長編への挑戦
長文も短文も同じだと思うのですが、先ず書くことで大事だなと思うのは日常の観察力、洞察力、好奇心でしょうか。日頃何気ないことに注意を払いよく観察し頭の中の引き出しに入れておく。それが何かのシーンを現そうとしたとき、もわっと顔をだし文章化されるように思います。ですから色々な経験をしないと言葉があっても表現できず薄っぺらくなるようにも思いますね。たぶんエベレスト登ったものでなければその文は表現できないでしょうし、南氷洋渡ったセーラーでなければあの大波は書けないと思います。
何でも同じですが最初から長文、長距離なんて漠然と考えても難しいですよね。マラソンランナーが5kmごととか10kmとか区切ってペースを作ったり、音楽も楽章ごとに区切るように文も何箇所かに区切り考えました。あらすじをまず考え、それに調査した内容を肉付けして、バランスを考え、お涙頂戴シーン、お笑いシーンと私の場合は映像として頭に出していきます。どちらかというと脚本に近かったかもしれません。そうしてそのシーン1の映像を浮かべたままキーボードを叩いていきました。ややもすると細かく書きすぎ読み手の想像の邪魔をすることもあるので、書いても想像するように注意をしました。
やはりいくら自分が好きで書いているとはいえ一人善がりでは相手は呼んでくれないでしょうからそこは注意ですね。一度書きましたが私は音楽が流れるようなテンポで書いていきますので、ただ小説を書くというのではなく、音楽や風景を鑑賞し、観察してそれに載せるように書けば書くほうも楽ではないかと思います。
たとえば映画にしても漠然と楽しむのも一つですがカットのカメラの位置太陽の角度、ライトの当て方、カメラワーク等々観察していると自分の作品の中にそれが現れてくるように感じます。ただしそうなると映画を楽しむことは出来なくなりますのでご注意を。
私の場合は頭の中で映像が流れますから、当然役者が居るわけでこの場合主役は西田敏行と佐藤浩市と始めにキャスティングをし、そのイメージで書いていきますのでおのずと性格があわられてきますし話の色合いも決まってきます。皆さんも話を書く際は当然何がしかのイメージがあるでしょうから、それをいつも頭において書いていくと性格は出ると思います。あとは章ごと、その中のシーンごとに色づけしていけば10万字や15万字の話は書けると思います。
経験的に小説家も大変だなと感じたのはその集中する時間が長いということでしょうか。映画なら2時間ほど、サッカーでも通常90分ですが、小説を書くとなると出来上がるまでの間ずっと集中しないとシーンが消えてしまいます。それが厄介ですね。事前に調べた情報と話をリンクさせながら話を作り上げ景色や話しや動きを文章化していく長い作業をずっと集中する体力、メンタルの体力というのでしょうかそれが大事のように感じました。なるほど作家がホテルや旅館に缶詰で書くのはこのためかと実感しました。
書き始めたらあとはただ書いては見直しを繰り返す。殆どをカットしていいところだけ残しまた書き足すのを続ければ話は出来ます。殆ど書くというより書いたのを捨てる作業でしょうか。結構辛いものがありますよね、数ページ書いて全体にみると全然駄目で殆ど没!また書き直し。上手な人はそれが少なく早く上がるのでしょうが、私なんて殆ど書き直しに加えミスタッチだと一向に進みませんでした。友人に見せると完全に没で三分の二は駄目で書きなおしました。
あとはどんどん書いていけばそれなりに書き方が分かるように思います、文が育つとでも言うのでしょうか?書き方のコツでしょうか?勝手に次のシーンが言葉となって現れますのでやはり量を書くこともいいのかもしれませんね。それといつ文章が現れるかもわかりません、寝ているときとか散歩中にも良く現れました。嫁さんはいつも書くものもって置きなさい、枕元にも紙とペンを置いときなさいと何度言われたことか。音声レコーダーやメモは必需品ですね。