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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 そう思うと、その男が少しだけ妬ましい。―この子の父親とは別れました。でも、今も、私はそのひとのことが大好きなんです。 凜とした声でそう宣言したお民の笑顔は実に妖艶で美しかった。佐吉がふられてもお、その笑顔に心奪われるほどに。
 だが、艶やかなこの微笑がひどく儚げでしげにも見えたのは、気のせいだったのか。 お民には何か翳りのようなものが纏いつている。その過去に、どれほどの哀しい辛ことがあったのだろう。お民が惚れる男と別離もその哀しい出来事の一つに違いないろう。
 せめて、これから先だけは、お民が哀しことのないように、あの笑顔が曇ることのいようにしてやりたい。この村が大好きだったあの女のために、村長として村のため尽くしたい。
 そのために、自分に何ができるだろうか。 この小さな村が、お民にとって今度こそ住の地となるように祈りながら、佐吉は帰道を辿った。

 佐吉が帰った後もなお、お民は一人で庭に座っていた。
 時折吹き抜けてゆく風に、頭上の梢が揺れさわさわと音を立てる。橘の白い花が陽光眩しく射貫かれ、揺れる。 
 涼やかな凛とした花がいっとき暑さを忘させてくれる。お民は眼を細めながら、そ清楚な花を飽きることなく見つめた。
 この花を見ている中に、気付いたのだ。 この家―囲炉裏のある十畳ほどの板敷き間と六畳ほどの畳部屋、それに納戸とささかながら湯殿まで付いている。女独りの暮しには贅沢すぎるほどだ―の庭に出て、毎朝同じ風景を眺めている中に、大切なことをい出した。
 花は誰に教えられずとも、花開く瞬間(とき)をっている。そして、また盛りが過ぎれば、ら潔く花びらを落とし散ってゆく。誰に見れることがなくとも、このような山里で、い花は幾年、いや気の遠くなるような年月間、一人で咲き散っていったのだ。
 自分もまた花になろうと。何の花かは判ない。しかし、隠れ里にひっそりと咲く野の花でも構いはしない。たとえ見る人が誰おらずとも花を咲かせてきたこの橘のよに、自分もまた自分なりの花を咲かせたい思うようになった。
 それは即ち、心のままに、宿命(さだめ)のままにきるということだ。しかし、けして運命にされるままに生きるということではない。命に逆らわずしなやかに生きながらも、自を常に見失わず、したたかに前だけを向い生きてゆく。
 どんな運命でも狼狽えることなくしっか受け止め、一つ一つの山を乗り越えて生きゆく。そんな大人の女の生き方をしてみたい。 いつかずっと先になって、もし源治にどかで逢うことがあったなら、また源治が自に惚れ直してくれるくらいに、とびきりのい女になりたいと、お民は願うようになった。 また、風がどこからか吹いてきて、橘のが揺れた。
   
 炎暑の夏が過ぎ、九月に入って、秋の気が朝晩には濃く漂うようになった。
 お民の腹の赤児は順調に育ち、七ヵ月め入っている。この時期になると、もう帯のから見ても、妊娠しているとはっきりと判ようになった。そうなると、口さがない村たちはまた、寄ると触ると、その話で持ちりになる。
 お民が江戸にいられなくなって、女一人こんな鄙びた村に来たのも、その腹の子せだと真しやかに囁かれた。
 どこぞのお店に女中奉公していたところお民の美貌に眼をつけた主人とわりない仲なりお手つきとなったのまでは良かったが結局、身籠もったことで追い出されたとか逆に、人妻でありながら、亭主に言えぬ男道ならぬ恋に走り、子を宿して家を飛び出てきたとか云々。
 とにかく、お民の存在は、それまで話題醜聞らしい話のなかった平和な村人たちにっては恰好の噂話の種になったらしい。
 いずれも、お民が男をその色香で血迷わた稀代の妖婦・悪女になっているところが白い―と、当人のお民は半ば呆れ、半ば憤しながら聞いていた。
 また、小さな村であれば、そのような噂を好んでわざわざ当人に届けにゆくお節者、混ぜっ返し者もいるようで。
 お喋りが三度の飯より好きなのは何もこ村の女たちだけでなく、徳平店の女房たち同じではあったけれど、この村の女のよう不必要な詮索はあまりせず、他人を傷つけような話はあまり出なかった。
 裏店では人の出入りも烈しく、いかにもありといった感じの家族や見知らぬ者が引越してきたり、馴染みが晴れて表店に家をえて出てゆくのも珍しくはなかった。
 それでも、同じ店子同士となれば互いにけ合ったし、脛に疵持つ同士で、互いに触られたくない過去には触れず、助け合える囲で助け合い、晴れて出世して出てゆく者は、ほんの少しの羨望と惜しみない祝福をって見送ったものだった。
 この村の人の気質と江戸っ子気質(かたぎ)は随分違う。しかし、佐吉にも言ったように、おはこの村が嫌いではない。
 できれば、この村に身を落ち着け、子どを生んで育てたかった。もしかしたら予想に刻を要するかもしれないが、いずれは判合える日も来るだろう。何より、お民自身心に垣根を作らず人々に溶け込む努力を惜まなければ、いつかは通じるはずだ。
 ―それは、これまで生きてきて培ったもから学んだことだった。
 お民は日中は殆ど外に出ない。そういっ村人の好奇と侮蔑の入り混じった視線が疎しかったせいもある。また、仕立物もでき身では、草鞋を編むことくらいしかできず生活の糧を得るために内職をする必要があたのだ。
 草鞋だとて最初は編めなかったのだが、れは村長の佐吉に教わり、何とか一人で編るようになった。
 ひと月に一度、江戸から履物屋がやってる。村の一件一件を回り、各家で作った草を買い取ってゆくのだ。たいした銭にはななかったが、それでも、わずかでも蓄えてかねばならない。
 今はまだ、最初の良人兵助が残してくれ金や、造花を作る内職で得たお金がある。とまって持ってきた金を少しずつ大切に使ていたけれど、その中、蓄えも底をつくだう。
 江戸を出るに当たって、源治と所帯を持てから得た金―手内職で自分が得た収入以は―すべて徳平店に置いてきた。持ち出しのは、源治が今年の正月、初めて買ってくた簪一つだけだ。本当はこれも置いてこよかと思ったのだけれど、想い出として貰うとにした。
 日中、まだ暑い時間は家の中でひたすら鞋を編み、朝方、まだ早い時分に散歩にゆく。 それが、お民の日課となった。
 江戸から遠く離れたこの村で、お民は自らしく生きようと覚束ない脚取りで再び歩出したのである。いつまでもくよくよしなで、前を見つめて歩こう。この頃になってく持ち前の気丈さを取り戻したのだ。
 日毎に育ちゆく新しい生命の逞しさにもまされた。不思議なもので、挫けそうなとには必ず腹の子がトントンと腹を蹴ってる。しかも、胎動は日増しに強くなる。そが何か我が子からの無言の励ましのようながして、お民はまだ生まれてもおらぬ子にを押される想いだった。
 母親であることを、これほど実感したこはいまだかつてなかった。
 九月の上旬のある日のことである。
 その早朝、お民は一人で散歩に出かけた。 朝の清涼な空気が辺りに立ち込めている夜明け前の蒼さがそこここに残る中、お民前に突き出た腹を庇うように、ゆっくりといた。
 夜明け直後の空は、生まれたばかりの太が頭上高く輝き、今日もまた暑い一日になそうなことを告げている。