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それぞれの死

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「肺と子宮に癌が転移していて、手の施しようがないんだよ。抗癌剤や放射線治療も本人が拒否しているし、まあ、一週間くらい経過を見て、後は在宅ね。そして、痛みが酷くなったらホスピスというのが妥当じゃないかなぁ」
「そうですか……」
「会わせたい親族とかがいたら、早めの方がいいと思うよ」
「わかりました。お忙しいところ、ありがとうございました」
 栄太郎は井田医師に深々と頭を下げると、診察室を辞した。

 その翌日、栄太郎は児童養護施設「三徳園」に来ていた。高津栄子の息子、高津貴に会うためである。
 高津貴はつまらなさそうな顔をして、園長室までやってきた。今は高校一年生になる高津貴であった。髪を茶色に染めた高津貴は今時の高校生といった風体をしている。
「お袋に何かあったんスか?」
 高津貴は栄太郎に頭を下げることもなく、突っ立ったままそう言った。
「君のお母さんなんだけどね。末期の癌なんだ。もう、長いことはないと思う。もし貴君にその気があるならば、会ってやってくれないか?」
 栄太郎は高津貴の瞳を見ながら言った。だが、高津貴は栄太郎と目を合わせようとはしない。
「俺には関係ないっスよ。俺を棄てたお袋ですよ。今更、会ったって何の意味があるんスか?」
「そうは言っても、君のために仕送りをしてくれていたじゃないですか」
「そうなんスか? 初耳です」
 栄太郎も高津貴も「あれっ?」というような顔をした。園長が「ゴホン」と咳払いをする。
「ああ、君のお母さんからの仕送りね、あれは園で預かって管理しているから……」
 園長が取り繕うように言った。
「何で今まで黙っていたんスか?」
「いや、君が将来自立するための資金として園で保管しているんだよ。今、君に話すと浪費してしまうだろう」
 園長は苦し紛れの弁解をする。
「出納簿はあるんですか?」
 栄太郎が園長を見据えて尋ねた。
「そんなもん、ないよ。送られてきた金は全部金庫に保管してある」
「やっぱり大人は信用ならねえな……」
 高津貴がボソッと呟いた。その瞳は憎悪に燃えていた。
「俺の記憶の中では、お袋は優しかった。でも、俺を棄てたんだ。この施設にね。今まで幸せだった俺の生活は一変した。今までお袋が作ってくれた温かい飯から、冷めたゴムみたいな飯になるし、職員は俺の親になるつもりなんてない。時間が来たら『はい、さようなら』で交替だ。だから、大人なんか信用しない。俺はね、自分が怖いんスよ。これで、まともな大人になれるかなって……」
 高津貴は恨みの篭った声色で、そう語った。
「君のお母さんはね、好きで君を手放したわけじゃないんだ。女手一つで君を育てられないと思い、苦しい選択の末、君をここへ入所させたんだ。だから罪滅ぼしの意味も含めて、君への仕送りは欠かさなかった。兎も角、一度会ってやってくれないかなあ、お母さんに……」
 高津貴はボリボリと頭を掻いた。その表情は困惑している。
「まあ、考えておきます」
 高津貴はそう言うと、踵を返し、園長室から出ていった。栄太郎は立ち上がると、その背中に「後悔はするなよ」と声を掛けた。だが、高津貴が振り返ることはなかった。

 市役所に戻ると「待っていました」とばかりに、新生会病院の田辺から栄太郎に電話が入った。
「小山藤吉、意識が戻りましたよ。でも、脳の損傷が著しいのか、まともに会話もできませんよ。涎も流し放しです」
「そうですか……」
「うちもあんな患者をいつまでも看ているわけにはいかないので、愛向会病院という精神病院に転院させます。ここだけの話なんですがね。あそこは環境こそ良いとは言えませんが、いわゆる『お助け病院』なんですよ。まあ、あそこでレロレロのまま一生を過ごすのも仕方ないんじゃないですか。それなりに周囲に迷惑を掛けてきたんだし……」
「そうですか。手配、ありがとうございました」
「それにしても一ヶ月の医療費だけで軽く百万を越えましたよ。あんなのに税金を使うのは勿体無い気もしますけどねぇ……」
「僕の口からは、何とも言えないですね」
「まあ、そのうち愛向会病院に出向いて、状況を見てきてください。小山の最後に相応しい場所と言えば、言えるかもしれませんよ。ふふふ……」
 田辺は意味深に笑った。栄太郎は電話口で思わず苦笑を漏らした。
 愛向会病院ならば栄太郎の担当するケースも入院している。統合失調症の男性患者だった。いつもあらぬ妄想に支配されていて、とても在宅生活が営めるようなケースではなかった。そのケースの入院歴は二十年にも亘っていた。

 木島愛子の妊娠が発覚したのは十月の支給日の時だった。
 木島愛子は母子世帯の母親で、二人の息子がいる。一人は小学校一年生で、もう一人は未就学だ。二人の父親はそれぞれ違い、認知もされていなかった。
 保護費を受け取りに来る際、異様に腹部が出ていた。
「木島さん、妊娠していますね?」
 栄太郎はズバリと尋ねた。すると、木島愛子は「ああ、やっぱりバレちゃいましたか」と言いながら、舌をペロリと出した。
「相手は誰なんですか?」
 栄太郎はカウンターから身を乗り出して尋ねた。
「携帯電話の出会い系サイトで知り合った男ですよ。やり逃げされちゃった」
 木島愛子は悪びれる様子もなく、そう言って退けた。
「じゃあ、また認知してもらえないじゃないですか?」
「まあ、そういうことになりますね」
「今、何ヶ月なんですか?」
「五ヶ月目に入ったところかな……」
「それじゃ、もう堕せないじゃないですか。堕すのが良いとはいいませんがね、無責任ですよ。あまりにも……!」
「だってぇ、今まで誰にも相談できなかったんだもん……」
 木島愛子は拗ねたように言った。栄太郎は後ろの事務椅子に「はあーっ」と深いため息をついて、ドサリと座った。
 木島愛子はネグレクトの児童虐待で児童相談所にも通報があったケースだ。おそらく、産まれてくる子どもの養育もまともに出来はしないだろうと、栄太郎は推測する。
「そのツケは全部、生保かよ。税金かよ……」
 栄太郎は恨みの篭った声で呟いた。

 その翌日、早速、木島愛子の家庭訪問をした栄太郎だった。気は進まなかった。母子家庭の家庭訪問はどうも足が遠のいてしまう栄太郎であり、そのことを高橋係長にも指摘されていた。だが、今回はそうも言っていられない状況だ。木島愛子の家の中は乱雑をきわめていた。
「堕す費用も工面できなくて、ズルズルここまで来てしまいました」
 木島愛子は言い訳がましく、そう言った。
「こういうことは、すぐに相談してくれないとね。小さなお子さん抱えて、どうやって産む気ですか? 頼れるところはあるんですか?」
「それが実家とは犬猿の仲ですし、頼れるところもなくて……」
「じゃあ、どうするつもりなんですか? まともに検診も行っていないでしょう?」
「ええ、産婦人科には行っていません。母子手帳もまだ貰っていないし……」
「まったく、無責任にも程がありますな」
作品名:それぞれの死 作家名:栗原 峰幸