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赤のミスティンキル

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「……やぁねえ。いつの間にか寝ちゃってたのね」
 ウィムリーフはくすりと笑った。そして周囲の様子を見やる。龍《ドゥール・サウベレーン》の巣の中というのは、彼女にとって初めての情景だ。ゆっくりと上半身を起こした。
「ここは……アザスタンの巣?」
「そうだ」
 彼女の身体の柔らかさ、暖かさを直に感じ取れなくなったことを惜しみながら、ミスティンキルは答えた。
「そう、“炎の界《デ・イグ》”で見たような龍の巣の中に、あたし達はいるってわけね!」
 ウィムリーフは足場を慎重に確かめながら立ち上がって大きく伸びをした。そして羊毛のように柔らかそうな壁まで歩いていくと、そおっと手のひらで触れてみた。
「あ、やっぱり。龍王様の御殿の外壁と同じだわ。まるでお菓子の生地みたいにふわふわしてる」
 ミスティンキルも彼女の横に立って壁に触ってみた。
「いや、やっぱりクリームだろう、どっちかってえと」
「クリームたっぷりのお菓子が食べたくなるわね! アルトツァーンにいた頃が懐かしくなるわ。春になってからまったく口にしてないもんね」
「そういや、お前さんは甘党だったな」
「甘いものは別腹、ってね!」
 白い壁に手を当てながら、ウィムリーフは笑って見せた。

【起きたな】
 龍の声。この空間の中央に居座る主はぬうっと首を伸ばした。
「おはようアザスタン。あなたは寝てたの? ……いえ、そもそもの質問だけれど、龍は眠るものなの?」
【眠る。アリュゼル神族にしても眠って英気を養うのだ。我らとて同じこと】
 アザスタンは答えた。
【さて。お前が寝てしまったからどこへ飛ぼうか見当がつかなくなり、こうして巣を作って中にいるわけだが……ウィムリーフよ。これからどうする? 今わしらは、デュンサアルから真南に飛び、海に出たところにおる】
「ああ、ごめんなさい二人とも。アザスタンの巣から出たら、島がどの方角にあるのか調べるわ。もう朝なのかしら?」
「腹時計からしたら、おそらくはな」
 とミスティンキル。ウィムリーフはくすりと笑った。
「そうね。じゃあまずあたし達人間は朝食にするわ。それから出発ね」
「ところでウィム。飯はいいとしてだ。アザスタンに乗ってて、もよおしたくなったときはどうするんだ」
「……その話題か」
「大事なことだぜ?」
 やれやれと、ウィムリーフは腰に手を当てた。
「いい? あたし達には翼がある。そして真下は海。つまりは――鳥がどうするのかを考えてみなさい」
 ミスティンキルは頷いた。
「空の上からばらまけってんだな」
「――――!! あたしの前でそういうこと言うのか、あんたって人は!」
 ウィムリーフは唇をかみしめ、ミスティンキルをにらみつけるのだった。

◆◆◆◆

 小箱のような四角形をした食料は保存性と携帯性を兼ね備え、加えて満腹感をも満たされるものだった。“味”という観点からは決して賞賛されるものではなかったが。これから毎日毎食、これを食べ続けなければならないのだ。もっとも島に着けば自然の食材にありつける可能性はあるのだが。
「せめて、新鮮な魚でも食いたいぜ。この真下にはたくさんいるだろうに……アザスタンが海すれすれを飛ぶんなら、網を作るんだがなあ。そうすりゃたんまり獲れるぜ」
「良い案だし、本音のところあたしも賛成だけれど残念。却下ね。あたしは早く島に着きたいの。それにあたし達が持ってる武器のたぐいは、魚をさばくために持ってきたんじゃない」
「漁師の料理が味わえる絶好の機会だってのになあ。ああ、生魚なんて一年以上食ってねえよ……」
「なま? 焼いたりせず、生で食べるの?!」
 食事の途中、水筒から水を飲んでいたウィムリーフは、怪訝そうな表情を浮かべた。
「あれ、冒険家さんは知らねえのか? 海の男の料理っていやあ、とれたての魚を――こうさばいてな。その肉を粥飯にのっけて塩をかけるってのが定番だ」
「聞いたこともないわよ。ラディキアあたりではミストの言うとおりなのかもしれないけど、生まれて五十五年、そんなもの食べたこと無いわ」
「おれはこの五十年間、いっつも食ってたけどな。あれはうまい。冒険が終わったらお前にも食わせてやるよ」
「うーん……」
 ウィムリーフの表情は今ひとつ浮かない。
「だが冒険家テルタージの娘よ。冒険してるときには草だの蛇だのを食わなきゃならねえ時ってのもあるんじゃねえか?」
「あああ!!」
 あわれ、ウィムリーフは頭を抱え込んだ。

◆◆◆◆

 食事を済ませ、旅支度も万端。ミスティンキルとウィムリーフは蒼龍の背中に乗り、背びれを挟んで左右に座した。
「いいわよ、アザスタン。お願い」
 ウィムリーフの声を合図にして、アザスタンは両の翼を広げた。羽ばたきがはじまるとともにふわりと浮遊する。それから龍は首を高く真上に突き出し、大きく息を吸い込んだ。巣としていた乳白色の球体が、天井からみるみるうちに消え失せていく。綺麗な空が見えてくる。やがて龍の巣はアザスタンの体内にすべて取りこまれた。
 太陽は東の空から昇ったばかり。上にも下にも、空には雲ひとつ無い。前方、見渡すかぎり広がるスフフォイル海が煌めいて見える。上空の空気はまだ寒々しいが、じつに爽やかな春の朝だ。

【さてどうする】
 滞空した姿勢でアザスタンが問いかけてきた。
「ちょっと待ってて」
 言うなりウィムリーフは浮き上がり龍の体躯からやや離れると、周囲をゆっくり飛んで廻った。しばらくして彼女はアザスタンの正面に立った。
「まっすぐあちらへ」
 ウィムリーフは行くべき方向へと右手を指し示した。この時期の太陽の位置から察するに、西南西といったところか。
「かつてカストルウェンとレオウドゥールがラミシスへ入った経路と同じ道をたどることにするわ。彼らもあたし達と同じく、龍に乗ってラミシスに入ったとされてる。同じ道を行けば、上陸を前にして休憩が取れる小島があるし、そこからだったら島の岬に建っている“壁の塔”ギュルノーヴ・ギゼが見えるかもしれない。――お願いアザスタン、昨日の速さのまま飛んでちょうだい。今日中に島までたどり着けるかもしれないけど、まあ余裕をもって明日の朝に上陸、と行きたいわね!」
【了解した】
 ウィムリーフは満足そうにうなずくと、アザスタンの背びれを挟んでミスティンキルの右隣に再び座した。
 龍は徐々に飛ぶ速度を速めていく。心地よい風が背の上の二人の髪をなびかせた。

「なあウィム、朱色《あけいろ》のヒュールリットを知ってるか?」
 龍の背びれにつかまりながら、ミスティンキルはウィムリーフに訊いた。
「うん、龍の名ね。もちろん知ってるわ。魔導王国ラミシスの王であるスガルト。その彼を倒すべく魔導師シング・ディールに協力したのが朱色の龍ヒュールリット。ヒュールリットと他の龍達の協力がなければ、ディール達の軍勢はラミシスを滅ぼすどころか、島に入ることすらままならなかった、と言うわね」
「……なら、そいつがおれ達の行く手を阻むとしたら?」
 それを聞いてウィムリーフは真剣な表情をしてミスティンキルのほうを見た。
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