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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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第一話  石榴の月







紅梅―春
   色目

または、春を表現する色目としては?藤(ふじ)?がある。






     【壱】

 ふとどこからともなく鶯の声が聞こえてきて、お民は空を見上げた。そういえば、鶯の啼く声を耳にしたのは随分と久しぶりのような気がする。
 ずっと昔―、そう、まだ十二、三の少女であった時分には、鳥のさえずりや花の開花、風のそよぎといった自然の奏でる音には敏感だったように思うけれど、いつからか忙しない日常に気を取られている中に、頓着しなくなった。
 まだ如月の半ばとて、空気には冬の冷たさが含まれてはいるものの、降り注いでくる陽差しのやわらかさは十分に春の訪れを感じさせた。
 お民はよくこの場所に来る。江戸の外れに流れる名も知られぬ小さな川、その川にかかるこれまた小さな橋を和泉橋と呼ぶ。その和泉橋のたもとには桜の樹が一本だけ植わっていて、お民は気が向けば、その桜の樹の下でじっと川の流れを見つめて刻を過ごした。
 この小さな橋を境として上手(かみて)には和泉橋町と呼ばれる閑静な武家屋敷町、下手(しもて)には商人の町といわれる町人町がひろがる。町人町はその名のとおり錚々たる大店が軒を連ね、大通りをあまたの通行人が行き交う活気溢れる町だ。
 対する和泉橋町の方は老中松平越中守を初めとする広壮な大名、旗本屋敷が建ち並び、昼間とてなお、人通りも少ない。いわば全く様相の異なる二つの町が和泉橋を境として存在しているのだった。
 お民は町人町の外れにある徳平店に良人と二人で暮らしている。良人の源治は左官で、お民にとっては二度目の良人となる。お民が最初の良人兵助と所帯を持ったのは十五のときのことだ。兵助は腕の良い大工で、お民よりは九つ年上だった。兵助の世話になっている大工の棟梁留造の仲立ちで見合いをした二人は徳平店で新婚生活を始めた。
 徳平店は粗末な棟割長屋で、建てられた当時の大家の名を取って、そのように呼ばれたのだと聞く。
 兵助は小男で、結婚した当時から鬢(びん)の毛が薄く、額なども禿げ上がっていた。貧相な髷(まげ)を無理して結っているといった感じで、お世辞にも良い男だとは言えなかった。
 しかし、その分、働き者で面倒見も良く、?兄ィ?と大勢の若い大工からも慕われており、その陰陽なたのない気性は親方からも頼りにされていた。たとえ見場はたいしたことはなくとも、お民の自慢の良人であった。
 お民は所帯を持った翌年、男の子を生んでいる。兵太と名付けたこの息子は兵助に似ず、眉目形の良い子であった。兵太の整った眼鼻立ちは、どちらかといえば、母親譲りであったかもしれない。女ながら大柄なお民は色白で、すごぶるつきというわけではなかったけれど、世間でいうところの美人の範疇には入った。
 利発で、二親がろくに読めもしないような草子でもすらすらと読んだ。お民と兵助は、兵太が五歳になった頃から同じ裏店で浪人者夫婦が開いている寺子屋に通わせたのだ。兵太は仮名文字をすぐに憶え、両親を愕き歓ばせた。
 だが、寺子屋に通い始めて三ヵ月後、兵太は近くの川に落ちて亡くなった。昼過ぎに近所の八百屋の倅のところに遊びにゆくと言って家を出たきり、夕刻を過ぎ、長い陽が暮れて辺りが闇の底に沈む頃になっても戻ってこなかった。
 兵助は番所に捜索願いを出し、徳平店の住人たちも夜っぴいて心当たりを探し回ったが、兵太を見つけることは叶わなかった。
 翌朝、兵太は物言わぬ骸となって見つかった。八百屋の倅順太郎は生憎、兵太が訪ねていった時、不在であった。何でも親戚に不幸があったとかで、母親に連れられ出かけていたのだとか。
 兵太は順太郎の家を訪ねた帰り道、所在なげにこの界隈をうろついていて、誤って脚を滑らせてこの川に落ちたのだ。折しも二日続きの雨で、川の水は増水していた。それに、この川は見た目は流れも緩やかに見えるが、存外に急流で、しかも深いのだ。
 倅を喪った当座は、この川を見るのさえ厭だった。この一見、穏やかで小さな川がたった一瞬で愛し子の生命を奪ったのである。そう思えば、今でも背筋がヒヤリと冷たくなるけれど、刻が経つにつれ、お民の心にもわずかずつ変化が生じてきた。いつしか、この川は倅の生命を呑み込んだ川から、倅のことを思い出させてくれる川に変わっていった。
 兵太という子の母として過ごした五年間を、この川のほとりでゆっくりと振り返ることは、お民にとって必要な時間でもあった。
 今の亭主と再婚したのが今から一年前のことになる。最初の良人兵助に先立たれてから一年後、お民が二十三のときのことだ。兵助が頓死したのは兵太の死から、わずか一年後のことである。兵助は若い時分から心臓の持病を抱えていて、生命取りになったのも心ノ臓の発作であった。
 兵助は、倅の死で哀しみと絶望の底にいたお民を終始支え続けてくれた。後から考えれば、倅の後を追うような亡くなり方であった。
 源治は同じ徳平店に暮らす店子であり、お民より二つ下の二十一、兵助と比べれば見た目は月とスッポンほども違う上男である。上背もあり、大抵の男と並んでも遜色のないお民よりも更に高かった。
 性格的にはこの二人の男は実によく似ている。どちらも寡黙で、一見、無愛想、そのため、他人からは取っつきにくいと誤解され易い。よくよく話せば人嫌いでもなく、ただ喋るのが少々苦手なだけで根は至って明るい冗談好きの男なのだと知れるのだけれど、初対面の人からは、あまり好印象は抱かれないことが多かった。
 要するに感情表現が苦手な不器用な男なのだ。初めは、お民もこの源治という若者をそのように無口な男なのだと思い込んでいたものだ。だから、最初の良人兵助が生きていた頃から、源治相手に軽口をきき、世話女房よろしく顔を見ては小言の言いたい放題、世話の焼きっ放しで気のおけない隣人同士といった感じだった。
 その頃のお民にとって、源治はあくまでも?斜向かいの放ってはおけない源さん?だったのだ。いつもボウとしていて、何を考えているのか判らない茫洋としたところがあって、お民のからかい半分の小言もただ笑って聞き流しているだけの大人しい男だとしか思っていなかった。
 ところが、である。兵助の突然すぎる死をきっかけに、二人のそれまでの関係が微妙に揺らぎ始めた。兵助が倒れてから、ついに一度もめざめることなく逝き、野辺の送りを済ませるまで、お民は源治に頼りっ放しだった。
 これまでただ大人しいだけの、どちらかといえば頼りない男だと思ってきたのに、源治は人が変わったかのように男らしさを発揮し、常に目立たない場所からお民をさりげなく支え、庇ってくれたのだ。
 やがて、源治から?お前に惚れているんだ?と打ち明けられ、実は自身も源治の意外な素顔に魅せられ始めていたお民は男の気持ちを受け容れ、兵助の一周忌の法要を終えた後、晴れて祝言を挙げた。
 お民は、再び惚れた男と寄り添い合う日々を手に入れ、今、幸せだ。料理自慢ではあるが、縫い物はからきし駄目なので、仕立物の内職もできず、弱り果てたお民は口入れ屋から、自分にもできそうな手仕事を探して貰った。