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赤のミスティンキル

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 別の“声”をウィムリーフは確かに聞いた。誰のものか分からないその“声”は、しかし彼女を支配していた龍の魔力を引き裂いた。魔力に絡め取られそうになっていたウィムリーフは我に返り、青い瞳に再び強い意志を宿して、ヒュールリットを鋭く見返すのだった。
【娘――】
「あたしは! ここで帰るわけにはいかない!」
 龍の言葉を遮って、ウィムリーフは大きく声を発した。凛としたその声は空気をも響かせる。
 そしてウィムリーフは地面を勢いよく蹴り、空中に舞い上がる。彼女はヒュールリットの頭部と同じ高さにまで登ると、そこで滞空して龍と対峙した。自分は龍と比して体こそ小さいが、立場は龍と対等であるということを、ヒュールリットに知らしめるかのように。
「ヒュールリットよ!」
 ウィムリーフは声を張り上げて言った。
「あたし達の冒険行に危険がつきまとうのは承知した上で! そして、ラミシスの地で得るものがないかもしれないと覚悟した上で! それでもなお、あたし達はあの場所に行きたいのです! これは――あたしの使命! 誰であろうと止めることはできないのです。朱色のヒュールリット!」
 おのが言葉には魔力が無くとも、信念で龍の心を揺り動してみせる。ヒュールリットに負けてたまるものか! ウィムリーフは真摯なさまを朱色の龍に、そしてミスティンキル達に知らしめたのだ。

【デューウ《はらから》よ。わしはアザスタン。龍王様を守護する者】
 ウィムリーフの思いはアザスタンの心を動かしたのだろう。龍戦士のアザスタンは地面に腰を下ろしたまま、ヒュールリットに呼びかけた。
【……龍王様はこう言われた。【いよいよ運命は廻りだし“物語”が始まる――アザスタン、私の目の代わりとなって、あの者達の紡ぐ物語の行く末を見届けるのだ】と。ここは我らも、人間を阻むべきではないと考える】
【龍王様がそうまでおっしゃるのか……】
 ヒュールリットは言った。
【娘。名前を聞こうか】
「ウィムリーフ・テルタージ。“風の司”であるアイバーフィンです」
 ウィムリーフは誇らしげに言った。
【ではアイバーフィンの娘ウィムリーフよ。先にお前は、失われし魔導を受け継いだと言った。褪せつつあった世界の“色”を元に戻したともな。ではあらためて、お前が為したという事柄を聞いておこうか】
「やったのは“お前”じゃなくて“お前達”……だがな」
 地上で成り行きを見ているミスティンキルは、ヒュールリットの言葉にこそっと口を挟んだ。

「……話は長くなりますが、よろしいですか?」とウィムリーフ。
【かまわぬ】
 ウィムリーフは変わらず、真正面から朱色の龍を見据える。巨躯を持つ偉大なる龍。その存在感に負けまいと、ウィムリーフは朗々と語り始めた。“炎の界《デ・イグ》”に至るまでの出来事、龍王イリリエンと相対した事、月の界での出来事を事細かに。
 その間ヒュールリットは、目の前にいるアイバーフィンの言う事の真偽を見極めるかのように、瞬きすることなくじっと彼女を見つめ続けた。それは人間であるウィムリーフにとって、どれほどの圧力だった事か。しかし彼女は――かの冒険を成し遂げて強くなった彼女達は――怯むことなく、ついに語り終えた。
「――あたし達が為した事は、これが全てです」
【……】
 ヒュールリットは目を細め、なにやら思考している様子だったが、やがて目を見開いた。
【大したものだ、ウィムリーフ。ではあらためて訊こう。お前はこの先にあるラミシスに何を求める?】
「今の世では誰も知らない、遺跡の姿を確かめに」
 ウィムリーフは言った。
「最後の目的地は、島の東側にあるというかつての王城、オーヴ・ディンデです。ヒュールリットよ。あなたとあなたの友人――魔導師シング・ディールが漆黒の導師を打ち倒して以来、あの場所には誰も足を踏み入れる事がなかった。いや、できなかった。けれどもあたし達はオーヴ・ディンデへ入り、あの場所がどうなっているのか確かめ、文字にそれを記すのです」
 龍の問いかけに対し、ウィムリーフは毅然として答えた。はたからは、精神の疲労をみじんも感じさせない。
【宝物目当てではないというのだな】
「あの地で、あたし達が目にするものの全てが宝なのです。そしてあたし達の冒険を書にまとめて後世に伝える。それがあたしの成し遂げたい事です」
 ヒュールリットはふたたび、思索を巡らせるかのようにしばし目を閉じた。
【――龍王様がこの者達をお認めになったのか……。それにお前の言葉にも嘘偽りはない――】
 ヒュールリットは目を開けた。
【ウィムリーフにミスティンキル。お前達がここから先に行くべきなのか、行かぬほうがよいのか、運命のなんたるかを知らぬ私ではあずかり知らぬ事だ。…… 物語は人により紡がれゆかなければならない。――いいだろう。このヒュールリットは邪魔立てせぬ。さあ、かの島まで私の後に続くがいい。そして物語を綴ってみせるのだ】
 ウィムリーフはそれを聞いて満面の笑みを浮かべた。ヒュールリットは道案内をしてくれるというのだ。
「ありがとうございます! 朱色のヒュールリット!」
 朱色の龍は鼻から白い煙を吹き出すと、くるりと巨躯を反転させてゆっくり空高く舞い上がっていく。
「勝った……!」
 冒険家テルタージの孫娘は、大きな充実感に包まれるのだった。龍との静かな戦いに、たった一人で打ち克ったのだから。

「行くぞ、アザスタン!」
 ことの成り行きを見届けたミスティンキルはアザスタンに向かって言う。と、彼の言葉に呼応するようにアザスタンは大きく吠え、その身を蒼龍へと変化させるのだった。
「待って、アザスタン!」
 空にいたウィムリーフはそれを見て、つと、と地面へと降り立った。
「ミスト! まずは早くここを片付けないと! 旅支度を調えるわ! 急いで!」
「急げって、お前……。ヒュールリットはとっとと先に行っちまってるぞ? アザスタンに乗ってさっさと行こうぜ!」
「ばかね。旅の装備無しでこの先どうしようってのよ。ラミシスの島に着いたら、これだけが命をつなぐんだから」
 人差し指でミスティンキルの額を軽く小突くと、ウィムリーフはウィンクをしてみせた。
「さあ、いよいよラミシスの島目指して、出発するわ!」




(三)

 ミスティンキル達がヒュールリットに追いつく頃、太陽が東の水平線から顔を見せた。みるみるうちに世界が色づいていく。空と海が紅く染まる。ウィムリーフは光と色彩による眩さのあまり、腕で視界を遮った。
 が、それもすぐのこと。光に目が慣れたウィムリーフは周囲をぐるりと見渡した。雲は確かに多いが厚くはなく、いずれ細かく切れて失せるだろう。空気は爽やかで心地よい。雨に降られる心配はなさそうだ。

 蒼龍の背びれに寄りかかり、ウィムリーフは達成感という名の心地よい疲労感に浸っていた。高揚した気持ちを内包して。
 彼女とは背びれを挟んで座しているミスティンキルが水筒をよこした。ウィムリーフはそれを手にとって軽く口に含み、彼に返した。
「ヒュールリットに挨拶しに行ってくるわ。訊きたいことがあるし……ミストも来る?」
 彼女の誘いにミスティンキルは答えなかった。
「……いい。行ってこいよ」
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