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赤のミスティンキル

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「まだまだよ。そこから先の展開で悲劇になるのは、歌によくあることでしょう? 万事、めでたしめでたしで終わらなくちゃ駄目なのよ」
「違いねえ」
 そして二人は笑った。
「ミスト!」
 ウィムリーフは右の掌を掲げ、ミスティンキルのほうに突き出した。ミスティンキルは意図を汲み、右手を挙げる。そして――
 ぱん!
 乾いたいい音で互いの掌が叩かれる。
 意気が揚がった冒険家のたまご達は、また笑いあうのだった。

◆◆◆◆

 昼頃。二人が簡素な食事をとっている時にアザスタンが声をかけてきた。
【見えてきたぞ。あの島ではないのか?】
「ラミシスのこと? ついに見えたの?!」
 ウィムリーフは前方を見たが、あいにくと龍の躯に景色が隠れてしまっている。そこで彼女は飛び立った。
「うん、間違いないわ! ほら、あれよ! ミスト、あれがラミシスの島よ!」
 ミスティンキルの真上、ウィムリーフは興奮した様子で彼に声をかけた。
 ミスティンキルにしてみれば、飛び上がれと催促されているように感じられた。さっきのように、またしてもからかわれるのは癪《しゃく》だ。
(行くか!)
 彼は荷物が動かないようにと蒼龍の背びれにくくりつけた。目を閉じて大きくひと呼吸をする。やおら見えない翼を広げ、空へ舞い上がった。強風をもろに受けて失速するものの、すぐに彼は風に乗ることができた。それから前へと進み、ウィムリーフと並んで飛ぶ。
「ほら、できた。できるじゃないの、“炎の司”」
 ウィムリーフが自分の事のように喜びはしゃぐものだから、朴訥《ぼくとつ》なミスティンキルは照れを隠すようにと、ただ顔を背けるのだった。

 一面に広がる大海原。眼下には大小さまざまな形をした岩場がある。そこで翼を休めているのは鳥――いや、小型の龍達だ。どうやらこの領域は龍の生息地となっているようだった。彼らは首をあげて、上空を舞うミスティンキル達にちらりと目をくれたが、特に関心を持たない様子だった。
 そして前方には、いよいよ陸地が見えてきている。小さいが間違いなくラミシスの島だ。あの島の南東部にこそ、結界に守られた城――未だ見ぬ謎めいたオーヴ・ディンデがあるのだ。

「この辺りが“ヒュールリットの攻防戦場”と呼ばれている戦場だわ」
 ウィムリーフが周囲をぐるりと眺めて言った。そしてまっすぐ先を指さす。島の突端に、ひとつの巨大な建造物がそびえ立っているのが見える。あれこそが“壁の塔”すなわちギュルノーヴ・ギゼの塔だ。

 魔導王国ラミシスの名が歴史書に登場するのは八百年以上の昔のこと、魔法都市ヘイルワッドを核として、魔法についての研究がますます盛んになっていく時代のことである。
 ラミシス王国の行っている研究や生贄を用いた儀式の、きわめて邪なることを知った当時のアズニール王朝は、魔導師シング・ディールを筆頭とした軍隊を進軍させたのだ。彼らはここスフフォイル海を軍船で渡りきろうとしたが、魔導王国の脅威をその身をもって思い知ることになった。
 “壁の塔”には忌まわしい魔導師達が集結していた。彼らはおのが魔力を増幅して、目に見えない結界をこの辺り一帯に放射したのだ。その結界は鋼の壁のように頑強なだけではなく、触れる者に酸鼻きわまる死をもたらす、強力かつおぞましい呪詛をも内包していたのだ。当時、魔法を知る者はそう多くはない。兵卒もまたしかり。ゆえに、アズニール王朝の軍勢は結界に阻まれて大敗を喫した。
 アズニール王朝軍は次の策として、眠れる龍達の加勢を得ることとした。ディールは長き時を経て覚醒していた朱色のヒュールリットに交渉を持ちかけ、朱色の龍は人間の申し立てに賛同した。ヒュールリットは眠れる龍達を起こすと、人間達をその背に乗せて空からラミシスを目指した。かの魔法の結界は、龍達にとってさしたる効果をもたらすものではなかった。それほどまでに龍の持つ魔力は強大なのだ。龍達は一斉に頭から結界にぶつかり、針で玉を割るように障壁を打ち崩した。
 それから龍達と戦士達、“壁の塔”からなおも幾多の強大な魔法を放つ魔導師達との戦いが繰り広げられた。三日三晩、昼夜を分かたず続いた攻防の末、アズニール軍は“壁の塔”周囲を制圧した。龍が放つ魔力と劫火によって魔導師達は敗れ、とうとうギュルノーヴ・ギゼは陥落した。
 これが歴史に名高い“ヒュールリットの攻防戦”のあらましだ。

 難攻不落の守りの要衝である“壁の塔”を落とし、勢いづいた軍勢は一気に王都へと進軍した。ラミシス軍は圧倒的戦力の前にろくな抵抗もできなかった。
 数日を経ずして王城オーヴ・ディンデは炎のもとに落ちたのだった。
 朱色の龍ヒュールリットと、“漆黒の雄飛”――闇の剣レヒン・ティルルの使い手、魔導師シング・ディールは玉座に降り立ち、魔導王国ラミシスの王、“漆黒の導師”スガルトを葬った。

 かくして魔導王国は滅亡し、以来この地は廃墟と化した――はずなのだが、なにかの力が働いているというのだろうか。ひとつだけ、謎が遺された。
 それを解くべき者こそ、ミスティンキルとウィムリーフに他ならないのだ。

◆◆◆◆

 滑空をやめた二人は再び蒼龍の背に乗った。
 陸地が近づいてくるにつれ、そびえ立つ“壁の塔”の全容も鮮明に見て取れるようになる。巨大な石板を想起させるこの建造物が“壁”と称されているのも理解できる。高さは四フィーレにもなるだろうか、これに比肩するものは周囲には無い。それどころか、現在のアリューザ・ガルドの諸都市においても、これほどの高さを誇る建造物などまずあり得ない。
 塔は白一色に包まれている。海風に晒され続けた現代では薄汚れて見えるが、ラミシスが在りし時代には、きっと白磁のごとき輝きを見せていただろう。海側から見るかぎり、壁面には一切の窓がない。その代わりに壁画が描かれていた。中央部は巨大な真円を象っており、その中には複雑な様式の呪紋が幾重にもわたって描かれている。“魔法陣”と呼ぶ者もいるだろう。円の外周には判読不能な古代文字がびっしりと羅列してあった。さらにその外側にはさまざまな動物や人間が抽象的に描かれている。これら壁画の意味するところはなんなのだろうか。

 塔の偉容を目の当たりにしたミスティンキルはしばし言葉を失っていたが、ようやく口を開いた。
「……なんてえでかさだ!」
 それから訝しげな表情で塔をじっと見据える。
 彼の横でウィムリーフは真剣な面持ちをしたまま、紙に筆を走らせていた。覚え書きのみならず、簡素ながらも写生画まで描いている。これを元にしてのちに冒険誌を編纂しようというのだ。
「カストルウェン達の冒険行にもあったけれど……本当、考えられない大きさね。世界樹くらいかしら、あんなに大きなものっていうと。……ギュルノーヴ・ギゼ。人が造った建物でも、間違いなく最大に違いないわ。建造時、魔法の力でも使ったのかしらね? よく分からないけど」
 ウィムリーフは写生する手を休めることなく言った。
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