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それぞれの死

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 程なくして出てきた駐在は、顔をしかめながら、「大分、腐敗が進んでいますよ」と言った。
「すぐに帰帆警察署の方に連絡を取りますので、鑑識が到着して片付けるまで、中には入らないでください。ところで、通報したのはあなたですか?」
「はい」
 栄太郎は駐在の瞳を見て答えた。
「福祉事務所でしたね。名刺あったら、見せてもらえますか?」
 栄太郎は名刺入れから名刺を取り出すと、駐在に渡した。
「この職に就いてどのくらいになります?」
「この四月に異動したばかりなんですよ」
「高山真治さんと会ったことは?」
「ないです」
「後で仏さんの身元確認をしてもらいますので、親族にでも連絡を取ってください」
「それが、高山さんには身寄りがないんですよ。従兄弟とかも音信普通で……、協力は望めないかと思います」
「じゃあ、前の担当は?」
「所内にいます。田所という者が前任でした」
「じゃあ、その田所さんにも連絡を取ってください。高山さん本人かどうかの身元確認をしますので。あ、今じゃなくていいですよ。仏さんの傷み具合が酷いんでね、署の方で洗浄してから確認してもらうことになると思いますから」
 駐在はこのようなケースを幾つも見てきたのだろうか、サバサバとしていた。
「いやー、電気ストーブが付けっ放しでしたよ。だから、腐るのも早かったんですねぇ。まあ、まともに見られない遺体ですよ」
 栄太郎は電気メーターが勢い良く回っていたことを思い出した。

