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それぞれの死

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 二人から出るのはため息ばかりであった。
 翌日の午後、高山真治は荼毘に付された。火葬に立ち会ったのは葬儀屋の辰巳屋を除けば、栄太郎一人である。栄太郎は遺骨を抱えて、成願寺へと向かった。
 成願寺では住職が、さも嫌そうな顔をして待ち受けていた。
「本当は永代供養料が必要なんだけどね」
 住職にそんな厭味を言われながら、栄太郎は遺骨を住職に引き渡した。果たしてこれで高山真治の魂が救われたのかどうか、栄太郎にはわからなかった。だが、そこに人の死に対する尊厳が存在していないことだけは確かであった。

 高山真治の家の片付けは、生活福祉課から総勢五名を駆り出して行われた。トラックで荷物を運び出し、市の焼却場へ何往復もする大変な作業で、丸一日かかった。栄太郎はこんなことまで生活福祉課がやらなければならないのかと、正直なところ思ったりもした。だが、田所に言わせれば、「他にやる人がいなんだから、しょうがないだろう」とのことだった。
 栄太郎が市役所に戻ると、デスクの上にある内線が鳴った。正直なところ、疲れていたので、電話を取る気にはなれなかったが、こればかりは仕方がない。
「はい、生活福祉課の北島です」
 もう十七時を回っていたので、警備員が電話交換をしていた。
「北山さんに民生委員の熊沢さんから外線です」
「もしもし、北島ですけど」
「ああ、私だ。民生委員の熊沢だ」
「この度、高山さんの件では、ご迷惑をお掛けしました」
「いえいえ、これも民生委員の仕事ですよ。それより北沢さん、高津栄子が二カ瀬町のスナック『マリ』でこっそり働いていますよ」
「ええっ?」
 その話は信じられるものではなかった。高津栄子は大腸癌を患い、ストマ(人工肛門)を付けており、身体障害者手帳の4級を所持していたのである。そんな高津栄子が働けるとは思ってもみなかった栄太郎であった。
「いや、本当なんですよ。先日、民生委員の集まりで二カ瀬町へ行きましてね。その晩、そのスナックで飲んだんですわ。そうしたらいたんですよ、高津栄子が……。『澄子さん』なんて呼ばれていましたけどね、あれは源氏名でしょうね」
 熊沢民生委員はさも嬉しそうに言った。生活保護の不正受給を暴いて得意になっている様子だった。
「有力な情報、ありがとうございました。早速、調査してみます」
 電話を切った栄太郎は、熊沢民生委員からの情報を高橋係長に伝えた。
「田所と早速、実地調査に行ってこい。もし、本当に高津栄子だったら、明日、ここに呼び出すんだ」
 二カ瀬駅は市役所の最寄り駅である帰帆駅から三つほど下った駅である。二カ瀬町はこの帰帆市に隣接する町で、笹熊郡の町である。
 栄太郎と田所は二カ瀬へ電車で移動した。高津栄子がいなければ、スナックで一杯引っ掛ける算段であった。
「係長はよく『まずはケースを信じろ』と言うが、この仕事やっていると、段々、人間不信になってくるぞ」
 田所は二カ瀬に着く前の長いトンネルの中で、唸るように言った。
 高津栄子はいかにも真面目そうで、控えめの女性だった。
「もし、高津栄子がスナックで働いていたら……?」
「その時はその時だ……。相手の出方にもよる。何せスナックなんかで働かれると、まず課税調査なんかでは引っ掛からない。今回みたいなタレコミがなきゃな……。それだけ確信犯の可能性が高いんだよ」
 電車はトンネルを抜けた。もう二カ瀬は目前であった。栄太郎は自分の気を引き締めるように、ネクタイを締めなおした。

 スナック「マリ」は二カ瀬駅を降りて、寂れた銀座通りを抜けたところにあった。
「ここだ……」
 看板を見た栄太郎がネオンを指差す。スナック「マリ」は、いかにも場末のスナックといった様相を呈していた。
 ギーッと建て付けの悪い扉を引いて、田所に続き、栄太郎が中に入る。
「いらっしゃい……」
 中にいた中年の女性の顔が凍て付いた。
「高津さん、これはどういうことですか?」
 田所が高津栄子を睨みながら言った。栄太郎は呆けた顔をしていただろうか。
「やだ、私は『澄子』よ」
 取り繕った高津栄子が、苦笑いを浮かべる。
「ほう、高津さんに双子の姉妹がいたことは知らなかったな。戸籍にも載っていなかったっけ……」
「はいはい、私が悪うございましたよ。辞めればいいんでしょ。辞めれば」
 開き直った高津栄子は、煙草を咥えると、おもむろに火を点けた。
「そういう問題じゃないですよ。明日の十時に市役所の方まで来ていただけますか? 来なかったら、あんたを詐欺罪で告訴するつもりですので、そこのところよろしく」
 そう言うと、田所は踵を返した。高津栄子は「待って!」と叫び、カウンターから出てきて、田所の袖を引っ張った。だが、田所は無情にも、その手を払った。
「こんなところじゃ、まともに話せないだろう!」
 田所は怒りを露にし、外へと出ていった。高津栄子はその場にガクッと倒れこむようにして座った。
「高津さん、どうしてこんなスナックで働かなければならなかったんですか?」
 栄太郎は腰を落とし、高津栄子の目線に合わせる。
「あら、『こんなスナック』で悪かったわね」
 奥から、仏頂面のママが咥え煙草で出てきた。栄太郎はバツの悪そうな顔でママを見上げた。
「この人はね、昔、棄てた息子さんに仕送りをしてやっているんだよ。私だって知っているよ。この人が生活保護を受けていることも、人工肛門を付けた障害者だってことも。でも、それを承知の上で雇ったのさ。この人の情にほだされたのさ」
「ううーっ……!」
 高津栄子が泣き崩れた。栄太郎には自分に何ができるかわからなかったが、高津栄子の肩に、そっと手を当ててやった。高津栄子はオイオイと号泣している。
「じゃあ、明日の十時、市役所で待っていますよ」
 栄太郎はそう言い残してスナックを出た。外では田所がつまらなさそうに煙草をふかしていた。
「ナナハチだな、ナナハチ……」
 田所は煙を吐き出しながら、つまらなさそうに言った。
「ナナハチって何ですか?」
「生活保護法第78条。つまりは不正受給に対する費用の徴収だ」
「費用の徴収ですか……」
「そう、ロクサン(生活保護法第63条による費用の返還)や地方自治法施行令第159条による戻入などと違って、資力があるかどうかは問題ではない。強制的な費用の徴収だ」
 そう栄太郎に説明すると、田所は携帯灰皿に煙草をなすりつけた。
「あのオバサンだけは信じていたのにな。また裏切られたぜ。本当、人の性は悪だな。北島、明日の朝、係長とよく相談するんだな。裏口の灰皿の前で……。さて、駅前の居酒屋で一杯引っ掛けて帰るか」
 田所が夜道を歩き出した。栄太郎は「はい……」と言うと、田所の後に続いた。栄太郎の心の中で高橋係長が言っていた、「何故、嘘をつかなきゃいけないのか。その裏を読み取れ」という言葉を思い返していた。

 翌朝の八時半、市役所の裏口の灰皿の前に栄太郎と高橋係長の姿を見ることができる。
「そうか、やっぱりスナックで働いていたか……」
 高橋係長が紫色の煙りをくゆらせながら呟いた。
「でも、小さい頃に棄てた息子さんに仕送りするためだと言っていましたよ」
作品名:それぞれの死 作家名:栗原 峰幸