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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 紙で花を作るその仕事は、季節に合わせて四季折々の花を紙でこしらえるのである。最初はなかなか手こずったものの、悪戦苦闘を重ねている中に、次第にコツを呑み込んで短時間できれいに仕上げられるようになった。
 今日もこれから、その口入れ屋のところに出来上がった花を持参するつもりであった。小脇に抱えた風呂敷包みには十日かけてこしらえた花が入っている。今は二月、梅の花が咲く頃ゆえ、紅白の梅を作って欲しいと頼まれた。
 実は何を隠そう、良人の源治はこの口入れ屋―三門屋信吾という男をひどく毛嫌いしている。というのも、今から一年前、まだ二人が所帯を持つ前、信吾がお民にさる旗本屋敷に妾奉公に上がらぬかと話を持ちかけたことがあったからだ。
 その頃、お民は兵助を亡くしたばかりで、とりあえず女一人で生きてゆくためには自分の力で稼がねばと考え、三門屋を訪ねて造花作りの仕事を紹介して貰った直後だった。
 三門屋は、お民を良人に先立たれた未亡人―しかも金を必要としていると知った上で、妾奉公の口を世話しようとしたのである。あのときもお民はこの和泉橋のほとりに佇み、泣いていた。
―あんたのように何の取り柄もない女がこのお江戸で一人生きてゆくためには、その身体を使うことくらいしかないんだよ。
 あの三門屋の言葉は流石にこたえた。
 あの男は面と向かって、お民のような能なしには、女であること―つまり、男に身体を売るしか生きてゆくすべはないと言い切ったのだ。
 泣いていたところを源治に見つかってしまったお民は、三門屋での一件を話さないわけにはゆかなかった。あのことがあるからか、源治はいまだに三門屋を嫌い抜き、?あんな男から仕事なんぞ紹介して貰うのは止めちまえ?とすごぶる機嫌が悪い。
 が、これはけして源治には言えぬことだが、左官を生業(なりわい)としている源治の稼ぎでは正直いえば、二人暮らしてゆくのがやっとという有り様なのだ。お民はいずれ、子どもを生みたいと望んでいる。兵太を喪って三年、もう一度、我が子をこの腕に抱きしめたいと願う心は日増しに強まるばかりだった。
 だが、源治の今の収入では、赤ン坊と両親、一家三人が暮らしてゆくには心許ない。ゆえに、お民自身もこの三門屋を厭な奴だと思いながらも、折角見つけた内職仕事を失うには忍びなかった。
 もう一度、鶯が思い出したように啼いた。お民はまだ啼き方もさほど上手くはないその啼き声に、現(うつつ)に引き戻される。そろそろ三門屋に行かねばならず、いつまでもここで油を売っているわけにもゆかないだろう。
 嬉しいこと、哀しいこと、様々な事がある度、お民はここに脚を運ぶ。ここに来て、ゆったりとした流れや澄んだ川の面を見ている中に、不思議と波立っていた心が凪いでくるのだ。もしかしたら、この川の底には幼くして逝った兵太の魂が宿っているのかもしれない。
―兵太、おっかちゃんは頑張るよ。兵太の分まで、張り切って生きてゆかなくちゃね。
 お民は亡き息子に話しかけるように、小さな川に向かって呟いた。
 元来た道を辿り、橋を渡って町人町の方に戻ると、お民は目抜き通りの一角に暖簾を上げる三門屋に向かって急ぎ足で歩き始めた。
 紺地に白く屋号を染め抜いた三門屋の前で、お民は小脇に大切に抱えてきた包みを持ち直し、改めて暖簾をくぐった。
 口入れ屋(周旋屋)の常として、土間から奥に入った場所には、廊下を挟んで両側に幾つかの部屋が用意してある。これは仕事を探す側と奉公人を探す側、双方のための座敷で、右側の部屋は使用人を求めるお店の番頭や主などが使い、向かい側の部屋は雇われ先を探す者たちが待機するためのものだ。
 各々、職探しをする者たちは己れの目当ての部屋に赴き、雇用のための面接―つまり、就職試験を受けるのである。
 三門屋はこういった口入れ屋ならどこの店でもするようなことの他に、例えば、店内の内装用に造花を欲しい商家などに、内職仕事で作った造花を買い上げ、直接売ることで利益を得ていた。更に、三門屋の内証が潤っていたのには訳がある。
 三門屋そのものは小体な店である。しかし、この男はお民にかつて妾奉公の話を持ちかけたように、若い女や娘に身売りを勧め、旗本屋敷だけではなく遊廓や岡場所にまで女を斡旋して、まるで女衒紛いのことまでしているらしい。真っ当な口入れ屋稼業だけでは、こうまで羽振りが良いのも面妖だといつか誰かが話していたが、全く道理に適った理屈だといえる。
「こんにちは」
 暖簾をかき分けながら声をかけると、入ってすぐの帳場に座っていた男が細い眼を光らせた。
「これは、お民さんじゃア、ありませんか。そろそろ来る頃かと待っていたんですよ」
 信吾は如才なく言うと、身軽に立ち上がり、こちらに向かって歩いてくる。
 昼前とて、いつもは客がちらほら見える店内には、目立った人影はなかった。最奥の方でひそやかな話し声が聞こえているところからすると、大方、話し合いが行われているに相違ない。
 小柄ではあるが、つり上がった細い眼で白いのっぺりとした面の信吾を世間では?男前?という女もいるらしいが、お民はこんな生っ白い軟弱な男は真っ平ご免だ。
―まるで半ペンが羽織を着て澄まして歩いているようで、厭なんですよ。
 いつか源治に言ってやったら、源治は?そいつは良いや。違えねえ?と腹を抱えて大笑いしていた。
 以来、三門屋のことを二人は?半ペン?と呼んでいる。
 今日の三門屋は目くら縞の濃紺の紬の羽織、着物を身に纏っている。当人は似合っているつもりだろうが、身体の小さい三門屋には少し仕立てが大きすぎると見え、身体が着物の中で泳いでいるようで、滑稽だ。
 思わず吹き出したいのを我慢していると、三門屋が顎をしゃくった。
「丁度、良いところに来たようだね」
 呟くと、改めて後ろを振り返り、人が変わったように丁重な口調で言った。
「石澤の旦那さま、しばらくお待ち頂いても差し支えございませんでしょうか」
 廊下を入ってすぐの座敷には誰かいるようで、三門屋はその人物に声をかけている。
 店の内は薄暗く、表の明るさに慣れたお民には、ひときわ陰鬱に映じた。店の奥は暗がりになっており、廊下がのびた奥に居並んだ座敷は、そこに部屋があるとは思えなかった。その中にいる人物がそも誰なのか、否、その造作すら確かめ得ない。
「うむ」
 その声は意外に近くで聞こえた。
 どうやら、声の主は部屋を出てきて、廊下に立っているようだ。
 懐手をしてこちらを眺めているらしい相手が尊大な物言いで短く応える。
 いまだ暗さに慣れぬお民の眼には、相手の立ち姿が辛うじて判別できるだけだ。
 お民の記憶のどこかに三門屋が口にしたひと言が引っかかったけれど、お民は気にも留めなかった。
 お民が持参した風呂敷包みを解(ほど)くと、三門屋は注意深く出来上がった花一本一本を検分してゆく。すべてを検めた後、その分の手間賃を銭箱から取り出し、渡した。
「いつもお世話になります。次の分はまた、十日ほど後にお持ちいたしますので、よろしくお願いします」