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それぞれの死

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 栄太郎は腕組みをして、頭を垂れる木島愛子を見下ろした。それでも、検診も受けず、堕胎可能な期間を過ぎた木島愛子を何とかしないわけにはいかなかった。木島愛子の次男が、無邪気にも彼女の周りに纏わり付いていた。栄太郎はこの次男が小学校に入学したら、木島愛子に就労指導をしようと思っていたのである。保育所は木島愛子を嫌い、入所を断られていたのだ。何せ、ネグレクトで児童相談所に通報されるくらいである。木島愛子に子どもたちのまともな養育が出来るとは、栄太郎にはとても思えなかった。そして、高津貴のような思いだけは、子どもたちにさせまいとも思うのだった。
「寂しかった。寂しかったんですよ。誰にも相手にされない自分が……。だから出会い系サイトで……」
「少しは自分の立場をわきまえてください。親が遊び呆けて、悲しい思いをするのは子どもなんですよ」
「はい……」
 木島愛子は項垂れた頭を上げることなく、小さく呟いた。
「まあ、こうなったからには仕方がない。検診命令っていうのを出しますから、助産施設でもある帰帆総合病院で検診を受けてください」
「わかりました」
 栄太郎が検診命令書を差し出す。木島愛子はそれを恭しく受け取った。

 十月十三日。栄太郎は高津栄子のアパートに家庭訪問しようと思っていた。もう、退院をし、在宅生活を送っている高津栄子である。本来は前日に家庭訪問をしようと思っていた栄太郎だが、「通院があるから」と今日になったのである。
 アパートの呼び鈴を鳴らすが、返事はない。電気メーターはグルグル回っている。
「参ったなぁ。居留守を使うわけないんだけどなぁ」
 栄太郎はドアノブを捻った。鍵はかかっていなかった。
「高津さん……」
 すると、台所で高津栄子が倒れていた。
「高津さん!」
 栄太郎は高津栄子の下に駆け寄った。その身体に触れてみる。だが、もう温もりはなかった。高津栄子は死亡していたのである。
「大変です。高津栄子が死んでいるんです。第一発見者になってしまいました」
 栄太郎は高橋係長に携帯電話で、そう連絡を取った。高橋係長は「駐在を呼べ」と指示し、「昨日、病院に行っているなら大丈夫だ」と言った。
 栄太郎の連絡を受けて駐在はすぐに来た。高山真治の時にもお世話になった駐在だ。
「こういう場合はまず救急車を要請してもらわないと困りますな」
 駐在は動かぬ高津栄子を見て言った。程なくして、帰帆警察署より生活安全課の掲示と鑑識が到着した。
 生活安全課長だという若い刑事は、自分より遥かに歳のいった刑事を顎でこき使っていた。栄太郎は生活安全課長なる男が、キャリア組であるのだろうと推測した。
「あんたが第一発見者?」
 生活安全課長は手帳にペンを携え、栄太郎の前にやってきた。
「はい」
「高津さんは病気か何かあったのかね?」
「大腸癌が肺と子宮に転移して末期症状でした。昨日も帰帆総合病院に受診しているはずです」
 生活安全課長はメモを取ると、「おい手島、帰帆総合病院の受診歴を調べろ!」と怒鳴った。指示された手島という刑事は、生活安全課長より遥かに歳は上である。既に頭も少し禿げ上がっている。手島刑事は「はい」と言うと、携帯電話を弄った。その生活安全課長の横柄な態度を見て、栄太郎は気分が悪くなった。
「昨日の十六時に帰帆総合病院に受診しています」
 しばらくして手島刑事が生活安全課長に報告した。
「まあ、二十四時間以内に受診しているならば、問題はないだろう。しかしね、こういう場合はまず救急を要請すべきなんだよ」
「確実に死んでいてもですか?」
「死亡は素人が判断することではないんだ」
 生活安全課長はピシャリと言った。それは口答えを許さない威圧感があった。

 高津栄子はまた辰巳屋に遺体が引き渡された。栄太郎は辰巳屋と連絡を取り、葬儀について福祉でやることを告げた。
 そして栄太郎は三徳園にも連絡を入れなければならなかった。そう、高津栄子の息子、高津貴にである。三徳園の三田という職員は葬儀の予定を聞くと「必ず、貴君を行かせますから」と言ってくれた。
 三徳園の三田と火葬場に現れた高津貴は、髪を黒く染め戻していた。
「こんな形になっちゃったけど、お母さんと最後のご対面だよ」
 栄太郎に促され、高津貴は棺を覗き込んだ。
「ううっ、お母さん……」
 高津貴の目から大粒の涙がこぼれた。自分を棄て、どんなに憎い感情を抱いていたとしても、そこはやはり肉親の死だ。高津貴の胸中に悲しみが訪れないわけがないと思う栄太郎だった。親子の憎愛劇は死をもって終止符が打たれたのである。
「貴君が自立していれば、貴君に葬儀を執行してもらうところだけど、今回は福祉事務所の方でやらせてもらうよ。シンプルな葬儀だけどね。遺骨は一旦、成願寺の無縁仏に預けるから、貴君が働いて、お墓を造れるようなったら、是非お墓を造って、遺骨を移してあげるといい」
 栄太郎がそう言うと、高津貴は「はい。必ず働いてお墓を造ります」と涙を拭きながら言った。
「それでは出棺のお時間です」
 火葬場の釜が開く。
「お母さーん……!」
 高津貴が大声を張り上げて泣いた。栄太郎は生きているうちに親子の対面が出来なかったことを悔やんでいた。

 その翌日、高津栄子のアパートの片づけを行うことになっていた。栄太郎はそこに高津貴も立ち会わせる約束を取り付けた。三徳園の職員も非番なのに付き合ってくれた。
 高津栄子の部屋は女所帯にしては珍しく散らかっていた。それは高津栄子が晩年、身体が言うことを利かなかったことを意味していた。
「結構散らかっているな……」
 片付けの応援に来ていた田所と戸沢が口を揃えて言った。
「これが、お母さんの家……」
 高津貴は呆然としている。
「そうだ、おそらく身体の自由が利かなくなっていたんだろう。散らかっているのはそのせいだよ」
 高津貴はふと、箪笥の上に飾ってある写真を見つけた。そこには幼い日の高津貴が写っている。
「お母さん……、僕の写真を……」
 それを手にした高津貴はそっと涙を滲ませた。
「そうだ。生活保護の不正受給をしてまで君に仕送りをしていたんだ。君にとっては立派な母親じゃないか」
 栄太郎は高津貴の肩に手を置いた。その肩が震えていた。
「お母さん……」
「大体の物は片付けるけど、どうしても持って帰りたい物があったら持っていきなさい」
 高津貴は部屋を見回す。その手には高津栄子が大事にしていた自分の写真が握られていた。
「母が……、一番大切にしていたものは何ですか?」
 高津貴が震える声で尋ねた。
「それは君だよ」
 答えたのは田所であった。
「正直、我々はスナックで隠れて働いていたお母さんを憎む感情を持っていた。生活保護の不正受給だからね。だが、そんな違法行為までして、君のお母さんは君に仕送りをしていた。それは一番に君の幸せを願っていたからじゃないかな」
「ううっ、お母さん……、お母さんにはもっと愛されたかった! お母さんにはもっと甘えたかった!」
作品名:それぞれの死 作家名:栗原 峰幸