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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 まさか、この銀の鋼は化けもののような蜘蛛の巣?
 そう考えた途端、戦慄にも似た烈しいおののきと恐怖がひたひたと押し寄せてきた。
 巨大蜘蛛は低い咆哮を上げつつ、じりじりとお民に向かって間合いをつめてくる。
 お民はあまりの怖ろしさに、このまま意識を手放してしまいたいとさえ願った。
 と、お民は、愕然とした。
 真正面から次第に近づいてくるお化け蜘蛛の顔は、何と人のものだ! しかも世にも二つとない怖ろしげな人面蜘蛛の顔は他ならぬ石澤嘉門のものだった。
 夜毎、お民の身体を犯し、責め立てる男。その男と瓜二つの顔をした蜘蛛が囁く。
―俺の子を生め。そなたは、俺の子を生むために、ここに連れられてきたのだ。
 蜘蛛がパックリと割れた大きな口を開くと、チロチロと紅い舌を出す。その舌があたかも蔓が伸びるかのように妖しく長くなる。
―いやっ。誰か、助けてっ。
 銀の糸に全身を縛められたお民は、一糸まとわぬ全裸だった。
 巨大な蜘蛛の紅い舌は禍々しいほど鮮やかで血の色のよう。そのちろちろと動く舌が長く伸び、お民の白い身体を舐め回す。ふくよかな胸乳から、豊かな腰、下腹部へと紅い舌が這い回る。
 ペチャペチャと淫らな水音まで聞こえるような気がして、お民は思わず両眼を固く瞑った。
―俺の子を生め。
 耳許で嘉門と同じ顔を持つ蜘蛛がまた、囁く。
―俺の子を生め。
 二月の末、初めて臥床(ふしど)を共にしてからというもの、嘉門は毎夜、離れに通ってきた。むろん、お民を抱くためであり、お民は一晩中、嘉門の執拗な愛撫に耐えなければならなかった。
 情事の後、あるいは最中に、嘉門は必ずこう囁くのだ。
―俺の子を生め、良いか、必ず、俺の子を身籠もるのだぞ。
 そのひと言は今や、お民の耳に不吉な呪(まじな)い言葉のように灼きついて離れない。

「―おい、お民、お民?」
 誰かがどこかで呼んでいる。
 私を呼んでいるのは誰―?
 お民は、かすかな希望を持ってそっと眼を開ける。
 だが、次の瞬間、彼女の儚い願いは無惨に打ち砕かれる。
 お民が身を横たえているのは薄くて粗末な布団ではなく、絹のふかふかの立派なものだ。
 しかも、隣に寝ているのは誰より逢いたいと願う良人ではなく、あの忌まわしい―先刻、見たばかりの妖しい夢に現れた蜘蛛と全く同じ顔をした男だった。
「随分とうなされていたようだが」
 お民は嘉門の傍らにゆっくりと身を起こす。何も身につけてはおらぬ裸の肩に、嘉門が背後からそっと夜着を着せかけた。
「汗びっしょりだ。こんなに濡れて」
 嘉門の指摘のとおり、まだ弥生の下旬に差しかかったばかりだというのに、お民の白い身体には汗がうっすらと滲んでいた。
 嘉門がゆっくりと近づき、お民の身体を褥に横たえる。
 男の顔がお民の波打つ乳房の間に埋まった。生温かい舌がお民の桃色の先端や乳輪をゆっくりとなぞってゆく。
 お民の乳房を吸いながら、嘉門は膚に滲んだ汗の玉をもゆっくりと口で吸い取っていった。
―あの夢と同じ。
 お民は、乳房を口に含む男の口中の生温かさや、時折、先端を舐める舌の感触にたまらないおぞましさを憶えずにはいられなかった。
 こうやって、あの夢のように、お民は夜毎、男に犯され慰みものにされてゆく。
 自ら覚悟していたつもりでも、お民にとっては辛い日々だった。いっそのこと気でも触れてしまえば、夜毎辱めを受けることへの抵抗も哀しみも感じなくて済むのかもしれない。
