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それぞれの死

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 男は激怒している。何に対して激怒しているのか、よくはわからない栄太郎であった。
「そんな態度で来られても困りますね。あなたは保護を受けたいんでしょう?」
「そうだ、俺には保護を受ける権利がある。権利を主張して何が悪い! 俺はな、家賃も滞納していて、立ち退きを迫られているんだ」
 男は悪びれもせず、そう開き直った。
「保護を受ける権利じゃなくて、申請する権利だ。保護を決定するのはこちらの役目だ」
 助け舟をだしてくれたのは面接相談員の小島だった。小島は男に保護の申請用紙を叩きつけると、踵を返していった。保護の申請用紙に男は名前を記載した。工藤正道という名前だった。年齢は五十六歳である。
「保護を申請する理由は?」
「だから無一文だって言っているだろう」
「五十六歳と言ったら稼動年齢層ですね。仕事は探しましたか?」
「最近、喉の調子がおかしくてよー」
「それでも酒は飲めるんですね」
 栄太郎が皮肉たっぷりに言った。
「生活保護には補足性の原理というのがあります。喉が痛くて働けない。それで酒は飲める。そんな言い訳通用しませんよ。明日、十時にしらふで職安に来てもらいましょうか。まずは職探しですよ」
 男は汚い字で申請理由に「お金がないため」と書いた。保護申請書、資産申告書、収入申告書、資産調査のための同意書などを徴取し、工藤正道の生活保護申請の手続きは終了した。早速、住民基本台帳で工藤正道を調べた栄太郎だが、五年前に住民票は職権消除されていた。

 翌日の十時過ぎ、工藤正道は帰帆公共職業安定所に現れた。酒は飲んでいないようだった。栄太郎は職安の中で工藤の姿を見つけた。
「工藤さん、こっちですよ!」
 ごった返す職安の中で、工藤正道はオロオロしていた。
 栄太郎が工藤正道を連れて行ったところは専門援助部門と呼ばれる窓口だ。生活保護の受給者や障害者のための窓口だ。
「どんなお仕事をお探しですか?」
 職安の加藤という眼鏡をかけた女性が工藤正道に尋ねる。加藤は帰帆職安の専門援助部門に勤務する職業指導官だ。
「えーと、そのー……」
 工藤正道が口ごもる。栄太郎にはわかっていたのだ。工藤正道は福祉事務所に「職安に行け」と言われたから来ただけであり、本気で職探しをしているわけではないことを。
「何でもできます。警備から旅館の下働きまで」
 業を煮やした栄太郎が代わりに言った。
「でもー、喉が痛いんだよな」
 酒を飲んでいない工藤正道は気弱だ。
「でも、酒は飲めるんですよね。だったら働けない理由はないですよね。警備のお仕事で検索してもらえますか?」
 栄太郎は加藤にそう依頼した。すると、加藤はすぐにコンピューターを叩いた。
「はい、パチンコ屋の駐車場整理なんかどうしかしら? マルキョウっていうパチンコ屋で募集しているわよ。でも、警備は人気職種で難関かもね。旅館のフロントの方が確実かしら」
「だったら、そっちのセンでお願いします」
 加藤がまたコンピューターを叩く。
「富士見荘という旅館で雑用を募集しているわ。ここなんかいいんじゃないかしら。まだ埋まっていないし……」
「そこ、紹介していただけますか?」
 栄太郎は身を乗り出して、加藤に頭を下げた。その仕草が可笑しかったのだろう。加藤が失笑した。
「まってくれ、俺の希望はどうなる?」
 工藤正道が口を挟んできた。だが、栄太郎はキッと彼を睨み返した。
「あなたはまず、どこでもいいから働くのが先決です。もし、働いて足りない分は生活保護で足し米をしたっていいんです」
「じゃあ、富士見荘でいいのね」
 加藤が電話の受話器を持ち上げた。
「富士見荘さんですか? こちら帰帆職安の加藤と申します。そちらで募集している雑用、まだ埋まっていませんか? ええ、名前は工藤正道、五十六歳です。はい……、すぐにですか? わかりました」
 電話を切った加藤は「即決よ」と言って、親指を立てた。そして、求人票の手配をする。
「先方はすぐにでもあなたに来てもらいたいって……。よかったじゃない」
 栄太郎は「すぐに富士見荘へ行ってください」と佐藤正道に指示した。工藤正道は自信の無さそうな顔をしながら、「はあ」と頷いた。

 工藤正道が酔っ払って生活福祉課の窓口に現れたのは、その翌日であった。
「おう、北島はいるか!」
「また酔っ払っていますね?」
 窓口対応をした栄太郎がきつい目で、工藤正道を見つめた。
「おう、そうともよ。酔って何が悪い。俺にあんな仕事を紹介しやがって。旅館の雑用など俺は嫌だぞ。俺のプライドが許さん!」
「あの仕事、断ったんですか?」
「おう、そうともよ。断ってやったわ。俺は生保が受けられればいいんだ!」
「却下だ!」
 栄太郎の後ろで声がした。高橋係長が怒鳴ったのだ。高橋係長は立ち上がると、ツカツカとカウンターまでやってきた。
「確かにあんたには保護を受ける権利があるかもしれない。だが、同時に稼働能力を活用する義務もあるんだ。権利ばかり主張して義務を果たさない奴にホイホイと保護をかけるほど、こっちも甘くないんだ。現にあんたは金がないと言いながら酒を飲む金はあるんだろう」
 高橋係長は怒りで顔を真っ赤にしていた。
「あんたは俺に死ねって言うのか!」
「そうは言っていないよ。ただ、あんたは稼働能力の非活用で保護却下だ!」
「畜生! 俺は東京の台東区でも保護を受けて施設にいたんだぞ! 保護を却下するというなら、審査請求(不服申し立て)をしてやる!」
「勝手にすればいいだろう」
 工藤正道はもう一度「畜生!」と怒鳴って、引き返していった。高橋係長はまだ怒りが収まらないのか、握った拳がプルプルと震えていた。

 県庁の生活援護課から電話が掛かってきたのは、工藤正道の保護却下が決定して四日後のことだった。
「出ましたよ。工藤正道さんの審査請求」
「やっぱり出ましたか……」
「どうやら、工藤さんの後ろにはホームレスの支援団体がついているようですな。今回の場合、稼働能力の非活用だけではちょっと厳しいですな。検診命令をかけていないでしょう。工藤さんは足が痛くて働けないと言っている」
「喉の痛みは訴えていましたけどね。足の痛みなんて全然言っていませんでしたよ」
 栄太郎は開いた口が塞がらなかった。
「それにしても、金がないと言いながら、よく本庁まで行けましたね」
 栄太郎は皮肉を込めて言った。
「まあ、審査請求書の写しを送りますので、そちらも弁明書の方、よろしくお願いしますよ」
 生活援護課は「よくも面倒なことを起こしてくれたな」という態度を露にしていた。横領事件の後だけに栄太郎もバツが悪かったのは仕方がないところか。
 栄太郎は釈然としない気持ちで電話を切った。高橋係長は「これは裁判だ。絶対にうちが負けるわけにはいかない」と意気込んでいた。
 だが、事態は思わぬ方向へと進んだ。
 
 その翌日のことである。二カ瀬町役場の福祉課から電話が掛かってきたのは。
「済みません、工藤正道って帰帆市の住民ですか?」
「いえ、住民登録は五年前に職権消除されていますね。アパートは立ち退きを迫られているって言っていましたけど……」
作品名:それぞれの死 作家名:栗原 峰幸