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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 江戸を発ち、東へ主街道を進み、二つめ宿場町に至る手前に枝道がある。その枝道横にそれると、更に少し歩いた先に二股にかれた小道が見えてくる。その左側の道をっすぐ突き進んだ先に、螢ヶ池村はあった。 右へ進めば、ほどなく山に分け入る山道繋がる。
 左の小道を歩いてゆくと、最初に見えてるのが満々と水を湛える池、通称螢ヶ池だ。 夏と秋には薄紅色の睡蓮が池の面を埋めくし、江戸からはるばる蓮見に訪れる風流客もいるとか。夏にはまた螢が群舞する名としても知られ、螢見物に来る旅人がひききらない。この時季には普段は閑として人も少ない村が、いっときだけ賑わうのだ。 その螢ヶ池の汀にひっそりと佇む御堂、堂は真言宗の開祖弘法大師空海を祀っていという。人ひとりがやっと横になれるほど広さの御堂の奥には木彫りの大師像が安置れているが、いつ頃に作られたものかは定ではない。
この一帯は螢の名所にちなんでか、昔か螢ヶ原と呼ばれていた。
 村を抱くように背後に聳える山の頂には小さな尼寺があり、そこに一人で暮らす老が時折、山を降りてきて、御堂で読経など捧げている。普段は村の年寄りが花を供えり、掃除をしたりして小さなお堂を守ってた。大人一人くらいが寝泊まりできる広さあって、時には旅人がここを一夜の宿とすこともあった。
 お民自身、江戸からはるばる旅をしてきて最初に泊まったのがこの御堂であった。
 嘉門の子を身籠もっていると [螢ヶ池村全図]いう事実が決定的なものとなった時、お民はもう源治の側にはいられないと思った。源治を愛しているからこそ、大切にしているからこそ、その優しさに甘えてばかりはいられないと考えたのだ。源治はまだ二十三だ。 お民より二つも若い。
 無理に他の男の子を宿した女と連れ添わとも、これからまだまだ若くてきれいで、立ての良い娘を妻に迎えることができるだう。何も源治までもがみすみす、お民の背った宿命(さだめ)の犠牲になることはないのだ。
 そう考えた時、お民は源治を一日も早く放してあげたいと思った。源治にはずっと配ばかりかけてきて、何も女房らしいことできなかった。せめて最後に、自分が源治してやれることは、黙っていなくなることらいのものだったのだ。
 源治と別れるのは身を切られるように辛ったが、自分が身を退くことが男の幸せだいうのなら、淋しさも辛さも我慢できるとった。
 こんなことをしたお民を、源治は許しはないだろう。あまつさえ、お民は嘉門の子身籠もっている。たとえ、妊娠がお民の望だ結果ではないとしても、源治にしてみれば女房が他の男の種を宿したということは?切り?に他ならない。
 それでも、忘れられるよりは、よほど良と思う。源治の想い出や記憶からお民とい存在が消えてなくなるよりは、憎まれていも良いから、ずっと憶えていて欲しい。そ考えるのは、お民の我が儘というものだろか。
 螢ヶ池村を終の棲家に選ぶ気になったは、いつだったか、ふとこの村の名を耳にたことがあったからだ。初夏と初秋には薄色の睡蓮が水面を飾り、夏には螢が流星群ように群れをなして夜空を焦がす。秋には茜色に染まった夕空を背景に、水面を幾多赤蜻蛉が群れ飛ぶという小さな、小さな村。 そんな村でひっそりと源治との想い出をに余生を生きられたなら、子どもを育てなら誰の眼を気にすることもなく日々を送れらと願い、身重の身で江戸からここまで旅してきたのだ。