 程なくして帰帆警察署より生活安全課の刑事と鑑識が到着した。鑑識は家の中に入り、刑事は駐在から状況を聞いている。
 家の中から「ウエーッ」とか「グワーッ」とかいう絶叫が響いた。栄太郎は鑑識が嘔吐したのだと気付くのに時間はかからなかった。
 高橋係長から言われたのだろう、田所が応援に駆けつけてくれたのは、栄太郎にとって救いだった。
「あー、いつも保護費はイの一番に取りに来るじいさんだったのになぁ」
 田所はしかめ面をしながら呟いた。
 栄太郎の鼻には死臭がこびり付いていた。だが、不思議なことに、まだ高山真治が死んだという実感が湧かなかった。ブルーシートに被せられた遺体が運び出された時にも、まだ人の死が実感出来ずにいた。
「映画やドラマじゃ、人の死は綺麗に描かれることが多いが、これが現実だ」
 田所がやるせない顔で言った。
「おかしいな。確か身元確認があるはずだが……」
 田所が鑑識の車を覗き込んだ。
「それは警察署の方で行うと言っていましたよ。何しろ遺体の傷み具合が酷いらしく、洗浄するそうです。田所さんにもご足労願うことになるって……」
「ウエーッ、そんなのを見なきゃならんのかよ。だったら今、やって貰いたいな。まあ、警察がそう言うんじゃ仕方ないか……」
 田所が嫌悪感丸出しで、そう言った。栄太郎は鑑識の車に乗せられ、ブルーシートを被せられた遺体を見つめた。鑑識はさも嫌そうにバックドアを閉めた。
 刑事が栄太郎と田所のところに寄ってきた。
「今日の二十時くらいに警察署の方まで来てもらえますか? そこで身元確認をしてもらいますので……」
 栄太郎も田所も「はい」と頷くしかなかった。
「じゃあ、我々はこれで引き揚げます。家の中はウジムシとハエだらけですよ」
 警察はそう言って、引き揚げていった。
 田所は自分が乗ってきた公用車のバックドアを開けると、「これから一仕事だぞ」と言い、長靴とマスクを取り出した。長靴もマスクも二セットある。田所はその一組を栄太郎に渡した。
「これから、どうするんですか?」
「まずはムシを片付けなきゃならんだろう」
「そんなことまで福祉事務所がするんですか?」
「ほら、あっちで大家さんが恨めしそうな顔をしているぞ。俺たちがやらなきゃ誰がやるって言うんだ。まさか大家さんにそこまでやらせるわけにはいかないだろう」
 田所の手には箒と塵取りが握られていた。仕方なく、栄太郎も長靴を履き、マスクを着用する。田所から箒と塵取りを栄太郎は受け取った。田所は公用車に積み込んであった粉石けんと、洗濯用洗剤をブレンドしていた。
「どうするんですか、それ?」
「これを撒くとね、ムシが集めやすくなるんだ。ムシを箒と塵取りで集めて棄てるにはこれが一番なんだ。そのままじゃ、意外とムシはモゾモゾしていて集められないんだよ」
 そう言うと、田所はジョウロに何やら液体を入れる。
「それは何ですか?」
「消毒用アルコール。ムシを棄てた後に撒くんだよ。年に何件かはあるんだよ。こういうケースが……。こちらも慣れたもんさ」
 田所は洗剤とジョウロを抱えると、そそくさと家の中に入っていった。栄太郎も後に続く。
「うわっ、こりゃ酷いな……」
 鑑識が引き揚げた部屋の中を見て、田所が開口一番、そう呟いた。その部屋の中にはまだ腐敗臭が強く残っていた。そして、畳の上で無数に蠢くウジムシたち。敷かれていた布団は真治の体液だろうか、真っ黒に汚れており、それが畳まで流れ出し、乾いてガビガビになっていた。部屋の中には大きく育ったハエが無数に飛んでいた。
 田所はまず、窓を開けると、五月蝿いハエを追っ払っていた。だが、ハエは腐敗臭にしがみつくが如く、なかなか出て行かない。
「仕方ない。布団を上げるぞ」
 田所が布団を撥ね退ける。その下には更に無数のムシたちが蠢いていたのである。栄太郎の胃は腐敗臭と無数のウジムシで反芻を始めていた。
「これが、人の死……」
「そうだ。これが孤独死の現実だ」
 田所は手際よく洗剤を撒いていく。栄太郎がそれを箒と塵取りで集め、ビニール袋に棄てていった。確かに粉石けんと洗濯用洗剤をブレンドしたものを撒くと、ムシの動きは鈍った。箒で掻き集めると団子状になり、処理しやすかった。田所は大きめのビニール袋に布団を詰めていた。
「畳も取り替えないとダメだな。これじゃあ、敷金で賄いきれないぞ」
「そういう場合は、どうなるんですか?」
「大家さんに泣いてもらうしかない。生保は死んだ人には金は出せないんだ。まあ、家の片付けくらいはやってやるようだな。それがせめてもの誠意だ」
 ムシを片付け終わるのにそれほど時間はかからなかった。これも田所の気配りがあったからこそである。
 大家は家に足を踏み入れることなく、外で待っていた。
「取り敢えず、ムシは片付けました。後日、家の片付けには改めて来ます」
 大家は不安げな表情を隠せなかった。
「ああ、また高齢の独り身かい。うちではこれで三件目だよ」
「畳みは取り替えないと、ダメかもしれませんね。それは敷金で賄ってください」
 田所が大家に言った。
「この家のハウスクリーニングは敷金じゃ賄いきれないよ」
「うちもお金を出す根拠がないんです。家の片付けはしますので、それで勘弁してください」
「今後は生保のお客さんは断ろうかな……」
 大家のその言葉に栄太郎と田所は顔を曇らせた。
「そう言わないでくださいよ。家の片付けはできるところまでしますから……」
 田所が懇願した。しかし、大家は憮然とした顔を崩さず、「今後、保証人は必要だね」と言った。

 市役所に戻った栄太郎は自動販売機で缶コーヒーを買って、それを一気に煽った。
「ふう……、今日は何が何だか……」
作品名:それぞれの死 作家名:栗原 峰幸