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それぞれの死

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 そんなため息が自然と出る栄太郎であった。
 栄太郎がデスクに戻ると、高橋係長が待ち構えていた。
「どうだった、初めての孤独死は?」
「凄惨でした。あんなことが年には何件かあるそうですね」
「そりゃ、この仕事をやっていれば、ぶち当たるさ。それはそうと、葬儀屋の辰巳屋から連絡があったぞ。葬祭扶助の範囲内でやってもらうよう依頼しておいたが、念のため、北島からも連絡しておいてくれ。見積もりと請求書は葬儀一式でまとめてもらんだ。間違っても焼香セットなど書き入れないように言っておいてくれ。ドライアイス代は実費で出せるから、明細の中に書き込んでもらっても構わない」
「えーと、ドライアイス代は実費と、他は葬儀一式でまとめてもらうんですね」
 栄太郎がメモ用紙にペンを走らせた。
「それから、民生委員の熊沢さんに葬祭の執行者になってもらえ」
「何故、民生委員が葬祭の執行者になるんですか?」
「本来は親族がなるべきところなんだが、高山真治の場合、従兄弟しかいないからな。それも隣の持立市に住んではいるが、絶縁状態だ。そんな従兄弟に葬祭の執行を頼めるわけがないだろう。親族が葬祭の執行者になる場合で葬祭扶助を適用する場合は、その親族を生保にかけるということだ。死んだ人間には保護費は出せないからな」
「じゃあ、親族の要否判定(保護が必要であるか、ないかの判定)が必要ということですか?」
「その通りだよ。今回は従兄弟だし、葬儀はうちでやらざるを得ないだろうな。そうなった場合、生活保護法第18条2項2号の規定によるんだが、民生委員にお願いするのが妥当だ。まあ、名義だけ貸してもらうようなもんだ。熊沢さんの生年月日を確認しておけよ。葬儀屋に聞かれるからな。それと、遺骨だけは従兄弟に引き取ってもらえ」
 栄太郎は生活保護手帳を開いた。そして「ふーん」と頷いて、受話器を取った。

 その日の二十時過ぎ、栄太郎と田所は帰帆警察署にいた。高山真治の身元確認のためである。
「いやー、まともに見られたご遺体ではなかったですよ。一応、洗浄はしましたけどね」
 刑事は顔をしかめて言った。
「死因は何だったんですか?」
 田所が尋ねる。
「検案ではくも膜下出血とある。いわゆる脳卒中ですな」
「そういえば、血圧が高かったですからねぇ、この人……。まあ、行政解剖にならなくて、お互いよかったですね」
 田所が笑った。刑事もホッとしたような顔をしている。
「行政解剖って何ですか?」
 その意味がわからない栄太郎は、率直に尋ねた。
「孤独死の場合は不審死扱いとなるんですわ。検案で死因が特定できず、事件性がある場合は司法解剖に回され、事件性がないと判断された場合は行政解剖に回されるんです。司法解剖の場合、費用は警察持ちですが、行政解剖の場合は親族負担となるんです。そこでいつも福祉事務所と揉めるんですわ」
 刑事が照れくさそうに頭を掻いた。
 刑事は遺体が安置してある部屋へ二人を案内すると、遺体に被せてあるブルーシートを剥ぎ取った。
「!」
 栄太郎は思わず息を呑んだ。
 高山真治の遺体に眼球はなく、身体の左半身が腐って溶け、腹にはぽっかりと穴が開いていた。そして、右半身はまるでミイラのようだ。栄太郎はまるで、ホラー映画の世界に自分が飛び込んだような錯覚を覚えた。
「間違いなく、高山真治です。この白髪と無精ひげが特徴です」
 田所が遺体を見て言った。
「いやー、ご足労ありがとうございました。時々あるんですよねぇ。こういう遺体が……。ウジムシって奴はまず目玉から食っていくんです。身体で一番柔らかいところですからね。そして、腐った内臓へと食い進んでいく。この人の場合、左を下に倒れていましたからね。布団と密着した部分は腐って、右半身はミイラのようになってしまったんでしょう。電気ストーブが付きっ放しっていうのも、腐敗を促進させ、半分ミイラ化させる大きな要因だったんでしょうね」
 その刑事の話を聞いて、栄太郎は嫌悪感を催し、身体が震えるのがわかった。
「おい、身体が震えているぞ。怖いのか?」
 栄太郎の様子を見て、田所が言った。だが、栄太郎は何も口に出来なかった。何を喋っていいのかわからなかったのである。
「俺なんか、死んだ人間より、生きている人間の方が怖いね。今にあんたにもわかるよ」
 田所はそう言うと、背中を向けた。栄太郎はただただ呆然と遺体を見つめていた。

