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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 祥月院は五十代半ばの整った面立ちの女性である。嘉門はどうやら母親似らしく、形の良い眼許辺りは特によく似ていた。なかなか気の強い誇り高い女人で、たとえ側女とはいえ、身分卑しい町人の女が嘉門の傍に上がったことには大いに不満を抱いているようだった。
 勢い、お民への風当たりも強く、態度も棘々しいものになる。
「申し訳ございません」
 お民は消え入るような声で詫びると、慌ててやって来た侍女に盆を手渡した。
 侍女が勝ち誇ったような笑みを一瞬見せたのを、お民は見逃さなかった。
 この屋敷の侍女たちは概ね皆、お民に対しては似たような反応を見せる。要するに、いきなり現れて殿さまのお手付きとなったお民を玉の輿に乗った―と羨んでいるのだ。
 自分がこの屋敷ではけして歓迎されてはおらぬことをよく知っているゆえ、お民は祥月院や侍女のこのような仕打ちについても、もう最初ほど落ち込むことはない。
 しかしながら、やはりこのようにきつく当たられると辛く、つい不覚にも涙が出そうになるのだった。
 お民から盆を受け取った侍女は次の間に消えた。
 その朝は常よりも更に静かな―まるで通夜か何かのように気まずい雰囲気の中で食事は終わった。
 まず、嘉門が席を立つのがいつものことである。続いて祥月院を手をついて見送った後、最後にお民が退室するのだ。
 その朝も食べ終えた嘉門が真っ先に立ち上がった。祥月院と共に平伏して嘉門を送り出そうとしたお民はふと顔を上げた。
「旦那さま、お待ち下さいませ」
 つと立ち上がり、嘉門に近づくと白い指先で嘉門の背中についた塵をつまんだ。
「お引き止め致しまして、申し訳ございませぬ。お羽織にこのようなゴミがついておりましたゆえ」
 懐から懐紙を取り出し、さっとゴミを包んでまた、しまうのを見、嘉門が小さく頷いた。
「あい済まぬ。よう気が付いてくれた」
 人前で―特にこの母親の前で感情を露わにすることのない男が嬉しげに笑っていた。
 そんな息子をちらりと見た祥月院が柳眉をひそめた。
「お民どの、その?旦那さま?という呼び方は聞き捨てなりませぬな。いかにも囲われ者のようゆえ、そのような町方の者があるじを呼ぶような嫌らしい呼び方はお止めなされ。まァ、とは申しても、囲われ者といえば、そなたは側女、確かに囲われ者には違いございませんでしょうがのう」
 その時、嘉門の鋭い声が祥月院の延々と続く嫌みを遮った。
「良い加減にお止めなされませ。先刻のふるまいからご覧あそばされてもお判りのごとく、お民は心利きたる女子にて、よく気の付く者にございます。回りくどい小言を並べ立てずとも、そのような呼び方が良くないと申し聞かせれば、すぐにお言い付けに従うでしょう。母上こそ、傍で聞いておる私の方がいささか聞き苦しうございますぞ。そのようにねちねちと愚痴とも嫌味とも知れぬことばかり仰せになっておられては、姑が嫁いびりを致しておると他人(ひと)の眼に映っても致し方ございませんでしょうな」
「な、何と、この私が嫁いびりをしておると―?」
 祥月院の美しい面がみるみる怒りに染まる。
「殿、私がこれまで殿の側室にと選んだ娘たちは皆、微禄とはいえ、れきとした武家の娘ばかりで、身許もしっかりとしておりました。その娘たちを退けてまで殿がお選びになったこの女、有り体に申し上げて、私は最初から気に入らなかったのでございます。確かに美しうはございますし、男の心をそそる色香もある女子には違いありませぬが、どこの馬の骨とも知れぬ下賤の者にございます。十年前であれば、間違いなく、このような賤しい女、殿のお傍に置くことなぞ許しはしませんでした。さりながら、殿もはや、おん年三十六、いつまでもそのように悠長なことばかりも申してはおられませぬ。殿のお気に召した女が漸く見つかったのであれば、少々のことには眼を瞑ってこの女を当家に迎え入れようとしたこの母の心が殿にはお判りにはなりませぬか! すべては、殿のお血を引く和子を何としてでもご誕生させるためにございますよ」
 祥月院がまくしたてている間中、嘉門は無表情で母親に言いたいだけ言わせておいた。
「母上」
 いつになく厳しい表情で嘉門が祥月院を見た。
 祥月院が?おや?というような顔になる。
 これまでであれば、どんなときであれ、母に逆らったり、面と向かって楯突いたりしたことのない従順な息子であった。
 彼女にとって、一人息子の嘉門はすべてであり、生命にも代えがたい存在でもあったのだ。その溺愛してきた息子が三十六年間で初めて見せた、醒めた表情。
 まるで赤の他人でも見るかのような、その突き放したような眼は、祥月院の心を打ちのめした。
「母上は先ほどから、お民に関して身分がどうのこうのと仰せになっておいでにござりますが、この女は私自らが欲した者にございます。石澤家の当主たる私が正式に認めた側室であれば、いわば、現在は我が妻も同然の女。私の妻を貶めるようなおっしゃり様は、たとえ母上とても許すことはできませぬぞ」
「その身分賤しき女を妻ですと、殿はどこまでその女の色香に血迷われたのか! このようなことであれば、いくら殿の御子を生ませるためとはいえ、そのような女を殿のお傍に上げることを認めるのではなかった。そこまで早々と籠絡されておしまいになったとは情けない」
 祥月院がお民を睨みながら、憎々しげに言い放つ。と、真っすぐにお民に近づいたかと思うと、思いきりその頬を打った。
 乾いた音がして、お民は右頬に燃えるような痛みを感じた。
「母上! 何をなされますか。無抵抗な女にいきなり、かような乱暴な真似をなさるとは、お気でも狂われましたか」
 嘉門が咎めるように言い、咄嗟に両手をひろげてお民の前に立ちはだかった。
「嘉門どのの方こそ、そなたを生みしこの母にそこまでの辛辣極まる物言い―、どこまでその女子に血迷われてしもうたのじゃ。嘉門どの、今すぐ、その女をこの屋敷から追い出しなさい。その女は、そなたを惑わす魔性の女。そんな怖ろしき女をこの石澤の屋敷内に住まわせることはできぬ」
 嘉門がお民を庇ったことで、祥月院の怒りは余計に燃え上がったようだった。
「母上は、私がこれほど申し上げてもまだ、お民を愚弄なされるのか」
 嘉門の方も今回だけは引き下がるつもりはないらしい。
 嘉門の背後に庇われる恰好になったお民は、やっとの想いで、くずおれた身体を起こした。
 自分のせいで、これまで孝行息子であった嘉門は母に歯向かい、聞き分けの良い自慢の息子を何より誇りにしていた母は、息子を口汚く罵っている。
 全部、自分のせいだ。お民の中でやるせない哀しみが生まれた。
「あれほど大人しかった嘉門どのがそのように私に歯向かい、悪態をつくとは、あの世の蓮のうてなにおわすお父上がお知りになられたれば、さぞお嘆きになりましょう」
 祥月院がお民を憎しみに満ちた眼で睨(ね)めつけた。
「すべてこの女が悪いのじゃ。この悪しき業を負うた女が嘉門どのを惑乱させ、この石澤の家に呪いと滅びをもたらそうとしておる。このような女なぞ、この世からいなくなってしまえば良い」
 祥月院が上ずった声で叫び、お民を燃えるような憎悪を込めて見据える。