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それぞれの死

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 この時期、年金改定があり、その資料集めに忙しい時期であった。年金の収入認定額を変更しなければならないのだ。その時期に五人も新規ケースが増えるというのは、栄太郎にとって痛手であった。だが、無情にも栄太郎のデスクの上には五冊のケースファイルが積まれた。
「ふふふ、無料低額宿泊所の実態を知っておくのも勉強になるぞ。それにしても百日台地区の保護率が上がるな。まあ、早いうちに訪問しとけよ」
 高橋係長はペットボトルのお茶をグイと飲んで笑った。
 栄太郎は何か釈然としないものを心の中に覚えながら、積まれたケースファイルを見つめた。
「みんな、百日台駅周辺でホームレスをしていたと言うが、あそこはホームレスの少ない地区だからな。本当かどうかは疑わしいぞ」
「そう言えば、百日台駅周辺でホームレスを見かけたことなんてないですよ」
「そうだろう。NPOなんて謳ってはいるが、しっかり保護費で稼いでいる施設だよ。入所したってケースは保護費のほとんどをNPOに搾取される。とても次のステップに進めたものじゃない。とにかく百日台寮は新規オープンしたばかりだからな。今はお客さん集めに必死なんだろう。都会ではNPOによるホームレス狩りなんていうのも行われている」
「ホームレス狩りですか?」
 栄太郎は目を丸くした。高橋係長はパソコンから視線をずらし、栄太郎を見た。
「ホームレスを襲うことじゃないぞ。都会なんかにいるホームレスに声を掛けて、集めて車に乗っけるんだ。そういう人集めをしているんだよ。そして、生保の申請の時にはその地区でホームレスをしていたと言わせる」
「そんなことがまかり通るんですか?」
「どこでホームレスをしていたかなんて証拠はどこにもない。NPOとケースの言うことを信じるしかないのが実情さ」
 ホームレスの場合、発生地保護と言って、そのホームレスが窮状を訴えたところが保護の実施責任を負うことになっている。何か釈然としない思いを胸につかえたまま、栄太郎はケースファイルに目を落とした。

 翌日、栄太郎は家庭訪問をしながら年金の改定通知を集めていた。十五時過ぎ、栄太郎の足はNPO法人が運営する無料低額宿泊所の百日台寮へ向いていた。百日台寮は潰れた社員寮を改修したもので、その外観は立派とは言えなかった。
「俺も元はホームレスだったんでさあ」
 寮長と呼ばれる大柄の男は、どう見ても柄が悪そうだった。栄太郎は「まずは面接させてください」と言って、寮長の後に続いた。
 横井啓太の部屋は一つの部屋を間仕切りで区切った、鰻の寝床のような部屋だった。
(これで住宅扶助の限度額ギリギリ取るのは、いくらなんでも酷すぎるな) 
 そんなことを思う栄太郎だった。
「横井さん、どうですか、ここの暮らしは?」
 すると横井は万年床から起き上がることもせず、「最悪ですわ」と言った。
「何が最悪なんですか?」
「まず、受け取った保護費のほとんどを管理費として搾取される。自由に使える金は月にして一、二万ですわ。それじゃあ、とても自立なんかできないでしょう。それに、寮の規則が厳しすぎる。酒はダメ、門限はある、外出する時は寮長の許可を得る。これだったら貧乏暮らしをしていてもホームレスの方がマシですよ」
「ふーん……」
「あんたもホームレス狩りに遭ったのかい?」
「ああ、俺は元々、隣の二カ瀬町の漁港で生活していたんだ。そこを、このNPOが掻っ攫いにきたってわけさ。生活保護を申請する時は、百日台駅にいたことにしろってNPOの幹部から言われたよ」
「それって、マズくないですか? 虚偽申請ですよ」
 この時、栄太郎は心の中に怒りの炎が広がっていくのを感じていた。その怒りは横井啓太に向けられたのではなく、あざといNPO法人に向けられていた。
 横井啓太の部屋を出た栄太郎は寮長に詰め寄った。
「何で二カ瀬町の漁港で生活していた横井さんが、帰帆市で保護しなきゃならないんですか?」
 すると、寮長はしかめ面をしながら、「あの野郎、喋りやがったな」と言って、膝を叩いた。
「ホームレスの保護は発生地保護でしょう。だったら二カ瀬町を管轄する笹熊福祉事務所に実施責任があるんじゃないんですか?」
 栄太郎は更に寮長に詰め寄った。だが、寮長は動じない。
「あんた、生保の担当をやって何年になる?」
「この四月に異動してきたばかりです」
「ホームレスはな、最初に相談を受けた福祉事務所が責任を持つことになっているんだよ。これは県と福祉事務所の取り決めで決まっていることだ。確かに横井は二カ瀬でホームレスをしていたかもしれない。だが、最初に相談したのは帰帆市の福祉事務所だ。何も文句はないだろう」
 この時、栄太郎は何も言い返せない自分が悔しかった。まだ、制度をそこまで熟知していなかったのだ。だが、栄太郎の心の中には漠然とした怒りが、まだ燻っていた。
「でも、この鰻の寝床で住宅扶助ギリギリの金額を搾取するというのはいかがなものでしょうかね?」
「ちゃんと県のガイドラインには従っているよ。間仕切りで個室を造れば住宅扶助の限度額まで徴収していいことになっている。そう、三万六千円をね……」
 鰻の寝床、風呂・トイレ共同で、このご時世、家賃が三万六千円というのは高すぎる印象を受けても仕方ないだろう。栄太郎の感覚が世間の一般常識からずれているわけではなかった。
「じゃあ、管理費を徴収するのは?」
「そりゃ、こちらだって全部慈善事業ではやれないよ。食費や水光熱費だってかかるんだ」
「それでも支給した保護費のほとんどを徴収しているじゃないですか?」
「それが嫌なら出て行けばいい。まあ、元のホームレスに戻ることになるがね」
 寮長は勝ち誇ったように言った。栄太郎はそこでも言い返せない自分が悔しかった。

 その晩、栄太郎は市役所の近くの居酒屋で、高橋係長と酒を酌み交わしていた。
「まったく、どうしようもないですよ。あのNPOの無料低額宿泊所は……」
 栄太郎がビールを煽りながら、愚痴った。
「まあ、そう怒るな。あんな施設でもないと困るんだ。女性の場合、婦人相談所やシェルターがあるが、男性のホームレスの場合、無料低額宿泊所が出来るまで救う手段が実質なかったんだ」
「でも、あの環境が良いとは言えませんよ!」
 栄太郎は声を荒げた。
「まあな。だが、会社の寮を追い出されて、ボストンバッグ一つをぶら下げて相談に来る奴らを救う手段が今までなかったんだ。それを思えばあんな施設でも『必要悪』だよ」
「そんなもんですかねぇ……」
「あのNPO法人の元締を知っているか?」
「いえ……」
「古池不動産という悪徳不動産屋だ。まるでヤクザのような不動産屋だ。古いアパートや潰れた社員寮を次々に買い取り、無料低額宿泊所を県内に開設している。今度は貧困ビジネスに目を付けたってわけだ」
「なるほど……。古池不動産なら知っていますよ。税務課にいた時にも、あそこは問題視されていましたからね」
 栄太郎がビールをグイと煽る。高橋係長はホッピーだ。
「厚生労働省も無料低額宿泊所については目を瞑っているというか、むしろ頼りにしている状態だ。あれがないと、ホームレスの保護は出来ないからな」
作品名:それぞれの死 作家名:栗原 峰幸