それぞれの死
「何で無料低額宿泊所がないとホームレスの保護は出来ないんですか?」
栄太郎が身を乗り出した。
「ホームレスのままの状態では保護出来ないんだよ。定住地がないまま保護を受けるということは、A市でも保護を受けられて、B市でも保護を受けようと思えば受けられることになる。だから、居住地を設定し、発生地保護の観点から実施責任を定め、事実上、居住地保護をするということになる。その場合、長年ホームレス生活が染み付いたケースをいきなりアパートなどで居住地を設定するのはリスクが高い。そこで無料低額宿泊所のような施設で見極めをしてからアパート設定をするのが建前だ。だから無料低額宿泊所は『必要悪』なんだよ。まあ、古池不動産みたいな無料低額宿泊所ばかりとは限らんが、それでも住宅扶助の上限ぎりぎりまで徴収したり、保護費をほとんど搾取したりするのは共通しているな」
高橋係長は一気にそう言うと、グーッとホッピーを飲み乾した。
「俺、次は日本酒でいくわ」
「あ、僕も付き合います。それにしても無料低額宿泊所は何故、純粋な慈善事業でできないんですかね?」
「まあ、慈善事業だけでホームレスを救えるとは思わんがね。それにしてもビジネスに走りすぎのきらいはあるよ」
「ふーん……」
栄太郎はつまらなさそうな顔をして、ビールを飲み乾した。
四日後の朝、栄太郎に百日台寮の寮長から電話が掛かってきた。
「横井啓太が三日前から行方不明になっているんだ。こちらは退寮の扱いをして、新規を入れるから……」
「何故、三日前からいなくなっているのに、今になって連絡をよこすんですか? 遅すぎますよ」
「取り決めで三日は様子を見ることになっているんだ」
寮長は苛ついた声で、そう言った。栄太郎は悔しくて仕方なかった。横井啓太のケースファイルを取り出す。栄太郎は恨めしげにそれを眺めた。
栄太郎は思う。ホームレスの思惑と自分たちの支援との間にズレが生じていると。そして、そこに蔓延る貧困ビジネス。問題は糸口が見出せないまま混沌の色を湛えていた。
面接相談員の小島が怯えながら、栄太郎のところにやってきたのは七月二日、明日に保護の支給日を控えた日だった。
「ついに百日台で出ちゃいましたよ。マル暴の申請が……」
「マル暴って言うと、暴力団のことですか?」
「そう、元暴力団組員ということないなっているが、実態はどうだか?」
「マル暴の場合、三点セットを取るんですよね。確か、脱退届と破門状、それと念書……」
「敵もさるもの、しっかり三点セットを提出してきやがった。まあ、大変だと思うけど、よろしく頼むよ。一応、警察に照会をかけておいた方がいいぞ」
小島はそう言うと、ケースファイルを栄太郎のデスクの上に置いた。そこには4756というケース番号と小山籐吉という名前が記されていた。
「マル暴上がりは指導困難ケースだな」
高橋係長がやるせないため息を交えて言った。
「初めてですよ。指導困難ケースは……」
「俺も小島から相談は受けていたが、なかなかの奴だぞ。覚悟しておいた方がいい」
「そんな悪い奴なんですか?」
「うむ。新規の開始記録を読めばわかるさ」
栄太郎はケース記録に目を落とした。
幼少の頃よりまともに学校に通っていなかった小山藤吉は、中学を卒業してすぐに黒寅組の舎弟になる。その後、若頭まで上り詰めるが、ここのところ、大した実績はないようだった。ただ、その前科はそうそうたるもので、傷害、恐喝、詐欺に覚醒剤と一通りの悪事はこなしているようだった。やっていないのは殺人くらいのものか。以前は隣の持立市で生活保護を受けていたようである。その際には、県警の家宅捜索が入り、覚醒剤所持で逮捕され、保護は廃止になっていた。逮捕拘留され刑務所に服役するとなると、拘置所の中で最低生活は保障されるため、保護は廃止となるのだ。
「灰皿の前へ行きませんか?」
栄太郎が高橋係長を誘った。煙草を吸わない栄太郎は自動販売機で缶コーヒーを買う。高橋係長が「ふふふ」と笑って席を立ち上がった。
市役所の裏側、灰皿の前で栄太郎は、缶コーヒーを片手に深刻な顔をしていた。高橋係長はフーッと煙を吐き出す。
「まず、訪問はもちろんのこと、面接は必ず二人で行った方がいいな。奴は詐欺の腕もかなりのものらしい。持立市では生業費を毟り取られたらしい。パソコンもメーカーにクレームを入れて騙し取っている。小島の言うように、警察に照会はかけた方がいいかもしれないな。脱退届と破門状は偽物かもしれん……」
「はあーっ……」
栄太郎は重いため息をついた。
翌日は保護費の支給日だったのだが、窓口は物々しい雰囲気に包まれていた。ケースは順番に並んで、保護費の受け取りを待つ。だが、小山藤吉が周囲を恫喝し、一番にカウンターの前へ来たのだ。
「俺が小山だ。よろしく頼むぜ」
小山はわざと袖を捲くり上げ、刺青を見せている。周囲のケースは萎縮していた。
「小山さん、周囲を脅かさないでくださいよ」
栄太郎はため息をつくと、小山にそう言った。
「おい、言葉に気をつけろよ。俺がいつ周囲を脅かしたって言うんだ。皆、優しいから俺に順番を譲ってくれたんじゃねえか。なあ皆?」
小山藤吉が振り返る。だが、ケースの皆は萎縮したままだ。小山藤吉が受給者証と印鑑を無造作に差し出した。支給簿に印鑑を押してもらうと、栄太郎は小山藤吉に保護費の入った封筒を渡す。小山藤吉はそれをその場で開封した。
「おい、少ねえじゃねえか。持立市はもっとくれたぞ」
「持立市とは級地が違うんです。出せるのはその金額です」
生活保護ではその級地によって金額が違う。窮地は1級地の1から3級地の2まで分かれている。帰帆市の場合は2級地の1であった。ちなみに持立市は1級地の2である。
小山藤吉は「けっ」と言うと、不満そうな顔をして、引き返していった。
その小山藤吉が最初にトラブルを引き起こしたのは、帰帆総合病院でのことだった。小山藤吉は「足が悪いから身体障害者手帳の診断書を書け」と医者に迫ったのだ。それは多分に詐病であった。だが医者は「そんなことで診断書は書けない」と突っぱねたのだった。病院のケースワーカーから電話を受けた栄太郎は、「大事にならなきゃいいが」と思っていた。
小山藤吉からは病院に行った翌日、電話が掛かってきた。
「帰帆総合病院の先生が身体障害者手帳の診断書を書いてくれねえんだよ。北島さんからも医者によく言っておいてくれや」
「でも、どこも身体は悪くないじゃないですか」
「足が痛えんだよ。ここんところ、足が上がらねえんだ」
「そんなこと言ったら、誰でも障害者になってしまいますよ」
「うるせえ! 俺の辛さがあんたにわかるって言うのか。俺の足は不自由なんだよ。何とか医者と交渉しろ!」
栄太郎は思った。小山藤吉は生活保護費が思ったよりも少なかったので、進退障害者手帳を取得することにより、障害者加算を狙っているのだと。身体障害者の1級と2級には障害者加算がつく。おそらく、小山藤吉はそれが欲しいのだ。
「医者が診断書を書けないと言っている以上、僕にも無理ですね。福祉事務所にそこまでの権限はないですから」
「けっ、頼りにならねえ奴だ。市長を出せ!」