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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 嘉門の許で送った日々は、まさに思い出たくもないような地獄であった。嘉門のおへの執着と寵愛は並々ならぬものがあり、いそのものは五百石の旗本の寵姫として身綺羅で飾り、豪奢な部屋に住み、何一つ不由のないものであった。しかし、近隣の住たちからは半ば蔑みを込めて?妾御殿?とばれる離れに住まわされ、夜毎、嘉門の慰ものにされた日々はまさに快楽地獄に囚わ続けた日々の繰り返しであった。
 お民は一年という約定よりは随分と早くされてきた。嘉門の許にいたのは八ヵ月ほの間のことだ。その間、お民は嘉門の望んどおり、嘉門の子を宿した。が、子は半年どで流れ、流産したお民は暇を出され石澤屋敷から徳平店に帰されてきたのだ。
 あれから半年が経った。お民が嘉門の屋に上がって丁度一年が経とうとしている。ったの一年がその何十倍にも感じられるど、様々なことがありすぎるほどあった一間であった。
 それでも、お民はとにかくこうして良人側にいる。今、この瞬間、心から求め必要する男の腕に抱かれ、この男の温もりに好なだけ身を委ねることができる。それがどほど幸せなことか。嘉門の許で過ごした悪のような日々を思うにつけ、今の生活はたえその日暮らしの貧しさでも極楽にいるよなものだと思うのだった。
 だが。お民には、けして源治にさえも打明けられぬ葛藤があった。―否、源治であばこそ、訴えられぬ悩みだ。嘉門の許からってきてひと月ほど、源治はけしてお民にれようとしなかった。最初、良人は他の男慰みものになった女を最早以前のように受容れてはくれないのかと思った。
 哀しいし、辛いことだけれど、それは当り前のことだとも。ただの間違いで片付けしまうには、お民は嘉門の許に長居をしすた。それがけして、お民自身が心から望んものではなかったとしても、源治が嘉門にんざん穢されたこの身体を厭わしいものだ感じてしまったとしても致し方ない。
 やはり、自分はここに戻ってこられない戻ってはならない身だったのだ。そう思って出ていくことを考えたときもあった。が、民の不安は杞憂であったらしい。お民が源との別離をいつ切りだそうかと懊悩していある夜、源治は傍らのお民の布団にすべりんできた。以来、以前のように源治とお民臥所を共にしている。
 とはいえ、お民の方がこの頃では、二、日に一度の良人の求めに引き気味になってた。むろん、絶対に態度にも口にも出せぬとだ。どんなに気が進まなくても、お民は治が求めてきたときには、素直に身を任せいた。
 男の舌が口中に割り込んでくる。歯茎を念になぞられる。お民はこの頃、違和感をえることがあった。以前はけして荒々しく執拗でもなかった良人の愛撫が微妙に変化ている。昔の源治であれば、お民が呼吸もきないような乱暴さで口づけを延々と続けことはなかった。
 そこに、お民は男の苛立ちというか焦りようなものを感じてしまうのだ。
 自分の中の形容しがたい想いが、もしや人に気取られているのか。こんな時、お民ぎくりとしてしまう。源治は見かけは寡黙何を考えているか知れぬところがあるが、外に勘が鋭い。お民の心なぞとうに見抜いいるのかもしれない。
 源治の舌がお民の舌を追いかけてくる。が寸でのところで、お民は逃げた。それでも源治は舌を絡ませようと躍起になる。
―いやっ。
 お民は咄嗟に心の中で叫び、顔を背けた。「お民―」
 源治の声が心もち低くなる。
 再びのしかかってこようとした男の身体両手で押し戻し、お民は上半身を床に起こうとした。
 だが、源治はムキになったように、お民身体を乱暴に押し倒そうとする。
「いや、やだ」
 お民は悲鳴を上げ、源治の分厚い胸板をき飛ばした。
「おい、お民。一体、どうしたっていうんよ」
「―」
 お民は唇を噛みしめ、うつむいた。
「ごめんね。本当にごめんなさい。私ったらどうかしてる」
 目頭が熱くなった。お民自身は源治を拒つもりなんか毛頭ないのに、気が付けば、治の腕から逃れたいと願っているもう一人自分がいる。
 そんな時、大抵、お民の瞼に浮かぶ一人男の面影―、いや、男の面影を思い出すとうよりは、お民の身体そのものがあの男のを、あの骨太の指で辿られた記憶の生々しを何より鮮明に憶えているのだ。
 あの男の愛撫に馴れすぎてしまった自分身体が源治を元のように受け容れられるのどうか。その不安は帰ってきた時、ないわではなかった。しかし、源治への想いも心何も変わらない、どころか、むしろ離れてる間によりいっそう深まったのに、そんなとがあるはずがないと思っていた―いや、いたかったのも事実だ。
 が、お民の不安は不幸にも的中してしまた。
「ごめんなさい」
 ただ謝ることしかできなくて、お民はまで壊れてしまったからくり人形のように同科白を繰り返す。
「俺が聞きてえのは詫びの言葉なんぞじゃえッ。何で、お前が俺をそんな風に拒絶すのか、その理由を知りてえんだよ」
 お民は潤んだ瞳で源治を見上げた。
 涙を露のように含んだ黒い瞳が煌めいてる。
「お民」
 源治がお民を眩しげに見つめる。
「お前は本当にきれいになったな。なっ、がらねえで、大人しくしてくれよ」
 源治が突如としてお民を抱きすくめようした。お民は予期せぬ良人の行動に烈しく狽えた。
「ねえ、お前さん、今夜だけは止めて、おいだから今日だけは許して」
 お民は抗いながら、源治に哀願した。
 と、源治の手が急に離れた。
 気まずくなるほどの長い沈黙が落ちた。 お民はただ唇を噛みしめて、うなだれてた。源治が刺すような鋭い視線でこちらをているのが判る。
 言い訳をすることもできず、許されず、民はまるで代官の前に引き立てられた科人ようにうつむいて座っているしかない。
「俺が気付いてなかったとでも思ってるのか」 唐突に沈黙を破ったのは源治だった。
 その言葉に、お民は弾かれたように顔をげる。
「お前は最初から俺に抱かれるのを厭がった。幾ら俺が色事にはからきし朴念仁でもそこまで馬鹿じゃねえや」
 ポツリと呟いた後、源治が洩らした。
「どうしてなんだ、お民。やっぱり、駄目のか? お前は、あの男に抱かれて、そのが忘れられなくなっちまったのか」
 ややあって、源治が吐いて捨てるようにった。
「そう言やァ、あの石澤の殿さまってえの若え頃は吉原の太夫とも派手な浮き名を流たっていうし、深川の売れっ妓芸者をどこの大店の若旦那とあい争ったこともあると聞いたな。マ、相手にしてきたのは素人女ゃなくて玄人女ばかりだとはいうが、相当色好みで知られた奴らしい。あの殿さまが時期、遊廓で好き放題に遊んでたのは結構名な話だって聞いたぜ。―そんな女を歓ばる丈を知り尽くした殿さまとさんざっぱらい想いをしてきたんだ、お前が俺のようなまらねえ男で物足りなくなっちまったとしも仕方ねえのかもな」
「―!」
 お民はあまりの言葉に、何も言えなくなた。
 ?(くら)い表情で自嘲するように呟く男の顔をお民は茫然と見つめた。いつも春の陽溜まのように笑っていた源治。包み込むようにしくお民を見つめていた源治がいつから、んな表情をするようになったのだろう。
 やはり、お民のせいなのか。
―私は、このひとの許に戻ってくるべきでなかったのかもしれない。