 でも、お民には源治との約束があった。たとえどんなことがあっても、生きて惚れた男の許に戻らねばならない。込み上げそうになった涙を眼の裏で乾かし、お民は障子越しに閨に差し込んでくる蒼白い光に眼を向けた。
 東の空が白々と明るくなっているようであった。夜明けが近いのかもしれない。源治のことを思い出しながら、嘉門に抱かれるのはとりわけ辛かった。
 お民はつとめて惚れた男のことを考えないようにしながら、虚ろに見開いた眼でぼんやりと夜明け前の光を見つめていた。
 その間にも、嘉門の愛撫は烈しさを増してゆく。それを止めるすべもないままに、お民は苦痛とも快楽ともつかぬ微妙な感覚の中に全身を委ねながら、それでも意識だけは不思議なほどに醒めた頭でとりとめもないことを考え続けた。
 身体は嘉門の巧みな愛撫に馴れ、次第に歓びを憶えるようになっても、心だけはけして見失うまいとするかのように。
 
 その日の朝、お民は?本邸?と呼ばれる母家(おもや)の座敷にいた。
 石澤家には大勢の奉公人がいるが、そういった使用人を除けば、当主の嘉門、その母祥月院二人きりである。
 お民の場合、昼食と夕食は離れにおいて一人で取るが、朝餉のみは母家で取ることが習わしとなっている。そのときのみは嘉門、祥月院とお民の三人が顔を揃えることになった。
 離れで一人、食事を取るといっても、お民一人というわけではない。恐らく監視の役目もかねているのではあろうが、傍には常に一人から二人の侍女が付き従っており、食事の際の給仕などはすべてお付きの侍女が行うのだ。
 たまには夕刻に嘉門がふらりと思い出したように訪ねてきて、二人で夕餉を取ることもあった。
 そんな時、お民は特に何を話すわけでもなく、ひたすら黙々と食事を取ることに集中する。嘉門もまた、時折、思いついたようにポツリと他愛もないことを話題にし、お民からの反応が返らずとも不機嫌になることもない。
 話の合間に、嘉門が自分の方をじいっと見つめていることに気付いていないわけではないけれど、お民としては自分の方から進んで嘉門の話に付き合おうとも付き合いたいとも思わなかった。
 これが相手が源治であれば、その日に起こった些細なことを互いに面白おかしく喋り合い、賑やかに食事を取ったものだった。やれ近所の犬が子を生んだの、若い大工が意中の娘にフラレただのと実にありふれた世間話でさえも、お民は何でも聞きたがり、眼を輝かせて源治の話に耳を傾けたものだ。
 どんな環境に陥ったとしても、その場所で自分なりに自分にできることに力を尽くすべきだ―、それが信条のお民も流石に離れに閉じ込められ、夜毎、男の慰みものにされるだけの日々では、希望も持ち前の明るさも失ってしまうのは致し方なかった。
 その朝も嘉門が上座に端座し、それよりやや離れた下座に祥月院、祥月院と向かい合うような形で一歩下がった場所にお民が座っていた。
 給仕をするための侍女が一人、次の間に控えている他は、三人だけの朝食である。
 嘉門が空になった茶碗を差し出すのを見、お民が立ち上がった。茶碗を受け取って丸盆に乗せようとすると、祥月院が鋭い一瞥をくれた。
「お民どの、このようなことは、当主の側近く仕えるそなたの致すべきことではない。ご飯をよそうのも、運ぶのも女中のすることではないか。全く、当家に参ってはやひと月になるというに、いまだに武家のしきたりの何たるかも判らぬでは、先が思いやられるわ。そなたの恥は、嘉門どのの恥、ひいてはこの石澤家の恥とさよう心得よ」