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それぞれの死

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「そうですか。今、丁度、彼の生活保護の廃止の手続きをしているところなんですよ」
「生活保護、廃止になるんですか?」
「ええ、暴力団の幹部だということが、県警に照会してわかりましたからね」
「ほう、そこまで調べたんですか」
「小山藤吉に支給した金額はお調べして、折り返しお電話いたします」
「よろしくお願い致します」
 電話を切った栄太郎は、小山藤吉のケースファイルに目を落とした。
(早く、廃止の記録を書いてしまおう)
 そう思っている栄太郎であった。

 その翌日、栄太郎は高橋係長と小山藤吉のアパートに家庭訪問に出掛けた。保護の廃止決定通知を持っていったのである。栄太郎は「何故、郵送じゃダメなんですか?」と高橋係長に尋ねた。その答えは「審査請求(不服申し立て)について説明する義務があるからだ」とのことだった。
 栄太郎は気を引き締めて、呼び鈴を鳴らした。だが、返事はない。
「北島、電気メーターだ」
 高橋係長が栄太郎に指示する。栄太郎は電気メーターを見た。それは勢い良く回っていた。耳を澄ますと、部屋の中からテレビと思しき音が聞こえる。
「居留守かよ……」
 栄太郎と高橋係長はアパートの裏手に回った。カーテンは開かれていた。
 そこで栄太郎の目に飛び込んできたのは、涎を垂らしながら倒れている小山藤吉の姿だった。
 窓には鍵がかかっていなかった。栄太郎は咄嗟に部屋の中に飛び込んだ。
「小山さん!」
 声を掛けるが返答はない。小山藤吉は口から泡を吹いている。
「北島、救急車だ! それから警察にも連絡しろ!」
「はい!」
 栄太郎は携帯電話を弄った。その時、畳の上に落ちている注射器を見つけた。
(シャブか……!)

 小山藤吉は帰帆市の郊外にある新生会病院に入院することになった。やはり、覚醒剤による副作用とのことで、意識はまだ戻っていなかった。警察は意識を取り戻し次第、逮捕すると息巻いていたが、チューブに繋がれた小山藤吉の姿に、暴力団の幹部としての風格はなかった。そこにいるのは初老の病人のように栄太郎には見えなかった。
 小山藤吉に見舞いをする者は暴力団関係者を含めて皆無だった。栄太郎は思う。これまで小山藤吉はどれだけの人に迷惑を掛けてきたのだろうかと。そして、また自分も迷惑を掛けられていると思うのであった。それは援助者として抱いてはいけない感情なのかもしれない。だが、その前に栄太郎も人である。
 一度は生活保護の廃止決定をした小山等吉だが、医療費の支払いが困難なため、医療費を生活保護で出さざるを得なくなった。いわゆる急迫保護である。生活保護では国民健康保険の加入が認められていない。生活保護が全額、医療費を負担するのだ。
(何でこんな奴に国民や市民の税金を使わなければならないのだ……)
 そんな思いが栄太郎の頭の中を過ぎった。小山藤吉に脅されたことを思い出すと、チューブを引き抜いてしまいたい衝動に駆られる栄太郎であった。だが、そんなことが出来るはずもなかった。
「ありゃ、もうダメだね」
 栄太郎が病院を出る時に病院のケースワーカーの田辺が言った。
「ダメってことは、もう死ぬっていうことですか?」
「まあ、私は医者じゃないから何とも言えんが、その可能性もあるねぇ。まあ、意識が戻ってもレロレロだろうね。しかし、おたくも因果な商売だね。あんな奴の最後を押し付けられてさ……」
「さっき、チューブを引き抜きたくなりましたよ」
「わかりますよ。その気持ち……。まあ、ロクな死に方は出来ないね。あいつの場合……」
 田辺は吐き棄てるように言った。
「しかし警察も間抜けだよなぁ。ガサ入れまでして、逮捕できなかったんだから。その時に逮捕していれば、うちにもあんたにも迷惑が掛かることはなかった……」
 田辺は皮肉たっぷりに言った。
 栄太郎は田辺に一礼をして病院を辞した。だが、田辺はいつまでも栄太郎の背中を見つめていた。

 横井啓太が笹熊大橋で死亡しているのが確認されたのは七月二十四日の未明のことだった。横井啓太といえば、無料低額宿泊所から姿をくらましたホームレスである。当然のことながら、生活保護はとっくに廃止となっていた。
 その横井啓太が帰帆市と二カ瀬町の境である、笹熊川に架かる笹熊大橋で行き倒れているところを発見されたのだ。通報者は早朝ランニングをしていた地元の主婦で、救急車を要請したが、その時、既に死亡が確認されていた。そこで帰帆警察署に遺体は搬送されたのである。
「頭はどっちを向いていた?」
 高橋係長はそのことが気に掛かるようだった。
「どうやら、こっち(帰帆市)を向いていたようです」
 栄太郎は高橋係長を見て言った。
「じゃあ、面倒臭いけど、うちでやるより他はないな」
「頭の向きが関係あるんですか?」
「ああ、市町村の境に架かる橋で行旅病人や死亡人が出た場合は、頭を向けている市町村が管轄をするんだ。生保も同じだよ。つまり、そっちに行こうとしていた意思があったということでな」
「でも、後ろ向きに倒れていたら逆じゃないですか?」
「そんなことまでは知らん。兎に角、そういう取り決めになっているんだよ」
 高橋係長は面倒臭そうに、そう言った。
「問題はこれからなんだ。民生委員が葬祭の執行者になってくれれば生活保護法第18条2項2号(葬祭扶助)でも処理できるし、逆に葬祭の執行者がいないとなると墓埋法(墓地、埋葬に関する法律)や行旅法(行旅病人及行旅死亡人取扱法)での処理も可能だ。まあ、どれもうちの市ではこの生活福祉課の業務だがね。こういう場合はいつもどれでやるかで揉めるんだ。まあ、生保でやるならば、民生委員に葬祭の執行者になってもらうんだな。墓埋法と行旅法の担当は戸沢だ。よく検討、相談して決めてくれ」
「今回は葬祭扶助を適用できませんか?」
「ん、何故だ?」
「生保で関わった方ですから、僕が最後まで責任を持ちたいんです」
「わかった。ケースワーカーにはその思いが大切だ。いいか、小さくまとまるなよ。自分の信じた道を行け」
「はい……。で、今回の葬儀屋も辰巳屋です。警察から連絡がありました」
「しかし、警察もよく身元がわかったな」
「遺品に受給者証があったそうです。警察はそれでまだ生保のお客さんだと思ったらしく……」
 栄太郎には横井啓太に対する思いがあった。確かに生活保護として関わった日数は少ない。ただ、NPOにホームレス狩りで無料低額宿泊所に押し込められ、自由を奪われていた彼に同情していたのだ。横井啓太は栄太郎には本音を言い、二カ瀬町でホームレスをしていたという事実を告げてくれた。そんな彼の最後を看取ってやりたかった。
 栄太郎は受話器を上げると、早速、辰巳屋へ電話を入れた。
「済みません。今回の横井さんは福祉扱いでお願い致します」
 その横で、高橋係長はニヤニヤ笑っていた。

 横井啓太の葬儀にはやはり葬儀屋の辰巳屋の他には栄太郎しか立ち会わなかった。花など付かない、火葬するだけのシンプルな葬儀である。
 栄太郎は棺の中の横井啓太の顔を覗き込んだ。それは安らかな死に顔ではなかった。目こそ閉じられていたが、苦しみもがいたのだろう、口は開いたままだった。
作品名:それぞれの死 作家名:栗原 峰幸