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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 そのささやかな嘘は佐吉なりの精一杯の地というか誇りなのだろうと思い、お民はえて佐吉には何も言わなかった。恐らく、吉には母に棄てられたという想いがぬぐえいのだろう。母は幼い我が子よりも自分のせの方を選んだのだと、年端もゆかぬ佐吉そう思い込んだとしても無理はないだろう。 佐吉は、お民より三つ下の二十二だという丸顔のどちらかといえばまだ少年の面影をどめるような面立ちは、源治とは似通ったころなどないが、この男と話していると、思議な懐かしさを憶えた。
 まるで源治と一緒にいたときのような、の安らぎを感じることができるのだ。とはっても、佐吉への親しみめいた気持ちはあまでも世話になっている恩人へのものにすない。
 江戸から流れてきて、ある日突然、村にみついたお民を快く思わない者も多い中、の村長は反感を買うことも怖れず、お民をってくれた。こうして時折、様子を見がて訪ねてきては、何か困ったことはないかと遣ってくれる。
「そういえば」
 佐吉が思い出したついでというように、から何かを取り出す。それは、まだ編み上たばかりの草鞋であった。紅い鼻緒が鮮やで、愛らしい。
「これを使って貰えないだろうか」
「もしかして、佐吉さんが編んだんですか」 お民は眼を見張った。
 ここの村人たちは主に農業を営んでいが、副業や内職として夜や農作業のできな冬場は草鞋を編むのだ。
「この間、今まで履いていた草履の鼻緒がれて困っていると聞いたものだから」
 訥々と喋る佐吉はけして饒舌ではない。顔で歳よりは若く見えるくせに、どこか老した雰囲気が漂い、普段から物静かな若者あった。そんなところも、こうしていると源治といた頃を思い出させる一因なのかもれない。
「ありがとうございます」
 お民は両手で押し頂くようにして草鞋をけ取った。
「大切に履かせて頂きます」
 数日前は、家で飼っている鶏が今朝生んのだと籠に盛った産みたての卵を持ってきくれた。
「村長」
「お民さん、その呼び方は」
 言いかけた佐吉に、お民はひっそりと微した。
 まだこの村に来てまもない頃、佐吉が口尖らせたことがある。
―村長だなんて他人行儀な呼び方をしなで、佐吉と呼んでくれねえか。
 そのときは微笑んで頷いたものだったけど。
「いいえ、村長は村長です」
 お民はきっぱりと言うと、佐吉の眼を真すぐに見つめた。
「村長、もう、ここにはいらっしゃらない下さいませんか」
「お民さん、何でそんなことを―」
 突然の言葉に、佐吉は蒼褪めていた。
「私と村長のことを、とやかく噂する人がると聞いています。村長が余所者の私に親にして下さるだけのおつもりでも、村の人ちはそういう風に理解してはくれません。のままでは悪い噂が広まり、村長と村人たの間に溝ができてしまうでしょう」
「言いたい奴には言わせておけば良い」
 いつもの沈着な佐吉らしからぬ激高した言いに、お民は微笑を消さぬまま首を振った。「そんなわけにはゆきません。村長には本によくして頂きましたけど、これ以上もうご厚意に甘えることはできないのです」
 この村に身を落ち着けるためには、お民身、あまり村人に反感を買いたくはない。「俺がただの親切心だけでお民さんに色々便宜を図っているのではないとしたら?」 今度は、お民が佐吉の言葉に愕く番だった。 眼を見開いたお民を、佐吉が怖いほど真なまなざしで見つめる。
「俺が下心でお民さんに近づいているのだしたら、お民さんはどうする?」
 奇妙な沈黙が落ちる中、お民と佐吉の視が束の間、絡み合った。
「佐吉さん」
 今度は名前で呼ばれ、佐吉が眼をまたたた。
 お民は普段はつとめて隠そうとしている部を少し前に突き出して見せた。そうやっ姿勢を取ると、少し膨らんできた腹部が目つ。
「お民さん、あんた、まさか―」
 佐吉の声が愕きに掠れていた。
 お民はにっこりと笑んだ。こんな状況なに、思わず佐吉が見惚れるほど艶な微笑だ。「私は、こういう女なんです。だから、私はあまり拘わり合いにならない方が良いでよ」
「お民さん、その腹の子の父親とはどうなてるんだ?」
 ひたむきな眼で問われ、お民は凄艶にもえる微笑を浮かべた。
「この子の父親とは別れました。でも、今も、私はそのひとのことが大好きなんです」 本当に、この子の父親が源治だったら、んなにか嬉しいだろう。源治には迷惑な話ろうが、お民はこの子を源治の子だと思っ育てようと考えている。
 子どもと父親は区別して考えてはいるつりだが、やはり、お民の身体を欲情のまま蹂躙したあの石澤嘉門の子だと思うのはや切れなかった。
 源治が知れば、怒るに相違ない。でも、にも言わず、お民一人の心で思うだけのこなら、源治も許してくれるのではないだろか。
「そう、か。そういうことだったのか」
 佐吉が肩を落とした。あからさまに落胆の表情を見せる若者に、お民は晴れやかな音で言った。
「私はこの村を大好きなんですよ。まだ暮し始めてほんの二ヵ月ですけど、初めてこ村に来たときの螢ヶ池の素晴らしい眺めはれられませんもの」
 水無月の半ば、螢ヶ池の面を埋め尽くしいた無数の睡蓮。その池を眺めるようにひやかに建つ御堂。あまたの薄紅色の花が水に浮かんでいるその様は、まさに極楽浄土かくやと言わんばかりの光景であった。
「人生二十五年も生きてきて、こんな美しものを見たのは初めてでした。色んなことあったけど、まだまだ人生棄てたもんじゃいって、その時思ったんですよ。こんなとろに住めたなら、どんなにか幸せだろうなって」
 それは嘘ではない。
 最終的にこの村を隠れ里に選んだのは、の螢ヶ池を見た瞬間のことだった。
「良い村長になって下さい。私もここの村人たちに一日も早く仲間だと思って貰えるうに頑張りますから」
 お民の心からの言葉に、佐吉が頷いた。「お民さんには負けたよ。俺なんか、村長たって、まだまだ思慮分別のねえ青二才だな貫禄だって、お民さんの方が数倍勝ってるでも、嬉しいよ。この村は俺が生まれ育っふるさとだもの。生まれ故郷を賞められて嬉しくねえ奴はいないだろう」
 お民が微笑んで頷く。
 帰り際、佐吉がふと振り向いた。
 お民の住む家はなだらかな丘の上に建っいる。その丘から続く緩やかな斜面を降りと、村の本道に至り、やがてその本道が村入り口ともなる螢ヶ池に繋がってゆく。
 つまり、家の前に立つ二本の樹も丘の頂に立っているのだ。
 佐吉とは、いつものようにその樹の下で半刻ほど話しただけだった。
 二、三歩あるいたところで振り返った佐の表情は、逆光になっていてよくは見えない。 佐吉は伸び上がるようにして片手を振りがら言った。
「良い村長になるよ。村人が安心して暮らるような、お民さんが笑って暮らせるようなそんな村を作りてえ」
「佐吉さんなら、きっとなれますよ」
 お民は負けないような大声で手を振り返た。
 緩やかにうねる道を辿りながら、佐吉はの中で考えていた。
 お民ほどの女がそこまで惚れた男というは、どんな男なのだろうか。きっと自分な脚許にも及ばない男気のある、大人の男なだろう。