赤のミスティンキル
「ちょっと! なにおふざけしてるのよ!」
そう怒られるも、ミスティンキルは手を引っ込めるどころかますますウィムリーフに密着してきた。薄い布を隔ててお互いの肌がぴったりと重なる。それがとても心地よいものであるのは確かだ。
「……こうしたほうがもっとあったまるじゃねえか?」
ちょっと甘えたような、しかし落ち着いた声で、ミスティンキルはウィムリーフの耳元で囁く。
「こら……!」
やや当惑しつつウィムリーフはミスティンキルを見上げる。灯火を受けながら群青の瞳と赤い瞳が交差する。ミスティンキルの瞳は吸い込まれそうなほど実直だと彼女は感じた。そしてミスティンキルが明らかにウィムリーフを求めているのを知った。
ウィムリーフは彼から目をそらし、神妙な面持ちで
「ばかね。アザスタンがいるのよ?」
と、とりあえずやんわり否定の言葉を口に出した。
ミスティンキルは自分の頬と彼女の頬を合わせ、
「気にすんな。『おれ達が見張りの番に就く』って言っておいた」
そう言うとやや強引にウィムリーフの唇を奪った。
厳しく困難な道のりのさなかだが、ひとときの情欲に身を任せるのもいいかもしれない。ウィムリーフは拒むのを止め、彼の思いを受け入れるのだった。
◆◆◆◆
夜も更けてしばらく。
愛を交わした恋人達はやがて手を取り合ってテントに入った。そしてアザスタンに見張りの交替を願うとそれぞれの寝具にくるまった。
「そういえば……」
目を閉じようとして、ミスティンキルはふと今日未明のことを思い起こした。あの時、ウィムリーフの身体を青い光が覆っていたことを。それを聞いてウィムリーフは唸った。
「うーん……。なにかあまり良くない……不思議な夢を見ていた気もするわ……。でもなんだったのか思い出せない……」
思慮深げにウィムリーフが言ったまさにその時、青い光がぼうっと彼女の内側から出てきて全身を包んだ。ウィムリーフ自身の魔力による光だ。
「なに?! なんなの?!」
ウィムリーフは寝具から抜け出ると、青く光る自身の身体を見回して慌てふためく。この事象が発生するのはメリュウラ島にやってきて連日、もう三回目だ。
「ウィム! 大丈夫か?」
がばりと、ミスティンキルは上半身を起こす。
「うん……平気。あたしの魔力が放出されているだけで、それ以外は何ともないわ」
やや不安そうにウィムリーフは言葉を返した。
「収まれ、収まれって願っても引っ込まないのよ。どうしよう……。なんでこんなこと、あたしにばかり起きるの……?」
「ウィム……」
狼狽するウィムリーフを見かねてミスティンキルは手招きする。ウィムリーフは頷くと、ミスティンキルの寝具にそろりと潜り込んだ。青い魔力は熱を帯びているわけではなく、ミスティンキルに影響を及ぼすものではない。それよりむしろ彼女の持つ柔らかさと暖かさ、匂いにミスティンキルの意識が集中した。
「大丈夫だ、ウィム。深く考えるな。そのうち引っ込むから怖がらなくていい」
ミスティンキルはウィムリーフの背中を撫でた。ウィムリーフは切なそうな視線をミスティンキルに送った。
「お願い。あたしが眠りについても抱きしめていて。そうすれば悪い夢なんか見ないと思うの」
「……ああ……」
恋人達は目を閉じた。
二人が寝息を立て始めるまで、そう時間はかからなかった。
(三)
明くる日。身体を揺り動かされているのに気付いてミスティンキルは目を覚ました。視野に龍戦士アザスタンの姿が映り込む。
――と、ミスティンキルの胸元で銀髪の頭部がわずかに動き、毛布からウィムリーフが顔をのぞかせた。彼女はミスティンキルの顔を見上げて、一瞬怪訝そうな表情を浮かべる。が、すぐに納得がいったのか、決まりが悪そうにいそいそとミスティンキルの寝具から抜け出ていった。
「お、おはよう」
そう言ってウィムリーフはそそくさと自分の髪を手櫛《てぐし》で整える。照れているのか、やや顔を赤らめているあたりが愛らしい。
「おはよう……すまねえアザスタン。すっかり朝になっちまったようだな」
疲労のため深く寝入っていたようだ。ミスティンキルは長時間アザスタンを見張りに立たせていたことを詫びた。
「気にするな。一日や二日眠らない程度で龍はくたばらぬよ。……まあ時に我らは、長い眠りを必要とすることもあるがな」
アザスタンはそう言うと笑ったようだった。龍頭ゆえに表情は読み取れないが、今までのつきあいからミスティンキル達には分かった。
ミスティンキルは起き上がると大きく伸びをした。荷を背負って一日中湿原を歩き通し、普段使わない筋肉を使ったのだろう、身体の節々が痛む。
「……だりぃ……アザスタンみたいにピンピンとはしてられねえな」
ミスティンキルは座り込んで大きくあくびをした。
「歩いていればそのうち身体の調子も良くなるわよ。たぶん」
そう言うものの、ウィムリーフも今ひとつ元気がなさそうだ。起き抜けというせいもあるだろうが、語気に覇気が無い。ウィムリーフは咳払いをした。
「……まああれだけ頑張った甲斐あって湿原を抜け出たわけだし、まずは一安心していいわ。ここから先は平原が続くから、山を目印にまっすぐ進めばいいだけ。少しばかり遅れても支障は無いはずよ。今日は早めに休むことにしましょう。正直なところ、あたしも疲れが抜けてないわ。でも進まないと! ほら、出ましょう、ミスト!」
ウィムリーフは自分を含めた皆に発破をかけ、テントから出て行った。追ってミスティンキルとアザスタンも外に出る。
昨日とは打って変わり、今朝はメリュウラ島の全域で晴れ渡っている。見渡すと、南東のロス・オム山も南西のロス・ヨグ山もくっきり鮮やかに見える。また気候は暑くもなし寒くもなく、ちょうどいい。ミスティンキルは大きく深呼吸した。
「うん。気持ちいいな!」
気持ちを切り替えるようにそう言って、ミスティンキルは乾かしていた衣服へと着替えた。ウィムリーフもテントの裏で着替え終えたようだ。手足を動かして身体をほぐしている。
「飯を食おうぜ! ああ……美味い干し肉が食いてえなあ。たまらなく肉が食いたい」
ミスティンキルがため息をつきながらそう言うと、ウィムリーフはにこりと笑って返した。
「あたしは蜂蜜をかけたパンが食べたいわね! それに牛乳も。……残念だけど今それは叶わないから、冒険が終わったあとの楽しみとしましょう」
そして彼らは質素な携帯食を食べ終えると、今日の旅路の支度に取りかかるのだった。
一行は“枯れ野”を闊歩する。この日は前日の疲れを取るために、二刻ごとにしっかりと休憩をとって体調を整えた。晴れやかで涼しいため、歩いていても前向きな気分のままでいられる。
途中、土着の悪鬼の一隊に弓矢で攻撃されたが、“竜殺し”の一行は軽くひねるようにこれらを撃退した。以降、一行の行く手を阻む者はまったく現れなくなった。
三人は夕方前には野営地を決め、ゆっくりとくつろいだ。そして夕食が済んだ頃、またしてもウィムリーフの身体は青い光に包まれた。だんだんと、光が現れる時間が早まっているのはなぜなのだろうか。オーヴ・ディンデに近づくにつれて。