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それぞれの死

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「そうですか、保護の却下通知があったから、てっきり帰帆市の住民かと思いましたよ」
「工藤正道に何かあったんですか?」
「漁港でね、酒に酔った挙句、転落して水死したんですわ」
「死んだんですか? 工藤正道が……」
 栄太郎は驚愕した。
「ええ、昔のホームレス仲間と漁港で飲んでいましてね。仲間の話では用を足した時に誤って海に転落したらしいんです。何でも近いうちに生活保護を貰えることになるからと言って、仲間に酒を奢っていたらしいですよ。まあ、帰帆市にアパートがあって荷物があるなら、そっちでお願いしますわ。うちも無縁仏がそろそろ一杯でしてね。本当は困っているんです。あ、葬儀屋は辰巳屋です」
「ああ、わざわざご丁寧に。それじゃ、こっちで検討してみます」
 電話を切った栄太郎は事の顛末を高橋係長に報告した。
「あいつらしい最後だな。だが、これで審査請求もチャラだ。死んだのは可哀想かもしれんが、うちにとっては良かったな。葬祭扶助だけでも適用してやるか。また民生委員の出番だな」
 高橋係長がパソコンに向き直った。栄太郎は工藤正道の死亡を生活援護課に連絡するために受話器を上げた。
 住民登録を職権消除されている工藤正道であったが、本籍は隣の持立市にあった。そこから、親族を調べだし、息子が持立市内にいることが判明した。栄太郎は市民課の同期を通じ、その連絡先を突き止めていた。栄太郎は早速、息子に連絡を取った。
「そうですか、親父が死にましたか……。よく親父には酔っ払って殴られたなぁ。確執もありましてね。そんな親父でも僕は探していたんですよ。でも、最後まで国の面倒になるのは忍びない。あれでも僕の親父ですからね。こっちで葬儀を引き受けますよ」
 息子はそう言ってくれた。栄太郎はまだそんな考えをしてくれる息子がいて、工藤正道は幸せだと思ったものである。工藤正道の態度は許せなかったが、息子の態度には「この仕事をしていてよかった」と思う栄太郎であった。

「だから、何度も言っているじゃないですか。来月の保護費で今月分の過払いを調整させてもらうって」
 電話口で、栄太郎は口を尖らせていた。その口調は懇願するようではあっても、栄太郎の顔は鋭く電話を見つめている。その瞳はどこか恨めしげだ。
「だから、来月の保護費は今月より少なくなります」
 栄太郎がそう言った途端、離れた距離でも罵声とわかる声が受話器から漏れた。栄太郎は苦虫を潰したような顔をすると、メモ用紙に書いた丸を黒く塗りつぶし始める。
「収入があったんだから仕方ないでしょう。それとも何ですか、収入を申告しないで不正に生活保護を受けた方がいいとでもおっしゃるんですか!」
 今度は栄太郎が声を荒げた。事務所の空気に緊張が走る。その緊張を解いたのは、ほかならぬ栄太郎であった。
「あなたがそんなことをできないことは、僕が一番よくわかっていますよ。ね、今月は収入があったんだし、やりくりしてください。働き始めることはいいことじゃないですか。自立の助長が生活保護の目的なんですから、頑張ってくださいよ。応援していますから」
 そう言い終え、栄太郎は受話器を置いた。そして、「ふう」と軽いため息を漏らすと、ぬるくなったコーヒーを口に含む。砂糖もミルクも入れないブラックコーヒーの方が、ぬるくなっても栄太郎には飲みやすかった。栄太郎はそのまま電卓を叩いた。保護費はコンピューターが自動で計算してくれる。しかし、やはり手計算で確認してしまう。そして調書を難しそうな顔で睨むと、「うーむ」と唸った。
「来月は大分、少ないな……」
 栄太郎は記録紙にペンを走らせると、決裁欄に自分の印鑑を押した。そして、パソコンに向かい、数字を打ち込む。栄太郎の大きな瞳が線のように細くなった。二月二十四日のことだった。
 その時だった。栄太郎のデスクの電話が鳴ったのは。
「北島さんに、愛向会病院からお電話です」
 電話交換手のその言葉を聞いて、栄太郎は嫌な予感がした。愛向会病院といえば、暴力団の小山藤吉が入院している精神病院だ。
「はい、北島です」
「あ、もしもし、北島さん? 愛向会病院のケースワーカーの野地です」
「ああ、いつもお世話になっております」
「小山さんの件なんだけどね、中途半端に意識があるもんだから、保護室に入れさせてもらいますよ」
「ああ、そうですか」
「ああいうヤクザなのが中途半端に意識を回復すると、始末が悪いね。それとね、シモの方が緩くなってきているので、オムツを付けさせてもらいますよ。オムツ代、よろしくお願いします」
「わかりました。病状調査も兼ねて、意見書をお届けにあがります」
 栄太郎は手帳を捲った。直近で明日の午後が空いている。
「明日の十四時くらいに伺ってもいいですか? できれば主治医の先生からもお話を伺いたいのですが……」
「いいですよ。主治医との面談はちょっとお待ち頂く様になるかもしれません」
「その間に本人と会いますよ」
「それでは、明日の十四時にお待ちしています」
 栄太郎は電話を切った。ぬるくなったブラックコーヒーを啜った。

 その男はフラッとやってきた。かなり血色の悪い初老の男だ。その身は痩せこけている。
「済みません。生活保護の相談をしたいんですけど……」
 男は力の篭っていない声を震わせ、受付カウンターで立ち尽くしていた。栄太郎が面接相談員の小島を見た。小島はやはり来所中の無料低額宿泊所の相談にかかりっきりだった。
 栄太郎は椅子から立ち上がると、その男に歩み寄った。
「どういうことで、お困りですか?」
 栄太郎が仕草で男を椅子に座るよう促した。男が申し訳無さそうに座った。
「香山新吉と言います。実は電気も停められていて、蝋燭で暮らしているんです」
 香山新吉は頭をボリボリと掻きながら、恥ずかしそうに言った。
「お歳はおいくつですか?」
「六十八歳になります」
「年金は?」
「実は年金を担保にお金を借りていまして、再来年まで年金が入ってこないんです」
「年金担保は医療福祉機構から借りたんですか?」
「はい。親族で葬儀が重なったもので、何かと入用で……」
「そうですか。基本的には年金担保で借金をしている場合、生活保護の適用は難しいんですがね。あなたの場合、二ヶ月でいくら貰える計算になりますか?」
「そうですね。二ヶ月で三十四万円ほどだったでしょうか……」
「すると厚生年金ですね?」
 栄太郎が香山新吉の顔を覗き込んだ。
「はい……。定年になるまで隣の持立市にある三和重工に勤めていました」
「そうですか……。で、いくらぐらい年金担保で借りられたんですか?」
「三百万円ほどです」
「そのお金も底を尽きたと……」
「はい。恥ずかしい話なんですが……」
「まあ取り敢えず、申請書一式を書いてもらいましょうか」
 香山新吉が申請書を書いている間、栄太郎は最低生活費(保護費の国の基準)を試算した。年金は偶数月に二か月分まとめて支払われる。香山新吉の一回に振り込まれる年金の額が三十四万円だとすると、一ヶ月あたりの年金額は十七万円ということになる。
「ところで香山さん、お家賃は?」
「三万円です。実は家賃も滞納していて、大家からは立ち退きを迫られているんです」
作品名:それぞれの死 作家名:栗原 峰幸