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それぞれの死

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 この「市長を出せ」という台詞はクレームをつけてくる輩の常套句だ。
「このことは僕が担当になっているので、市長は関係ありません」
「ああ、だったら何とかしろよ。コラ!」
「何とも出来ないものは何とも出来ないとしか答えようがありませんね」
「上等じゃねえか。月夜ばかりじゃねえんだぞ!」
 小山藤吉はそう言うと、乱暴に電話を切った。栄太郎の心臓はドキドキと早い鼓動を脈打っていた。

 小山藤吉の住むアパートに栄太郎と高橋係長が家庭訪問したのは三日後だった。何でも、
「膝詰めで相談したいことがある」とのことで、訪問せざるを得なかったのだ。
 小山藤吉のアパートは乱雑を極めていた。食い散らかしたカップ麺の空容器が転がっている。それに灰皿は山のように吸殻が積もっていた。
「ご相談したいこととは?」
 ランニングシャツに短パンの小山藤吉に栄太郎は話を切り出した。小山藤吉の腕には見事な刺青が彫られている。それは、栄太郎や高橋係長への「脅し」でもあった。
「今度、事業を始めようと思っているんだ。そのために三百万ほどの金が要る」
「三百万……ですか?」
「そうだ。千社札を作る商売だ。人の自己顕示欲につけこんだ商売だ」
 小山藤吉が手書きの拙い事業計画書をポンと栄太郎の前に放った。
「出せねえとは言わせねえ。持立市はちゃんと生業費を出したんだからな」
「持立市での事業はどうなったんですか?」
「何、俺がシャブでパクられてお釈迦よ。だから、もう一度、やりてえんだ」
「それにしても三百万円というのは高すぎますね。基準額を大幅にオーバーしていますよ」
 高橋係長が小山藤吉を睨むように言った。
「何、出せねえって言うのか。生活保護には特別基準というものがあるだろう。俺は知っているんだぞ。車の免許とか取る場合に費用を出せるじゃねえか。事業を始めるのに三百万なんて安いもんよ」
 栄太郎は小山藤吉に詐欺の前科があることを思い出していた。
「では、一応検討させていただきます」
 高橋係長が事業計画書を受け取った。そして、変更申請書の様式を差し出した。
「これに『生業扶助、三百万円を支給してください』と書いていただきましょうか」
「おう、よろしく頼むぜ」
 小山藤吉は上機嫌でペンを走らせた。それは小学生の低学年が書くような下手くそな字だった。栄太郎も高橋係長もやりきれない顔で、その変更申請書を眺めていた。
「本当に三百万も支給するんですか?」
 小山藤吉のアパートを辞した栄太郎は、思わず高橋係長に尋ねた。
「そんなわけないだろう。あの変更申請は却下だ、却下。特別基準の上限額を遥かに超えているからな」
「じゃあ何故、わざわざ変更申請書まで書かせたりしたんですか?」
「生業費を請求する権利はある。だから変更申請書を書かせたまでだ。ふふふ、検討すると言っただけで、支給するとは言っていない。だが、却下されたと知ったら小山藤吉は怒るだろうな。脅迫に出るかもしれん」
「ゾッとしますよ。何しろ熊のようなあのガタイですからね」
「ここで折れたら、俺たちの負けだ。行政に脅しは通用しないことをわからせてやろうじゃないか」
 高橋係長は不適な笑みを浮かべて、公用車の助手席に乗った。

 翌日、栄太郎のデスクに外線が入った。栄太郎は小山藤吉でないことを祈った。だが、その電話は県警の暴力団対策室からだった。
「先日、ご照会いただいた小山藤吉の件ですけど、まだ黒寅組に所属していますね。れっきとした暴力団幹部ですよ」
「ええっ、そうなんですか? でも脱退届と破門状は提出されていましたよ」
「おそらく破門状は偽物でしょう。脱退届は組長が受理しない限り無効です。小山藤吉はまだ幹部として堂々と名を連ねていますよ。まあ、今は相談役くらいの活動でしょうけどね」
 電話を切った栄太郎は高橋係長に県警からの電話の内容を報告した。
「保護廃止だな、廃止……」
「本人が納得しますかね?」
「そんなこと関係ない。生活保護手帳に載っている、『生活保護を適正に運営するための手引き』を見てみろ」
 栄太郎は早速、生活保護手帳を捲る。すると、そこには「暴力団員に対する生活保護の適用の考え方」という文書が載っており、「保護の要件を満たさないものとして、急迫状況にある場合を除き、申請を却下することとする。また、保護受給中に、被保護者が暴力団員であることが判明した場合にも、同様の考えに基づき保護の廃止を検討する」と書いてあった。
「ふーん……。で、これで納得するでしょうかね、小山藤吉は……」
「納得なんかするはずなかろう。でも俺たちは小山藤吉の生活保護を廃止しなければならないんだ」
 そう言った高橋係長の瞳には力が篭っていた。栄太郎は不安げな顔を返すことしか出来なかった。

「何で、生保が廃止になるんだよー!」
 小山藤吉は面接室で大声を上げた。栄太郎はやや肩をすくめているが、高橋係長は動じない。
「小山さんはまだ、黒寅組の幹部でいらっしゃいますね」
 高橋係長は小山藤吉の瞳を見据えて言った。
「ちっ、警察に照会しやがったな。そうよ、そうともよ。俺はまだ黒寅組を抜けちゃいねえ。だが、暴力団の組員が生保を受けちゃいけねえって誰が決めたんだ。組員だって人だぞ。人権はあるんだぞ!」
「厚生労働省の通知で決まっているんです。暴力団員には保護が適用できないって……」
 栄太郎が少しおっかなびっくりに言った。
「面白え、喧嘩を売ろうっていうのかい。この黒寅組に……」
「そんな気は毛頭ありませんよ」
「なら、納得のいく説明をしてもらおうじゃねえか」
「暴力団員の場合は非合法な形で収入を得ていますね。それは表面化されることはない。つまり、我々もどのように収入認定していいかわからないんです。そして、収入を申告してもらっても、それを裏付けるものは何もない。第一、あなたの場合は稼動年齢層なんだから、稼働能力非活用でも保護の対象にはなりません」
 栄太郎は一気に捲し立てた。高橋係長は「暴力団にも金が回っているんじゃないんですか? それは不正受給ですよ」と言い添えた。
「面白え、実に面白えよ。そんなに黒寅組に喧嘩を売りてえか。いいか、覚えてろよ。月夜ばかりじゃねえんだぞ。そのうちあんたら、怪我するくらいじゃ済まなくなるぜ」
 小山藤吉が冷却器を忍ばせた声で脅す。
「それは福祉事務所に対する脅迫ですか? ならば、我々は警察に相談して中止命令を検討せざるを得ませんな」
 高橋係長が小山藤吉を睨みつけながら言った。
「ぐっ、中止命令か……。あれを出されるとこっちは手も足も出ん。卑怯だな、福祉事務所は……」
 小山藤吉は悔しそうな顔をする。
「おわかりいただけたら、お引取り願いましょうか」
 高橋係長が立ち上がり、面接室の扉を開けた。小山藤吉は「覚えてろよ」という捨て台詞を吐いて、帰っていった。

 それから二日後のことである。帰帆警察署の瀬田という刑事から栄太郎に電話が入ったのは。
「小山藤吉が受け取った保護費の額を知りたいんです」
「何故ですか……?」
 栄太郎はいささか呆けた顔でもしていただろうか。
「はい。ガサ入れ(家宅捜索)を行ったんですわ。暴力団の資金源を今、洗い出しているところなんです」
作品名:それぞれの死 作家名:栗原 峰幸