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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 嘉門が黙り込み、急速に沈黙が訪れる。「手前とお民がどこでどんな風に過ごしてたとしても、俺には一切合切拘わりはねえ俺にとってのお民は、俺がよく知ってるおだけなんだ。そして、これだけは断っておが、手前とお民の関係はとっくに終わったずだ。いつまでも、お民の前をうろつかねでくれ」
 凄みのある声で言うと、源治はお民の肩抱くようにして歩き出す。
 その背後から、嘉門の愉快げな声が追いけてきた。
「はて、真に本心から貴様はそのように思ておるのか? 俺と数え切れぬほどの夜をごし、俺の腕の中で夜毎身もだえ、身体をねらせた女を何もなかったような顔で昔とわらず抱くことが貴様はできるというか?」
 源治は嘉門の悪魔のような囁きを一切無して、歩き続けた。
「夕べは悪かったな。今日、仕事には出てたものの、どうにも気になって帰ってみたら案の定、家の中はもぬけの殻だ。正直、焦たぜ。心配になって、心当たりを探し回っんだ」
「―私も昨日はごめんなさい。お前さんの持ちも考えないで、一方的に働きに出たいて、そればかりで」
 お民が謝ると、源治は破顔した。
「俺が何でお前を一人で外に出そうとしなったか、判るか?」
 お民がそっと首を振ると、源治は笑った。「灼いてたんだよ、俺」
 お民の意外そうな顔に、源治は大仰に吐をついた。
「お前が思っている以上に、俺はお前に惚てるんだぜ? また一人で外に出したりしら、どんな男に眼をつけられるか判りゃしえと思ってさ。折角帰ってきたお前がまたていったりしたら、俺はもう生きてはいけえ―なんて、情けねえ男だと思うだろうけよ」
 お民が思いもかけぬ良人の独白に、眼をくする。
「よくよく考えてみたら、確かにそんな俺あのさんぴんの言うようにガキだなって気いたんだよ。こんなザマじゃア、あいつに造呼ばわりされても仕方ねえ。俺はお民をじることにしたよ。―今までだって、信じないわけじゃなかったけど、やっぱり、言では綺麗事を言ってても、どこかでお民のを疑ってたりしてたんだ。あの殿さまの屋で暮らしてた間に、お前の気が変わったんゃねえかって。でも、お民はそんな女じゃえ。何で、自分が惚れた女のことを信じてれねえのかって、これでも猛烈に反省しただ。あの飯屋に奉公する話、まだ断ってなのなら、行って良いぞ。ただし、夜は絶対遅くならない、酔っ払いの相手はしない。れだけは約束してくれ」
 普段、口数の少ない良人がここまで喋るは珍しい。
 お民の顔に微笑がひろがる。
「ありがとう。お前さん」
 源治の心遣いが嬉しかった。
 これでは、到底、もう断ったなんて言えしない。明日、もう一度訪ねてみて、まだの人が決まっていないようだったら、使っ貰えるかどうか訊いてみよう。
 お民の心は久しぶりに明るく弾んだ。
 こんな良人の側にいれば、いつかきっとず、昔のような二人に戻れるのではないか。 お民は、眼の前にひとすじの光を見い出たような気持ちだった。源治が自分を信じくれると言うのであれば、自分もまた源治どこまでも信じてついてゆこう。
 確かにお民の抱えている問題は重大で、婦にとっては深刻なものだ。でも、相手が治なら、この途方もなく大きな試練もいつは乗り越えられるような気がする。
 二人の姿はどこから見ても、仲睦まじい夫婦そのものだ。話しながら歩いてゆく二の後ろ姿を、嘉門が?い眼で見つめていた。 嘉門の凍てついた瞳の中で、蒼白い焔がえ盛る。それは、いかにしても思いどおりはならぬ女への憎しみと愛情が逆巻いて起す嫉妬の焔であった。
 そのことを二人が知る由はなかった。

 それ以来、源治はお民を求めてくることなくなった。夜、二人は一つ布団で寄り添合って眠る。朝までただ、源治はお民をそ腕に抱き込んで眠るだけだ。
 お民も親鳥の翼に包み込まれた雛のよう心から安らいで眠った。
 時に、夜半めざめると、源治が眼を開いいるときがある。健康な若い男が惚れた女一つ布団にいながら夜、眠れぬ理由―、そが何であるのかをお民は知らなかった。
「どうしたの?」
 無邪気とも思える表情で見上げてくるおに、源治は笑って首を振る。
「いや、ちょっと眼がさめただけさ」
 こんな時、源治は二つ年上のお民が幾つ年下のように思えてならない。だが、お民あの好色な殿さまの側に何ヶ月いても、けてその世慣れぬ部分―妙に浮世離れしたとろは少しも変わってはいないことに、ひそに安堵してもいた。
 たとえ、身体は女を知り尽くしたあの男良いようにされてしまったのだとしても―確かに、あの男がお民の身体を女体として眼させたのは事実だろう。お民を女として熟させ、花開かせたのが自分ではなく、あ卑劣な男だと思えば、気が狂いそうになるど口惜しいが、残念ながら認めないわけにゆかない。
 それでも、身体だけは思いどおりに作りえることができたとしても、お民の心は、面はいささかも変わってはいない。お民は変わらずお人好しで優しくて、泣き虫だ。 自分より他人のことばかり考えてしまう分も何一つ、変わってはいない。
 安堵したかのように自分の胸に頬を押しけて眠る表情はあどけなく、これが嘉門のの中で夜毎痴態を見せていた女だとは思えい。
―お民。今度は何があっても、俺はお前をるよ。この前のときは、俺はお前を守ってれなかった。だが、次はお前を哀しませたはしねえ。
 お民のこの上なく安らいだ表情に、源治身もまた至福の想いを噛みしめる。愛しいの身体の重みとやわらかさを感じながら、治もまた惚れた女が側にいることに限りな安堵を感じ、再び眠りに落ちてゆく。
 たとえ身体を重ねなくても、二人の心はったりと寄り添っていた。寄り添い合ったと心は互いにこの上ない信頼を芽生え、育せる。いつしか、二人の間にあった溝もそ信頼が少しずつ埋めてくれた。
 そして、やがて信頼を礎にして、小さなが咲く。それは、所帯を持って二年、改め二人の間にしっかりと根付いた愛情というの花であった。
 夫婦は恋人ではない。いつまでも甘い感だけではやってゆけない。そのことを、おは身をもって知ったような気がする。図らも、お民が経験した哀しい出来事が、逆に治との絆を固く結び合わせてくれたのだといえた。

 それから更に数日を経た。
 江戸は日毎に春めいてきている。梅が至ところで満開に咲き、梅見の名所は大勢の物客で賑わっていた。あと半月もすれば、も咲くだろう。そうなれば、更に名所と謳れる各地は溢れんばかりの人で押すな押すの賑わいになる。
 江戸の町が一年で最も活気溢れる季節だ。 そんなある日、お民は日課の随明寺詣で出かけた。
 石澤嘉門がお民の後をつけ回していた―そのことをお民は源治には告げてはいない話せば、また源治を心配させてしまうからだ。 自分が尾行されていたことなぞ、ちっと気付いてはいなかっただけに、不気味といか怖いと思う。今も、もしかしたらあの男どこかから蛇のようなねっとりとした視線見つめているのかと想像しただけで、鳥肌立つようだ。
 嘉門の側妾としての奉公は一年という期つきのものだった。が、幸か不幸か、嘉門子を懐妊したお民があえなく流産してしまたことで、年季半ばにして源治の許に帰さた。