 たまたま親切で面倒見の良い村長(むらおさ)がこのき家になっていた家を格安で貸してくれた。 村長といっても、まだ若い。昨年亡くなた祖父の跡を継いで村長となったばかりの者だった。父は早くに亡くなり、母は息子村に残し、江戸の両替商の後添えとして嫁でいった。若い村長は祖父母を両親としてった。
 お民と歳の変わらぬこの村長が深く詮議せず突如として余所者を受け容れ、あまつえ長らく空き家となっていた村外れの家をしてやった―、そのことを穿った見方をす村人も少なくはなかった。
―村長は、あのきれいな女の色香に血迷って女をあの家に与えたんじゃねえのか。
 中には、そんな邪なことを囁く者までいた。 村長がお民をあの家に住まわせたのは、い者にするつもりではないか、と。
 現に、若い村長は、お民の住まいをたまふらりと思い出したように訪ねてくる。とっても、奥まで上がり込むことはなく、庭で少し立ち話をしてゆく程度のものなのが、そのことがまた必要以上に小さな村にむ人々の好奇心をかきたて、噂に尾ひれをけていた。
―村長は、あの別嬪の許に随分と熱心に通てるそうじゃねえか。
―まぁ、確かに何とも言えねえ色香のようものがある良い女だが、江戸者なんざァ、を考えてるか知れねえ。深く詮議もせずにに入れて不満を抱く者も多いぞ。
―村長はまだお若い。統率力もあるし、先見通す眼もお持ちだが、若さだけはどうにならねえもんだ。あんな色香溢れる女が突眼の前に現れりゃア、それこそ空から天女降ってきたように見えるだろうよ。美人がい江戸ならともかく、ここは女といやァ、なびた婆さんか、若いだけが取り柄のよう不細工で垢抜けねえ娘しかいねえからな。―違えねぇ。けどよ、お前、そんなことがの女どもに聞こえたら、ただじゃあ済まねぜ。寄ってたかって袋叩きにされちまうわな。
―怖え、怖え。底知れなさを秘めた別嬪も企んでるかどうか判らなくて怖えけど、顔鬼瓦で、やたらと勇ましい村の女どもも別意味で怖えぜ。女ってのは、つくづく怖ろいな。
―うっかり、あの色香に誘われて、あの家近づいてみろや。引きずり込まれて、誑かれちまうぞ。
―何だ、そりゃ。男を食い殺す妖怪狐じゃるまいし。
 お民自身は、そのような噂話があること知らぬわけではないが、特に気にしてはいかった。真実はいずれ明らかになる。村長自分の間には何があるわけでもないのだら、毅然としていれば良い。
 ただ、まだ若い村長のためには、この悪き噂はけしてためにならない。こんな噂が引けば、村長は信頼を失い、これまで折角ってきた村長と村人たちとの間の絆が台無になってしまう怖れがある。それだけは何しても避けねばならなかった。
 お民の眼に純白の花が映じている。清々い香気が特徴の橘の花である。
 ねっとりと纏わりつく夏の大気は暑熱をみ、じっと座っているだけでも、じっとり汗が滲んでくる。
 額に滲んだ汗の玉が首筋をつたい落ちてく。
 ふいに、涼やかな風が吹き渡った。このは冬には雪に閉ざされる。そのせいか、夏も江戸のように猛暑に見舞われることはなった。その点では暮らしやすいといえたがそれでも暑いことには変わりない。
 得も言われぬ香りが風に乗って流れてた。橘の花の匂いだ。
 この時季には珍しい心地の良い風は、やり木陰にいるせいだろうか。仲良く並んだつの樹が緑の茂みで翳をおりなし、居心地良い場所を提供してくれる。
「やはりここにいなすったか」
 呼び声がお民の耳を打ち、意識が突如とて現実に引き戻された。
 佐吉―この螢ヶ池村の若き村長が屈託な笑みを浮かべて佇んでいる。
 佐吉は早くにふた親を失い、父方の祖父に育てられたのだと聞いている。現実には佐吉の母は幼い息子を舅・姑に託し、江戸嫁いでいったのだと他の村人が興味本位にで教えてくれた。