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ねこたねこ
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猫のムサシと猫のコジロウ

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錆ついて開けづらい蓋を力ずくで開けてみると、中には亡き祖父と一緒に行ったときのものであろう、旅券や観光施設の半券、それに病院の領収書などがごちゃまぜに入っていた。なんだと思って蓋をしようとすると「チリッ」という小さな鈴音が耳に入った。レシートの下に赤いものが見える。缶をひっくり返してちゃぶ台に中身を出すと、それは半分切れかかり、泥に汚れた赤い首輪だった。
「コジロウ……」
 優希也は責任を感じていた。二日前のあの日、自分のちょっとした油断でコジロウは出て行ってしまった。亡き祖母を支え、孤独だった晩年をあたたかい温もりで包んでくれた最愛のパートナー。一番の形見ともいえるコジロウを、自分が引き継ぎ、最後まで面倒をみることができなかった。そのことを心の底から悔いていた。申し訳なくて、やりきれなくて、何度となく近所を捜してもみたが、とうとうコジロウは見つからなかった。
 目がしらが熱くなり、思わずギュッと首輪を握る。その優希也の手に、鈴とは違う少し柔らかい妙な感触が伝わった。
首輪には、今はもうすっかり錆びてしまった二つの鈴が付いている。だが、よく見ると、その一つは鈴ではなく、鈴に似た形のカプセルのようなものだった。高齢だった祖母は二つとも鈴だと思い、このカプセルに気付かなかったのだ。
優希也は首輪からカプセルを外し、そっと開けようとする。カプセルは、かなり劣化していて開ける途中でつぶれてしまったが、中には小さなビニールに入った紙切れがきれいな状態で残っていた。
「中山ムサシ 住所 ○○市××……… 電話○○―×××―△△△△」
 それはコジロウの元々の飼い主が、行方不明になったときのために首につけておいたメモだった。

   11.

 翌日、佐織は勇福寺へ向かっていた。
なにしろ帰ってきたばかりのムサシと一緒にいたい。それに、もう「思い出の猫」を描いてもらう必要もない。けれど、どうしても気になった。あの老人はムサシが生きていて、そして戻ってくることを知っていたのではないだろうか……? ならばこの二年間のムサシについても何かを知っているのではないだろうか? そして、それを知ることができるのは、今日しかない。そう思ったのだ。
 昨日と変わらず賑わう出店や霊園を急ぎ足で通り過ぎ、里親探し会場の小屋もやり過ごす。奥の露店スペースはすでに昨日以上の人であふれ返っていた。一番奥のスペースのさらにちょっと先に昨日の老人がいるのがわかり、佐織はホッと胸を撫で下ろす。息を整えゆっくりと歩き、老人の前に立つ。
「やあ、あんたか……」
「おじいさんの言った通り、描いてもらわなくても大丈夫だった……」
 老人は何も言わず、顔中のシワがくしゃくしゃになるくらいの笑みを浮かべると、うんうんと納得するように頷いた。そして背後からもう一つ折りたたみ椅子を取り出すと、キャンバスを挟んで立つ佐織に手渡した。佐織は折りたたみ椅子を広げ、座ろうとするや否や唐突に訊いた。
「おじいさんは、全部、わかってたんですか?」
老人は一瞬びっくりした表情を浮かべながらも、同時に眉をハの字にして破顔する。
そして、照れくさそうに言った。
「わたしは、ただのじいさんだよ」
 佐織は今の言い方は失敗だったとなんとなく思った。そして、自分の中の好奇心を打ち消して、素直な思いを語る。
「おじいさん、私ね、本当に苦しかったの。ムサシはただの猫じゃなかった。私の生きがいだし、生きがいを教えてくれた存在だったの。ムサシがいなくなってからの毎日は、ずっと世界がセピア色だったような気がする。でも、帰ってきてくれたから……、また……」
 ちょっと涙ぐんでしまう佐織。老人はさっきと変わらぬ笑顔で小さく頷きながら佐織の話を聞いている。
「でね、昨日はムサシの顔を見ながら、いろんなことを考えちゃった。ムサシはどうだったのかなって。この二年間、つらい思いをしなかったかなとか。どこにいたのかなとか。ムサシに訊いてみたんだけど、ミャアミャアしかいわないの……」
そう言って佐織は滲んだ涙をぬぐいつつ、小さく笑った。
老人はジッと佐織の顔を見つめている。佐織の思いがどれほど深いものであったのか、また、佐織の言葉がどれほど真剣なものなのか、それを見極めようとするかのような目で見続けている。
しばらくすると老人は何かを悟ったように、少し悲しそうな、それでいて穏やかな笑みを浮かべると、目を細めて天を仰いだ。そして、おもむろに背後のビニール袋から描きかけのムサシの絵を取りだし、画用紙の下の二角を指先でつまむと、佐織に上の二角をつまむよう促した。佐織は怪訝そうにしながらも老人が言うままに画用紙の上二角をつまむ。すると老人は佐織に向かって低い声で静かに言った。
「昨日、私が見たものを君にも見せよう」
 老人がそう言った刹那、バシュッという音がしたかと思うと、佐織の中のあらゆる感覚が閉ざされた。すべての音が消え、すべてのものが視界から消える。何も見えない、聞こえない白い空間、無の世界。しかし徐々に、佐織には一つの映像が見えてきた。いや、実際に見えているわけではない。直接、脳内に入り込んできているのだ。
 たくさんの車が往来する街道の歩道を早足で歩いている一匹の猫の姿。ザーッとアスファルトを擦る音を立てながら歩道すれすれを走る車に怯え、物陰に隠れる。やり過ごすと、また、早足でしっかりと一つの方向に向かって進みだす。それは、紛れもなく佐織の愛猫。それも今の、いや、おそらく昨日のムサシの姿だった。
 込み上がるものを抑えることができず、身体が震え、折りたたみ椅子から崩れ落ちる。ガクッと膝をついた佐織は我に返った。目の前には、佐織を包み込むようなやさしい目で見つめている老人の姿が滲んで見える。佐織は老人に何かを言おうとした。何を言ったらいいのかわからないけれど、何かを言いたかった。しかし、言葉は見つからず、つなぐ言葉も涙に咽び声にならない。すると老人はそんな佐織をいたわるように静か口を開いた。
「昨日、君は〝死んじゃったムサシ〟と言った。だから、描きながらムサシがいるはずの場所を探してみたが、ムサシはどこにもいなかった」
 佐織は両手で顔をおさえながらも、うんうんとしっかり頷き老人の話に耳を傾ける。
「そのうち私に気付いたようでね、この絵を描き上げないでくれと、話しかけてきた」
指の間から漏れる涙が眼下の地面を染めていく。
老人はそっとタオルを佐織に渡すと、ときおり広がる青空を仰ぎながら佐織が落ち着くのを何も言わずに見守った。
しばらくして顔を上げた佐織が自然と笑みを漏らすと、老人はムサシの話を続けた。
「ムサシは二年間、君を忘れたことはなかったよ。かたときもね」
「えっ……」
「ずっと君のもとに帰りたかった。だが、帰れない事情があったんだ。どうしても、やらなきゃならないことがあったんだよ」
「……」
 周囲のざわめく音が少しずつ遠ざかり、老人の声だけが心に届いてくるようだった。
「ムサシはずっと幸せだったよ。君と一緒のときと同じようにね。戻るときがきたら戻ろうと思っていた。戻るときがきていなければ、まだ、君のところに帰ってはいなかっただろう。そして、昨日がその、戻るときだったのだろうね」