「だから、葬儀は福祉でやりますから、遺骨だけでもお引取りをお願いしたいんです!」
 翌朝、栄太郎は電話口で声を荒げていた。電話の相手は高山真治の従兄弟だった。
「そんなこと言ってもね、今更他人だよ、あいつは……」
「遺骨だけは福祉事務所で処理できないんですよ」
「だったら、球磨川にでも散骨すればいいでしょう。あいつは身内を連帯保証人にして借金を重ねまくったんだ。こっちは被害者だよ。あんな奴、のたれ死んだってこっちは一向に構わないさ。これ以上は話の無駄だから、電話を切るぞ」
「ちょ、ちょっと待ってください……」
 だが、受話器からはプープーという音が空しく流れるだけだった。栄太郎は「はあ」とため息をつくと、事務椅子の背もたれに寄りかかった。
「ダメだったか……」
 高橋係長が唸るように呟いた。
「どうだ、俺は灰皿のあるところで一服するぞ。お前も付き合わんか?」
 高橋係長にそう言われ、「いや、僕は煙草を吸いませんので」と言った栄太郎だったが、高橋係長は「ここでは話せないことがある」と言って、無理矢理栄太郎を誘った。
 煙草を吸わない栄太郎を、高橋係長しつこくが煙草に誘ったのには理由がある。健康増進法が適用されてからというもの、庁舎内では煙草が吸えなくなった。灰皿は市役所の表玄関と裏口にある。職員が利用するのはもっぱら裏口だ。高橋係長はヘビースモーカーだった。一時間おきに煙草で席を立つくらいだ。もっとも、本人に言わせれば気分転換をして、効率よく仕事をしているのだとか。高橋係長が地区担当員を煙草に誘うことは、そう珍しいことではない。事務所の中ではどうしても肩書きに縛られ、教科書どおりの答えしか返せない時がある。しかし、こうして煙草を吸いながらの雑談ならば違う。本筋からは外れるが、仕事の裏技などを教えられるのである。

 市役所の裏口に灰皿は設置されている。その前で高橋係長はさも美味そうに煙草を吸った。紫の煙が立ち昇った。栄太郎は缶コーヒーを片手に、高橋係長を眺めている。
「やっぱり、無縁仏かなぁ……」
 高橋係長が煙を吐き出しながら呟いた。
「無縁仏……ですか?」
「ああ、遺骨の引き取りは親族にお願いするのが筋だが、高山真治の生活歴を見ると、とても従兄弟に遺骨の引取りを無理強いするのは酷かもしれんな。従兄弟は相当、恨んでいるぞ」
「そういう場合は無縁仏に埋葬するんですか?」
「ああ、成願寺っていう市にも所縁のあるお寺さんがあってな。こういうケースはそこの無縁仏に依頼している。だが、その成願寺にも良い顔されないんだよ。まあ、厭味一つ言われるのを覚悟の上で、成願寺にお願いするしかないか……」
 高橋係長がやるせなく煙を吐き出した。栄太郎は少し缶コーヒーを啜る。
「はあ……」
作品名:それぞれの死 作家名:栗原 峰幸