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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 思い立つと矢も楯もたまらず、源治は陽落ちてすっかり暗くなった町に飛び出した。 主人の岩次はまだお伊勢参りに出かけて守だが、女房のおしまが留守を守っているずである。
 ?花ふく?と書かれた掛行灯が夜陰にぼやりと滲んでいる。休店中のため、暖簾はていない。
「おかみさん、おかみさん」
 忙しなく戸を叩くと、内側から閂の外れ音がし、板戸が細く開いた。
「あれま、源治さんじゃないの」
 五十半ばのおしまは、どう見ても四十代しか見えない。福々した顔はどう見ても美とは言い難いが、不思議な愛敬がある。
「夜分に申し訳ありやせんが、うちの奴が邪魔してませんかね」
 口早に訊ねると、おしまは首を振った。「いいえ、お民さんなら、今日は一度も顔見てませんよ。どうしたの、喧嘩でもしたですか?」
「いや、喧嘩をしたんなら、あいつが怒っ飛び出しちまったって判るんですが、何分情けねえ話ですが、心当たりもなくて」
 源治が頭をかきながら言うと、おしまははたと思いついたように言った。
「源治さん。お民さんのことなんですけどね違っていたら申し訳ないと思うんだけど、しかして、身籠もってるんじゃないかしらえ」
「―あいつが、身籠もってるって―、っ、ン坊をですかい?」
 素っ頓狂な声を上げた源治を、おしまが白いものでも見るように見つめた。
「そうですよ。あなたは知らないでしょうど、私だって若い頃には、一度、子どもをんだことがあるんですからね。経験者だから見ていれば判ります」
「でも、おかみさん、旦那さんが、お二人は、子どもさんがいねえって」
 源治が思わず訊き返すと、おしまは遠いで笑った。
「うちの子は泣き声を上げなかった―、死だったの。女の子だったのよ、桜の咲く頃ったから、うちの人がさくらって名前をつて、生まれたら着せてやろうと私が縫った着を着せて送り出しました」
 聞いているだけで、涙が出るような切な話だった。
 岩次とおしま夫婦の間には、子ができなったと聞いていたけれど、その裏には、こな悲劇があったのだ。
「ごめんなさいね、辛気くさくなっちまって私の昔話は良いのよ。それよりもお民さん店で働いている最中も、時々、悪阻で苦しうでしたよ。源治さんも心当たりがあるんゃない? 悪阻は病気じゃないけど、大切ときだから。ちゃんと労ってあげないと駄ですよ」
「―お民が赤ン坊を」
 源治の声がかすかに震えた。
 何も事情を知らぬおしまは、源治の狼狽様を良いように誤解したらしい。
「初めておとっつぁんになるのですものねぇいつもは落ち着いてる源治さんが取り乱すも無理はないわ」
 おしまは朗らかに言った。
 それでも、三月前の事件のこともあるかとお民の身を案じ心配顔のおしまに、源治礼を言って、その場を辞した。
 徳平店までの帰り道、源治はやり切れなった。
 お民が懐妊しているというのは、恐らく間違いないのではないか。
 そういえば、と、源治にも心当たりがあた。昨日の朝、お民と食事を取っている最中お民が俄に苦しみ出した。気分でも悪いらく、口許を押さえ、烈しく咳き込んでいたその後、少し吐いてしまったのだ。
 もしや、あれも悪阻の症状の一つであっのかもしれない。自分は男だし、おまけに親になったこともないから、迂闊にも全くらなかった。
 だが、お民は一度ならずか、二度まで懐したことがある。既に自分でも気付いていはずだ。
 そう考えてゆけば、ここのところのお民様子が妙だったことも頷けた。
―何故、何故なんだ、お民。
 どうして、自分にひと言告げてくれなかたのか。
 いや、あの女のことだ。そんなことが言るはずもない。腹に宿した子が源治の子でれば、お民はすぐにでも恥じらいながらもんで報告しただろう。
 だが、腹の子の父親は源治ではない。源とお民の間にはもう三ヵ月以上もの間、夫の交わりが絶えている。今、悪阻の時期でるというのであれば、懐妊が判ったばかり―どう考えても、源治の子である可能性は限なく低いというよりは、殆どあり得なかった。 可哀想に、お民はどれほど懊悩し、悩んことだろうか。
 お民の懐妊という予期せぬ事実が発覚し今、お民の失踪が石澤嘉門と繋がっているは考えがたくなった。
 多分、お民は源治のことを思い、自ら身退いたのだ。嘉門の子を宿した我が身は、早、源治の側にはいられないと一人で勝手判断して―。
 お民、俺は、いつだって、お前に側にい欲しい。そう言ったじゃねえか。なのに、で、俺に何も告げねえで、一人で勝手に悩で決めて、挙げ句にいなくなっちまうんだよ。「馬鹿野郎」
 源治の握りしめた拳が震えた。
―ねえ、お前さん。
 今日の昼、川原でお民が言おうとしたのは何だったのだろう。
 あの時、お民は明らかに何か話したがっいた。自分があの時、もっと真剣にお民の葉に耳を傾けていたら、真摯にお民の心のびに耳を傾けていたなら。
 お民の悩みの深さも、心からの叫びも聞取ってやれたかもしれないのに。
―ん、どうした?
 源治が問い返したときのお民の表情が忘られない。
―いいえ、ごめんなさい。何でもありません。 少し淋しげにも見えた翳りのある微笑、の裏に潜む想いをくみ取ってやることがでなかった。
「大馬鹿野郎は、俺の方だぜ」
 源治は男泣きに泣きながら、夜の道を歩た。
 惚れた女を守ってやれず、二度も泣かせ挙げ句、今度もまた、何も判ってやれなかた。
―なあ、お民。お前は、今、どこにいるんだ? 源治は心の中で、ここではないどこかにる妻に呼びかけた。
 江戸の夜の闇は深い。
 源治は、最愛の女の姿を探すように、涙滲んだ眼を虚ろに闇の彼方にさまよわせた。
     【伍】

 お民は茫漠とした視線を泳がせた。午前は、こうして何をするでもなく家の前に座ていることが多い。ゆるりと視線を動かすと小さいけれど、それなりに手入れされた庭見渡せる。
 もっとも、家の前には特に生け垣や区切になるようなものもなく、どこまでが庭や判ったものではないが。お民が?庭?だとっているのは、家の前に聳え立つ枇杷の樹とそれに並ぶ橘の樹が見える辺りまでだ。
 見ようによっては、この大きさの違う二の樹は仲睦まじく寄り添い合って立っていように見えなくもない。この二本の樹を見度に、お民は良いなと思うのだった。
 自分と源治もこんな風にずっとずっと寄添って生きてゆけたなら良かった。でも、民はもう源治の側には戻れない。
 お民は丸い腹部を愛おしげに撫でた。腹壁を胎内の赤児が元気に蹴っている。その動がお民にも伝わってきて、お民は知らず笑んでいた。着物を着ていれば、まださほに目立ちはしないけれど、お民の腹も大分らんできた。
 風呂に入る時、裸になれば、湯を弾く白すべらかで豊満な身体は、そこだけ丸くならかに膨らんでいる。腹の赤児が健やかに長している証だ。それもそのはずで、腹のは直に六月(むつき)めに入る。
 この家に住むようになって、はやふた月経とうとしている。江戸から離れた近在のの村は、鄙びた貧しい農村であった。大人ら子どもまで合わせても総勢五十人にも満ない。小さな村とひと口に言っても、かなの広範囲に渡って人家が点在しており、おの住むこの家は、村外れともいえる場所につんと一軒だけ離れて建っていた。