ことばの雨が降ってくるまで
童話・昔話の残酷さ
グリム童話で、初版には入っていて2版目から削除された作品があったり、書き換えたというのは、童話を書いている方には周知のことだと思います。
一つの例ですが、子ども達が肉屋が豚を殺すのを見て、それをまねた遊びをして本当に豚の役をやった子どもを殺してしまったという話。
これは特殊なことではありません。子どもは実に無邪気に大人のまねをするからです。
実際に日本でも、砂場で遊んでいた子ども達が、赤ちゃん役の子どもにミルクに見立てた砂を本当に飲ませて死なせてしまったという事件もあるのです。死んだ子どもは肺にまで砂が入っていたということです。
大人はこれらの話を聞いて「残酷だ」と思います。けれど子どもはそれが残酷なことだとは思っていないんです。だって、豚を殺すことも、ミルクを飲ませることも大人が普通にやっていることなのですから。だからちゃんと大人が教えなくてはいけないことなのです。
友だちに遊びでそんなことをしてはいけないこと、砂は食べられないことなどを。
「ヘンゼルとグレーテル」では継母が二人を捨てるように言うことになっています。けれど元の話は実の母親が捨てるように言ったというのを、それはあんまりだというので継母に変えたとか。
また、同じグリム童話に、もっとひどい話で「ねずの木」というのがあって、これは継母が連れ子を殺してしまい、夫にその死んだ子どもで作ったスープを飲ませてしまうという物語もあります。
しかも同様の詩がマザーグースの中にもあるのです。
『お母さんがぼくを殺した。お父さんがぼくを食べた……』
ではなぜ実の母親が子どもを捨てるように言ったのか、子どもを平気で殺したのかと言いますと、中世のヨーロッパでは口減らしのために子どもを捨てることがよくあったのだそうです。(もちろん、日本にもありました)
もしくは人買いに売るとか。それらは実際にあった暗黒の時代の記録なのです。
グリム兄弟はそういった地域の民間伝承を集めて、童話としてまとめました。
ですから、ただ単に残酷だというのではなく、大人としてその時代背景などを知っておくといいと思うのです。
もちろん無理に残酷な物語を聞かせる必要はありません。ですが、やがて子どもは自分で読めるようになります。そんな時には、一言添えてやることが重要ではないかと思うのです。
作品名:ことばの雨が降ってくるまで 作家名:せき あゆみ