んだ瞳に、理知の光と優しさを持った女。娘と呼ぶにはいささか年増だが、嘉門から見れば、まだまだ娘といって良い二十四の若い女だった。ただ美しいだけではない。お民ほどの美しさの女であれば、世間には大勢いるだろう。
 心映えの良さが外にも滲み出て、その美しさに更に輝きを添えていた。あれだけの美貌、聡明さ、優しい気性。加えて、身体も良い。豊かな乳房に、吸い付くような白い膚。お民のすべてが、嘉門には理想的に思えた。
 ―もっとも、そう思うのは惚れた弱みかもしれないが。
 何度手に入れようとしても、まるで野兎がするりと狩人の手から逃れるように、嘉門の手から逃れ、飛び立ってしまう可愛い小鳥。
 龍之助のことは、あの女には申し訳ないことをしたと心底思っている。お民は既に大切な者の死に幾度も直面している。
 最初の良人だという男、そして、その男との間に儲けた長男をお民は失っているのだ。
 また、嘉門の寵愛を受けて最初に懐妊した子も六ヵ月で流れた。
 我が子を二人まで亡くしたお民にとって、またしても遭遇した我が子の死は、辛いものであったに相違ない。龍之助を石澤家の世継として迎え入れるという件については、元々は母の意であったとしても、嘉門も納得した上でのことだった。ゆえに、母だけを責めるのは間違いというものだろう。
 ひとたびは孫として引き取った龍之助を溺愛しておきながら、お民の前で龍之助を嘉門の子ではないと言った母、あのときの母の言動を嘉門はけして許しているわけではない。
 あれほど大人しく従順であったお民が真っ向から母に逆らったのも致し方ないことだ。
 嘉門の側女としてこの屋敷にいた頃、あの女は母からどれほど罵倒されようと、黙って耐えていた。
 いつだったか、母がお民の頬を些細なことでぶち、嘉門がそれについて抗議したことがある。怒り狂った母があまつさえお民に手を掛けようとするのに、流石の嘉門も堪忍袋の緒が切れ、腰の刀に手を掛けたことがあった。
 その折、あの女は泣いて嘉門に縋ったのだ。
―私のせいで、殿のおん大切なお母上さまをあのようにお怒り申し上げさせてしまって、申し訳ございませぬ。
 優しい女だった。嘉門とて、愚かではない。あの女の優しさが母の言うように上辺だけのものなら、とうにあの女のことなぞ忘れて果てていただろう。
 あの女は真心を持っている。単に美しい女、身体だけ良くて閨での相性の良い女であれば、ごまんといる。だが、お民のように真心を持った女はけして多くはない。いや、恐らく―お民との出逢いは、砂浜でたったひと粒の砂金を見つけ得たような稀有なものであったと思う。