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せき あゆみ
せき あゆみ
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ことばの雨が降ってくるまで

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『美人心計』のトンデモ設定その2



劉盈(恵帝)とともに、びっくりさせられた設定はその恵帝のお后の張嫣(ちょうえん=張皇后)さん。
恵帝に先立たれ、呂后が死ぬと命は助かったものの、ほとんど幽閉状態のまま一人寂しく過ごして、たしか40代でひっそりなくなっちゃうんですけど……。

ここでは最終的には将軍・周亜夫の奥さんに。いやはや(^^;)

でも、考えてみれば……。
恵帝にしても、この張皇后にしても、『史記』から窺い知れるのは幸薄い一生ですよね。

きっとこの作者は二人を不憫に思って、せめて物語の中では皇帝には自由な人生を、皇后には好きな人(だって政略結婚で伯父と姪の関係)と結ばれる人生を送らせてやりたかったのではないかなと、思うことにしました。

物語の進行にはなんの差し支えもなかったことですしね。

それにしても、天下の大将軍・周亜夫の描き方が「なんだかわからない人」だったのも、もったいないです。
竇太后と確執をもたせる必要が果たしてあったのか?

このドラマを観つつ、いくつか感想を書いているブログなどを読ませて戴いて、ある方が「どの登場人物にも思い入れができない」と書いていらっしゃるのを目にしました。

実はワタクシも同感だったからです。

そう。
たいがい小説にしてもドラマにしても、特に主人公に肩入れしますよね。
ほかに脇役に魅力的な人がいればその人に。

なのに、誰にも感情移入できないドラマでした。かといって共感できないわけじゃなかったのでそれなりにおもしろく観ましたが。

その中で、前半の花ともいえる呂后の人となりの描き方や役者の演じ方はワタクシ好みでした。

ここでの彼女は、世の安泰のためには劉家と呂家がしっかり手を取り合っていなければならない。そして、自分はあくまでも劉家の嫁。皇帝は劉家のものでなくては……という考え方でした。
ですから、呂家の一族があわよくば呂家の子どもを皇帝にしようとしたとき、素知らぬふりして口と鼻を塞いで殺して「おや、息をしていないではないか」とやってしまうのです。

呂后というと、とにかく戚夫人を残虐なやり方で殺した「鬼のような女」というイメージがつきものですが、いやいやそうしなければ、自分が殺されていたのですから。

『史記』には呂后の統治下では民は安定した生活を送り、何より「刑罰を用いることまれなり」だったそうです。

また、このドラマで薄太后が亡くなる直前、嫁の竇皇后につらく当たったことを謝り、それからこう言います。
「高祖に愛された女は3人いた。呂后と戚夫人と私。呂后は権力を手に入れ、私は穏やかな老後を手に入れた。けれど手足を切り取られたとえ廃人になっても愛を手に入れた戚夫人が一番幸せだっただろう」と。

高祖に愛された女性3人が、手に入れたものはそれぞれですが……。やっぱり一番ほしかったのは「愛」なんでしょうね。

とすると、竇皇后は最強です。
なんたって皇帝の愛を手に入れ、権力も手にして、孫の代まで君臨しちゃうんですから。
『史記』から見える彼女は「怖いばあちゃん」なんですけど(*^m^*)