ことばの雨が降ってくるまで
後味の悪いもの
前回、歴史物について、アマチュア漫画のことを書きましたが、もう一つ、漫画スクールで編集者さんがおっしゃっていたことがありました。
「後味の悪い作品」
これはどんなモノのことをいっているのでしょうか。
主に主人公もしくは主人公の恋人が亡くなってしまう物語です。
定番なのは、不治の病に冒された主人公が頑張って生きていく姿を描き、志半ばに亡くなってしまう……。
もう、読み終わったときには涙涙の感動の嵐ですよね。
たしかに。
しかしながら、こういった内容のモノを編集者は後味が悪いといいました。
ワタクシはまだ若かったものですから、感動させるのならいいじゃん。みたいなふうに思い、編集者がなぜそういうのか理解できませんでした。
ですが、よく考えると、安易ですよね。フィクションとしたら。
昔々、流行りました。
『愛と死を見つめて』とか『我が愛を星に祈りて』とか。
映画館では皆、感動の涙を流したモノです。
ただ、これらは実話でした。
『愛と死を見つめて』は、骨肉腫にかかった女学生と、たまたま事故で入院した男子高校生が知り合って、恋におちたものの、彼女は亡くなってしまう。
ふたりの交換日記や彼女自身の日記をもとにした物語です。
『我が愛を星に祈りて』は、主人公の女学生は転校生に思いを寄せるものの、彼の前ではそっけない態度をとり続けます。転校生はスポーツ万能でかっこよく、女生徒のあこがれの的です。ですが、彼もまた主人公にひそかに思いを寄せていたのです。
そして高校を卒業し、彼は大学へ行きますが、彼女は脊椎カリエスという病気になってしまいます。
あるとき、彼は彼女の両親から彼女が亡くなったという知らせを受け、彼女の家を訪ねます。
彼女の死後、遺品の中に彼への思いを綴った日記がでてきたといい、両親は彼にそれを託します。
そして、彼はその日記を読みながら、その頃の彼女への自分の気持ちを重ねて思い出していく……というストーリーです。
実話だけに胸にせまるものがありますから、感動を生むのは必至ですね。
ところが、こういったものをフィクションで書こうとするとどうしても嘘がでてしまいます。結果、後味が悪いものになってしまうということではないかとだんだん思うようになりました。
もちろん、そういうものを書くなという意味ではないと思います。
そういう不幸の中から、立ち上がって明日に向かって進む……というような展開で終わるのでしたら、救いがありますからね。
作品名:ことばの雨が降ってくるまで 作家名:せき あゆみ