赤のミスティンキル
刹那、ミスティンキルは鮮明に思いだした。月の世界で魔導を解放する際、かの大魔導師が語ったことを。
「そうだ! ユクツェルノイレ!」
思わず彼は大声を上げた。
◆◆◆◆
――「アリューザ・ガルドでウェインディルを見いだせ。彼らの住まいはあえて私からは言わない。……魔導に関しては彼だけが大いなる導き手となるだろう……」――
ユクツェルノイレの言葉は、ミスティンキルとウィムリーフ、魔導を復活させた二人にとって運命的であり、極めて重要な忠告だった。編纂していたさきの冒険記にも彼の言葉を記そうと、もともと二人して決めていたはず。なのだが――
なぜ自分達は、ユクツェルノイレのこの言葉だけをすっかり忘れてしまっていたのだろうか?
なぜウィムリーフは冒険記の総仕上げを後回しにしてまで、半ば強引に今回の冒険を始めたのだろうか?
自分達は冒険よりもまず真っ先に、ウェインディルという人物を探さなければならなかったのではないか?
「……なあウィム、ちょっと」
問いただそうと、ミスティンキルは真剣な面持ちでウィムリーフを見据えた。対して、ウィムリーフは上方を見つめ、だんまりを決め込んでいる。ミスティンキルとは視線を合わそうとしない。まるで青い“魔力核”に魅入られてるかのようだ。
ミスティンキルは構わず言葉を続けた。
「おれ、思い出したんだがな。ユクツェルノイレの言葉だ。ほら、月の世界にいた大魔導師の。あの人が言ってたこと、覚えてるだろう? ウェインディルを見つけなきゃならなかったんじゃないのか。おれ達は」
変わらず、ウィムリーフは無反応。ミスティンキルは顔をしかめる。
「……もうこんなところまで来ちまったからな、今さらどうこうしてもしかたねえがよ。……なあ、ウィムよう、ウェインディルを探そうぜ。この島の冒険が終わったら」
いくら語りかけてもウィムリーフは微動だにしない。
「なんでおれ、今まで忘れてたんだろう? でもウィム。お前は覚――」
「ウェインディル……」
彼女はぽつりと呟いた。
「……ウェインディル……?」
同じ言葉をか細く繰り返す。
(ウィム? どうしちまったんだ?)
怪訝に思いつつミスティンキルは言葉を続けた。
「おい、なあ。聞いてんのか? いい加減こっち向けよ。お前だって覚えているだろう? おれ達が月の世界で――」
その時ようやく、ウィムリーフがミスティンキルのほうへ向き直った。
瞬時にミスティンキルは総毛立った。ウィムリーフの気配にただならない異質さと畏れを覚えたのだ。それは昨日の夕方感じたものと同質だ。自身を包み込んだ青い光を嫌ってふさぎ込んだあとのウィムリーフの様子と。
「覚えている……? 忘れていた……? ユクツェルノイレ……」
不明瞭な返事。ウィムリーフの目つきはうつろだ。彼女の瞳はミスティンキルではなく、何か別のものを見ているように思える。
「いいえ、――ここに来なければならなかった――」
ウィムリーフは再度、天井を見つめる。まったく会話がかみ合わない。奇行に走ることによって彼女は自分をはぐらかそうとしているのか?
(あり得ねえよ。だってウィムリーフだぜ)
ミスティンキルは否定した。聡明なウィムリーフはそんなことなどしない。大事にあたってはウィムリーフはいつだって真摯な態度でミスティンキルに接してきた。いつの頃からか彼自身定かではないが、ミスティンキルは彼女に対し全幅の信頼を置くようになっている。
(あり得ねえんだが……今のウィムは一体どうなっちまってんだ? 気が触れちまったのか?)
困惑しつつもミスティンキルは再び上を見た。するとどうしたことか、“魔力核”がほのかに青く明滅しはじめたのだ!
(三)
「おお……?!」
ミスティンキルは驚きの声を上げた。さらに時を同じくして――ウィムリーフの全身がまたしても青い光に包まれていく!
「……!」
ミスティンキルは言葉を失う。取り乱したりしないよう、必死に自分を抑える。
(なんだ?! これ以上、一体なにが起きようとしてるんだ?!)
ウィムリーフの発する淡い光によって、周囲が青く照らし出される。彼女はまるで自身の異変に気付いていないかのごとく表情を変えず、天井の“魔力核”を見つめている。微動だにしない。ただ、口元だけがかすかに動いている。何かを囁くかのように。
ミスティンキルはアザスタンを一瞥した。押し黙ったままの彼だが、いつもの平静さにはやや欠けている節がある。
「お、おい、ウィム!」
ともかく彼女を正気に戻そう。強硬手段だ。ミスティンキルはウィムリーフの両肩をがっしりとつかんだ。細いがしっかりした肩を。
【己を戻せ! ウィムリーフ!】
その時、アザスタンが龍の言葉を強く発した。龍の発する言葉――その魔力たるや、人のそれとは比べものにならないほどに強い。ウィムリーフの身体が微動し――今度こそ彼女の瞳に意識が戻った。
「あ……れ? どうしたんだろう? あ……あたしまた光ってる……!」
ウィムリーフは自分の身体を見やって戸惑いの声を上げた。
「大丈夫なのか?! ウィム」
ミスティンキルは肩を抱いたまま問いかける。赤い瞳と群青の瞳――その視線が重なり合う。ややあって、ウィムリーフはこくりと頷いた。
「大丈夫よ……」
そう言った彼女は間違いなく、ミスティンキルの知っているウィムリーフだった。そして彼女はそっと、ミスティンキルの手に自分の手を重ねてきた。その柔らかく暖かい感触。ミスティンキルはとりあえず安堵した。
「今さら……思い出したわ。馬鹿だ……」
うつむき加減に、ウィムリーフが自嘲する。
「思い出した?」
ミスティンキルが訊く。
「ユクツェルノイレが言った言葉よ……。本当、今さらよね。なんてあたしは馬鹿なんだろう……!」
俯いたままウィムリーフは声を震わせる。入り交じった負の感情をなんとか押し殺そうとしているのがミスティンキルには分かった。
「ウェインディルを探すって強く決めてたのよね。あたし達二人で。だからあたしは絶対に忘れるはずなかった。……けれど……なんでだろう……? なんで忘れちゃってたんだろう……? もう、わけが分からない!」
ウィムリーフの感情が堰を切ってあふれ出た。こうなっては彼女自身でもどうしようもなく、ただ嗚咽を繰り返す。
「それにまた……ほら。魔力がこうして出てきちゃってるし。ねえミスト。あたし、どうにかなっちゃってるのかな? 毎日毎日、あたしの身体が青く光るなんて……それがだんだん早くなってるなんて……!」
ウィムリーフは顔を上げてミスティンキルを見た。涙で顔がぐしゃぐしゃになりながらもウィムリーフは苦笑いを浮かべる。彼女のこんな弱く痛々しい姿を見るのは、ミスティンキルにとってはじめてだ。彼自身も動揺を隠せない。それでも彼は震える手を伸ばし、ひどく苛まれている恋人をぎゅっと抱きしめた。
「馬鹿。そんなわけあるか。この島にラミシスの魔法が残ってるから、それに反応してるだけだ。島から出れば元に戻る」
彼の言葉は当てずっぽうのでまかせでしかない。だがそれでも、ミスティンキルはウィムリーフを安心させたかったのだ。